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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第4章 2011~2013
128/279

3401 新しい命Ⅲ(上)

3401 『新しい命Ⅲ(上)』


「む~、ねーね、ねーね。おたーたんは?おねーたんは?」


Sさんと姫を待ちかねたのか、藍がぐずりかける。

「大丈夫だよ。もう少しでお母さんもお姉ちゃんも帰ってくるから、ね?」

姫が入院している産婦人科、一階ロビーのベンチ。

翠は膝に座らせた藍をしっかりと抱き締めて、その背中を優しくさすった。


藍が片言を喋るようになってから、翠は一層藍を溺愛している。

藍を抱っこしたままで歩こうとしたり、危なっかしい事もあるが、

弟を思う様子はとても微笑ましい。当然藍も翠に懐いている。

Sさんも姫も、勿論俺も、仲睦まじい二人を嬉しく見守っていた。


「可愛い赤ちゃん。あなたの、お子さんですか?」


チリ。 頬や首筋の皮膚が引きつるような、違和感。

翠と藍の向こうに、かなりお腹の大きな女性が立っていた。多分、臨月。

綺麗な人だし身なりも整っているが、その顔は不自然な程にやつれていた。


「はい。2人とも僕の。」 「もしかして奥様に3人目が?」

「いいえ...あの、嫁さんの妹です。

その、旦那が海外出張中で、それで嫁と僕が付き添いを。」


以前、Sさんが翠と藍を産んだ産婦人科。O川先生の病院。

O川先生も看護師さん達も、Sさんと俺が事実婚だと知っている。

これで姫が俺の法律上の妻だと知られたら、

俺がとんでもない人間だと思われても仕方ない。


それでSさんが筋書きを書き、姫も面白がってそれを採用した。

まだ慣れていないので、言い訳が少々ぎこちない。

とても立て板に水という訳にはいかない。


「そうですか。義妹さんはお幸せですね。」 女性は翠と藍の隣に腰掛けた。

「ホントに可愛い。ね、お姉ちゃん。その子、抱っこしても良い?」


...まただ。発熱時の疼痛に似た、引きつるような、微かな皮膚の痛み。


「だめ~。あいは翠の大事な宝物だから。」

翠は藍をしっかり抱き締めて、女性の反対側、俺の影に回り込んだ。その時。

「あ、お母さんとお姉ちゃんだ。あい、いっしょに迎えに行こうね。」

翠は立ち上がり、藍を抱いたまま、危なげな足取りで歩き始めた。


「済みません、娘が人見知りで失礼を。それに弟が出来たのが余程」

「いいえ。失礼だなんて。不躾なのは私の方です。この頃体調も悪かったし、

予定日が近くて不安だったから、可愛い赤ちゃんを見かけて思わずあんな事を。

でもあの子たちを見てたら、何だか元気が出ました。

私も、あんなに可愛い赤ちゃんを産みたいです。」


「そうですか。では僕もこれで、お大事に。」

女性に一礼してから立ち上がる。歩き出して数歩、また、あの感覚。


「あの女の人ね。それに、みどりと、あい。」

微かに聞こえた呟きは、幻聴だったか。

振り返りたい衝動を抑え、ゆっくりと歩を進めた。


「ね、翠。昼間ロビーで話した女の人だけどさ。」 「女の人?」

「ほら、『藍を抱っこしたい』って。」

「...あの人。あの人は、キライだから。」


やはり、翠はあの時、俺には感知できない『何か』を感知していたのか。


「どうして翠は、あの人が嫌いなの?」

「違うよ。あの人が翠とあいを嫌いなの。だからあい、絶対抱っこさせない。」

それきり、ぷいとそっぽを向き、翠は藍に絵本の続きを読み始めた。


う~ん、これ以上は無理か。夕食後、お風呂を終えて就寝前の一時。

Sさんが翠と藍を産んだ時に入院した家族用の個室、今回入院したのも同じ部屋。

切迫早産の可能性が有るという診断で早めに入院したのだが、

今のところ姫の体調は安定している。


「今の話、何ですか?女の人って。」


ベッドの端で藍に絵本を読み聞かせる翠、

姫は微笑みを浮かべて二人を見詰めていた。

「昼間、Lさんの検診の間に話しかけてきた女の人がいたんですよ。

『可愛いから、藍を抱っこさせて欲しい』って。」


「何だか、へんな感じ。」 翠の声。

直後。一瞬足下が沈むような、揺れるような感覚。

不吉な呻き声の、幻聴?続いて耳鳴りと目眩、思わず目を閉じる。

振り返ると、姫が翠と藍を抱き寄せていた。


立ち上がったSさんが俺の耳に口を寄せる。囁くような、声。


「多分、今、この病院で人が死んだ。あんなにハッキリした徴は珍しい。

妊婦さんだとしたら、さぞ無念だった筈。

残した想いが後の災いを招くかも知れない。

私達もLの出産を控えてるし、念のために警戒した方が良さそう。」


その時、窓の外が明るくなった。点滅する赤い光、救急車?


