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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第4章 2011~2013
127/279

3305 星灯(結)

3305 『星灯(結)』


エレベーターのドアを出て十数歩。

東病棟に繋がる廊下の入り口で、少女は足を止めた。


黙ったまま、少し俯いた横顔。俺の左手を握る右手に力が篭もる。

面会直前、少女の心は激しく動揺していた。 胸の奥が、痛い。


「佳奈子ちゃん、大丈夫?やっぱり怖い、かな?」

見ず知らずの女性を、それも死期の迫った病人を訪ねるのだから、怖くて当然。

「怖いって言うより...ううん、大丈夫。

Rさんが、ずっと一緒に居てくれるんでしょ?」


細い体をそっと抱き寄せた。

「そう、ずっと一緒。心配しないで。」

焦る必要など無い。そのまま、少女の心が静まるのを待つ。

暫くして、少女は大きく深呼吸をした。顔を上げて俺を見詰める、綺麗な瞳。


「もう大丈夫?」 少女は小さく、でも、しっかりと頷いた。

「じゃ、行こうか。」 「はい。」


これから面会するのは、少女の実の母親。

恐らく、これが今生の別れとなる。此処は市内の大学病院。

一族の人が運営に関わっていて、最高の体制を整えてくれた。

本来、力の源である狗神が離れれば、術者の体はその場で崩壊するのが道理。


狗神が自ら、穏やかに離れていく特殊なケースだったから、

体の急激な崩壊だけは免れた。しかし、女性の体の崩壊を止める方法は無い。

残された僅かな猶予。専門の術者が数名、なんとか女性の命を支えている。

それは全て、この面会を実現する準備を調えるため。 しかし。


って二・三日。』

それが主治医の見立て。だから今日、急遽この病院を訪れた。

勿論、少女に全ての事情を伝えた訳ではない。

半分の事実、半分の方便。


『少女との面会を望んでいるのは、少女の父親の姉。つまり伯母。

少女に取り憑いた妖怪を祓うために力を尽くして来たが、及ばずに体を壊した。

もう長くは生きられないから、最後に一目、姪に会いたいという希望を叶える。』


それが、俺の書いた筋書き。

少女の養母、美枝子さんも同行を望んだけれど、

身重の体を心配したSさんがそれを止めた。

今はお屋敷で少女の帰りを待っている。


少女を支え、面会を成功させる事。それは俺に与えられた、誇りある任務。


ドアをノックして数秒、小さく応じた声を確認してドアノブに手を掛ける。

先にドアをくぐり、女性に一礼。その後で少女を病室に招き入れた。

少女の背中にそっと手を添え、ベッドの傍らに立つ。


ベッドを操作して少し体を起こした女性は、瀕死の状態とは思えないほど美しい。

Sさんが手配した専門家達が、朝から丁寧に化粧を施した。

壊死が進み既に切断した右腕は病衣と掛け布団で隠しているし、

右の義眼も言われなければ分かるまい。

娘の前では綺麗でいたいという、その女性の想い。


見つめ合う女性と少女。病室を満たす、穏やかな空気。


「来てくれて、有り難う。どうしても一目だけ、会いたかったから。御免ね。」

少女は俯いて唇を噛んだが、やがて意を決したように顔を上げた。


少女の頬を伝う、涙?