「さあ、みんなもう寝るわよ。翠は絵本片付けて。」

Sさんが部屋の要所に結界を張り、灯りを消したのは5分程経ってからだった。


翌日、買い出しを終えて病院に戻ると、ロビーのベンチにSさんの姿が見えた。

小さく手を上げて立ち上がる。エレベーターホールに向かう廊下を並んで歩いた。


「あなたを見送ってから、病院の中を一通り見回ってみたの。

そしたら、ちょっと気になる事が有って。」


全身に、微かな鳥肌。

Sさんが『気になる』というのは大抵、緊急事態。

それに、わざわざロビーで俺を待っていたのだから、いよいよ只事じゃない。


「何が、気になるんですか?」

「時々強い気配が病院内を動き回ってる感じ。何かを探してるみたいに。」


その時、廊下の奥、分娩室のドアが突然開いた。

ドアから飛び出し、足を滑らせて転んだ看護師さんに見覚えが有る。

そう。確か、◎内さん。


「◎内さん、どうしたの!? 未だ処置は終わってないのよ?」


続いてドアから出てきたのはO先生、怒ったような口調だ。

「見えなかったんですか?さっきO川先生の隣に女の人が、

あれ、▼沢さんでした。どうして。」

◎内さんの顔は真っ青で、その声は震えている。


「先生、赤ちゃんの呼吸が。」


ドアから身を乗り出した看護師さんを見て、俺は息を呑んだ。

看護師さんの腕には、タオルにくるまれた赤子。

その顔が薄紫に変色している。呼吸の異常か、間違いなく酸欠の症状だ。


『◎内さんをお願い。私は赤ちゃんを。』

耳元で囁くSさんの声。俺の体は弾けるように動き、廊下に膝を付いた。

『大丈夫、大丈夫です。さあ、手を。怪我はありませんか?』


「あら、その赤ちゃん、どうしたんですか?」

その体で遮るようにO川先生の前に割り込んだSさんの左手が淡く光っている。

「Sさん、ちょっと。」 「もう、大丈夫。ほら。」


Sさんが看護師さんの肩に触れ、何事か小声で呟いた。

それから見違えるように、赤子の血色が良くなっていく。

振り向いたSさんがO川先生の耳元で何事か囁いた。


俺はようやく立ち上がった◎内さんの手を右手で握ったまま、

左手でそっと肩に触れた。深呼吸、腹の奥に力を込める。


『そう、大丈夫。さっきのは錯覚です。

最近忙しくて、疲れてたから。すぐに、忘れます。』


相性の問題で、Sさんの術は◎内さんには効果が薄かった。

だからSさんは俺に◎内さんの対処を指示したんだろう。

もし俺の術も効果がないようなら、別の方法を考えなければならない。

だが、◎内さんはボンヤリと俺を見詰め、ゆっくりと頷いた。

これならもう、大丈夫。


「△本さん、戻って後の処置をお願い。ほら、◎内さんも一緒に。」


その後、O川先生の対応は早かった。

まずは入院している赤子を全て新生児室に移す。もちろんSさんの指示。

その後、Sさんは新生児室に厳重な結界を張った。


「本当に、他の赤ちゃんにも影響が出る可能性があるなら、

それを防ぐのが最優先。もしもの事を考えてSさんの指示通りにしました。

親御さん達にはノロウィルス対策だと説明していますが、

それも今夜一晩が精一杯。一体どういう事なのか、説明して下さい。

昨夜亡くなった女の人に関わってるとして、あなたは何故その人の事を?」


人払いをしたO川先生の診察室、勿論此所にもSさんは結界を張っていた。


「昨夜9時半頃、徴がありました。

この病院の中で人が亡くなった事を示す、徴。」

「人が亡くなった、徴って...。」

「陰陽師をご存じですね?この土地に古くから言い伝えられてきた者達。」

「陰陽師という言葉や陰陽師が出てくる昔話なら、多少は。」


「私達は陰陽師の末裔。だから分かります。同じ建物で誰かが亡くなれば直ぐに。

ただ、あれ程ハッキリした徴が現れるのは珍しい。

そして亡くなった翌日から、

人の命を左右する影響力を持つのはもっと珍しいんです。

恐らくあの女性は自分の赤ちゃんを抱けないまま、強い想いを残して亡くなった。

その想いが、見境無く赤ちゃんを手に入れようとする執着に変化して。だから。」


「それが、あの時、◎内さんが見たというモノなんですか?」

「私も分娩室の中に強い気配を感じました。部屋の中に居た感受性の高い人、

例えば◎内さんなら、その姿もハッキリ見えたでしょうね。」


O川先生は俯き、深い溜息をついた。


「信じられない話です。

でも実際にあの赤ちゃんの呼吸が止まり、Sさんがそれを。

あの、Sさん達が本当に陰陽師の末裔なら、何とかできませんか?

どうにか赤ちゃんを守らないと。私には、責任がありますから。」


「大丈夫、任せて下さい。今夜中に始末を付けます。

O川先生も、協力して頂けますね?」

「もちろん、私に出来ることなら何でも。」

「まず、業者を呼んで一階の廊下とロビーを実際に消毒させて下さい。

『見舞客の中にノロウィルス感染の疑いがある人がいた』

親御さん達には、そう説明すれば良いと思います。

昨夜の事があったばかりですし、疑われると騒ぎになるかも知れませんから。」


「わかりました。親御さん達にはもう一度、私からそのように説明します。」

「その後▼沢さんの荷物を調べさせて下さい。詳しい事情を知りたいので。

もちろん警察の方にも立ち会って貰います。警察にはこちらで連絡しますから。」

「それは...ええ、警察の方が一緒なら、構いません。」


Sさんがそっと俺に目配せをした。そういう事か。立ち上がって軽く一礼。

「失礼。早速連絡を。」 ドアの外で、榊さんに電話をかけた。


3401 『新しい命Ⅲ(上)』

『新しい命Ⅲ』の投稿を開始します。

本日投稿予定は1回、任務完了。

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