「私、あなたが本当は誰なのか知ってます。」

!? どういう事だ? 俺の筋書きは。


「私の、もう一人のお母さん。私を産んでくれた人。

私を狙う妖怪を祓うために、私と離れて凄く頑張ってくれた。

でも上手く行かなくて、もう体が...お母さんが教えてくれたんです。」


そうか、美枝子さんが。 真の愛情の前では、俺の小細工など無意味。

少女は床に両膝を着いて女性の左手に両手を添えた。


「私、全然知らなくて。だから、御免なさい。私のために、こんな...。」

「たった一人の血縁の為に、出来るだけの事をするのはあたりまえ。

気に病む必要は無い。それに、私はあなたの母親なんかじゃない。」


「でも。」


「あなたの母親は一人だけ。あなたが元気で幸せなら、それで良い。

さ、もう帰って。少し、疲れたわ。今日、来てくれて、本当に嬉しかった。」


女性は左手で少女を促した。少女は頷いて、立ち上がる。

「また、来ます。きっと、Rさんに、また連れてきてもらいますから。」


女性は眼を閉じ、小さく首を振った。


二人、黙ったまま廊下を歩く。少女は時々涙を拭った。

何と声を掛ければ良いのか分からない。『言の葉』こそ、俺の適性なのに。

ただしっかり、少女と手を繋ぐ。情けないが、それが今俺に出来る全て。


エレベーター、開いたドアをくぐる。

ボタンを押しドアが閉じた後の軽い浮遊感。

一瞬体の重みが増した感覚の後、エレベーターのドアが開く。

開いたドアの外は一階のロビー。


「あ!」

俯いたままドアをくぐった少女が、誰かにぶつかってよろめいた。

「御免なさい。私。」 その人は、すっと屈んで少女の肩を抱いた。


『まるで大小二つの綺羅星。二人とも、立派だったな。

後は任せろ。心配は要らぬ。』


立ち上がり、その人はエレベーターの中へ。吸い込まれるように振り向いた。

紺のジーンズとクリーム色のパーカー。長い髪。若い女性の後ろ姿。

これは、あの港で。

反射的に深く礼をしたまま、エレベーターのドアが閉じるのを待つ。


「Rさん、あのお姉さんは誰?」

「佳奈子ちゃん、声が聞こえた?あの御方の?」

「うん。聞こえたよ。どうして?」 少し怪訝な表情。

「あの御方は人間じゃない。護り神、そう、僕達の護り神様なんだ。」

「護り神様?じゃあ。」 少女の縋るような瞳。思わずその体を抱き上げた。


そのまま歩き出す。今は無理、視線を合わせられない。

合わせたら、きっと涙が溢れて止まらなくなる。


抱いたまま歩くには大き過ぎる少女。すれ違う人々から感じる好奇の視線。

でも、構わない。そんな視線を気にしている余裕は無いから。

この少女に何をどう話すか。今は、それだけを考える。


「Rさん?」


「とても強い術を使って体が壊れると、術者の魂は天国へ行けない。

お母さんに、その話も聞いた?」

「ううん、それは...聞いてない。」

「強い術を使って壊れた体は治せない。どんな術を使っても、どんな御方でも。」


「だけど、護り神様なら。神様、なんでしょ?」

「そう、だからあの人の魂は救われる。

今度生まれたら、きっと、幸せな人生を送れるよ。」


少女は両腕を俺の首から背中に回し、右肩に顔を埋めた。

漏れる嗚咽。


母二人に似て聡い少女は、あの御方が今日此処に現れた意味を理解した。

中学生になったばかりの少女には、あまりにも酷過ぎる現実。

しかし、知ってしまった以上、半端な方便は毒にしかならない。

この少女を、我が子を愛しつつ、最後まで術者として生き抜いた女性。

その生き様と覚悟を、知って欲しかった。


病院の駐車場、入り口の階段に差し掛かった時、少女が顔を上げた。


「Rさん。」 「何?どうしかした?」

「ちゃんと私の目を見て。大事な、お話だから。」


立ち止まり、深呼吸を1つ。覚悟を決めて少女と視線を合わせる。


「あのね。私、術者になる。

お母さんと一緒に修行して、きっと何時か、術者になる。」

「どうして?折角恐ろしい妖怪から逃れたんだし、

みんな佳奈子ちゃんの幸せを願ってるのに?」


「新しいおばあちゃんが教えてくれたの。私にも『力』があるって。

もし本当に『力』があるなら、術者になる。

今までたくさんの人に助けられたから、今度は私が、誰かを助けたい。

それにもしかしたら、生まれ変わったあの人に、逢えるかもしれないでしょ?」


涙に濡れた、しかし強い強い意志を秘めた瞳。

背負った悲しみの重さが少女をここまで強くしたのだから、

全ての想いに、それぞれの意味があったのだ。


少女の実の父と母、そして養母。


連なった強い想いが時を越えて、今、小さな綺羅星を生んだ。

それはやがて大きく成長し、何時の日か、もっともっと強い光を放つ。

そして、魂の旅路に迷う人々の心を明るく照らすだろう。


「大丈夫。きっと佳奈子ちゃんは強い術者になる。

何時か必ず、困ってる人たちを助ける事が出来るよ。」

「本当にそう思う?」 「うん、間違いない。ちゃんと修行すれば大丈夫。」



季節外れの暖かい風が、少女と俺を包んでいる。

小春日和。その名残の日差しは、俺と少女の心を温める熱を宿していた。

回り込み、助手席のドアを開ける。


「どうぞ、未来の術者様。」 「有り難う。」


はにかんだような、少女の笑顔。

もちろん俺自身の手柄ではない。ただ、この任務が成功した事が素直に嬉しい。

そう、この少女が元気で幸せなら、それで良い。ゆっくりと、車を出した。


『星灯(結)』了/『星灯』完

本日投稿予定は1回、任務完了。『星灯』、完結です。

次作の検討と投稿準備の為、明日からお休みを頂きます。

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