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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第4章 2011~2013
125/279

3303 星灯(下)①

3303 『星灯(下)①』


アラームが鳴る前に、眼が覚めた。アラームの設定を解除する。

午前一時少し前。予定通り、そっと身体を起こした。


「待ってます。ずっと、待ってますから。」 姫の、小さな声。


事情を詳しく話した訳ではないが、特に隠しもしなかった。

とても聡い人だから、隠せばかえって不安を大きくするだけ。

お腹の子の事を、今は一番に考えなければならない。

誰よりも姫自身が、それを分かっている。


だから今夜の件について質問する事もなく、ただ『待っています』と。

背中を向けたままなのは、俺の心に迷いを生じさせないための心遣い。

そう、俺が迷えば姫の不安はさらに大きくなる。でも大丈夫。

戦うのではない。準備は万端、Sさんとの打ち合わせも済んでいる。


「必ず無事に帰ります。

ずっと起きていると身体に毒ですから、少しでも寝て下さいね。」


上出来。そう、まるで夜釣りに出かける時のように、軽やかに。



念の為、市営駐車場からさらに約200m離れたバス停に車を停めた。

軽の四駆。Sさんが運転席に移る。

1時40分、此所からはSさんと別行動。俺は歩いて歩道橋に向かう。


「くれぐれも注意して。絶対に、焦っちゃ駄目よ。

結界を解く準備が出来次第此所へ戻る。それまでは何とか、時間を稼いで。」

「はい、世間話は大の得意ですから、任せて下さい。

それに佳奈子ちゃんの実の母親なら、きっと、凄く綺麗な女性ですよね?」


「馬鹿、私がどんな気持ちで...」


開いた窓越し、Sさんの唇にそっとキスをした。

「僕はSさんを信じてます。だからSさんも、僕を信じて下さい。」

Sさんは小さく頷き、ハンカチで目元を押さえた。

小さく手を振り、車を見送ってから歩き出す。


「何だこれ?夜中に大清掃って。」

「ああ、この歩道橋犬の糞が凄いからな。ようやく役所も腰を上げたんだろ。」

「おいおい、犬の糞を踏むなんて御免だぞ。」

「だから掃除するんだよ。ほら、横断歩道使えって書いてある。あっちだ。」


男が二人、酔っ払いらしい。

大声で話しながら横断歩道へ向かって歩いていく。足取りがフラついている。


深夜2時前。古く、大きな交差点だが、新しい繁華街からは少し離れている。

遠ざかる男2人以外に人影は無く、車の往来もまばら。大きな歩道橋を見上げた。

深呼吸、階段に左足をかける。



『もし、若い御方。』 驚いたが、声に敵意はない。


振り向くと、白い着物の童子が立っていた。

正体は分からないが、何れにしろ人では無い、礼を尽くしておくべきだろう。

階段から足を下ろし、目礼。

「私に、何か御用ですか?」

『あなたを術者と見込んで頼みがあるのです。』

「私に出来る事であれば、何なりと。」


「この社を封じた術に、私の朋輩も関わっています。

私はこの結界に入れません。しかしあなたが私の想いを携えて下さるなら、

私の声が朋輩に届くでしょう。どうか一言『その想いを携える』と。』


朋輩?あの時術者は小型犬を連れていたが、まさかあれが?

事情は分からないが、敵意が全く無いなら害はないだろう。

それよりも此所で時間を取られ、約束の時間に遅れるのはマズい。


「分かりました。あなたの想い、携えて中へ入ります。声が届くと良いですね。」

童子はにっこりと笑い、深く一礼して姿を消した。

振り返り、深呼吸。もう一度階段に足を掛ける。


階段を上り切る直前、通路に人影が見えた。時計を見る、未だ2時7分前。

階段を上りきり、通路に踏み出す。

小柄な女性。手摺に左手で頬杖をつき、夜景を見ている。

地味なグレーのダウンジャケット、黒のジーンズに白いスニーカー。


ゆっくりと体の向きを変え、俺を見詰めた。

右の瞳は白く濁り、右腕は力なく垂れている。右手だけ黒い手袋

そして香木の甘い香りと、微かな腐臭。間違いない、あの術者。


「今晩は。お待たせしたみたいで、申し訳有りません。」

女性は小さく首を傾げた。微かな、落胆の表情。


「やっぱり人違い、ね。

優れた術者には違いないけど。あなたでは、この結界を解けない。」

女性はゆらりと踵を返した。ふわりと歩き出す。


首筋に鳥肌。正直、怖い。

『優れた術者』と言いながら、無防備な背中を晒し、俺を全く問題にしていない。

人の身の限界に近い力を備えた術者に共通する、強烈な自負。

恐らく、狗神の力を使わずとも、一族有数の術者に匹敵する力。しかし。


「人違いじゃ有りません。あの貼り紙をしたのは僕の師匠です。

今夜、僕は師匠の名代として此処に来ました。」

女性が足を止め、ゆっくりと振り返る。


「それだけの力が有れば分かる筈。この結界を張った、私の力。

あなたと私の力の差。それともあなた、死ぬのが怖くないの?」


悲しみと苦しみに凍り付いた、冷たい声。感情の欠片もこもってはいない。


「死ぬのは怖いですよ。大事な家族もいるし、

近々、もう一人子供が生まれます。

あ、このあと結婚するとか子供が生まれるって、

映画や漫画だとフラグでしたっけ。」


「こんな時に軽口なんて...」

呆れたような表情。微かに、女性の感情が動いたのを感じる。


「まあ、良い。あなたが死にたくないなら好都合。

知りたい事を教えてくれたらあなたは無事に帰れる。私も無理強いはしたくない。

なら、あなたと私の利害は一致してるという事よね?」


「何を、知りたいんですか?」

「娘の居所。10年振りに戻ってきたのに、居場所が全く辿れない。

娘の父親、離婚した元の夫が死んだのは分かったけど、

その両親の居場所さえ辿れない。住民票にも細工されてて転居先は出鱈目。

優れた術者が関わってるって、すぐに分かった。」


「だから此所に結界を張った。つまりその術者を呼び出すための罠として。」


「はぐらかさないで質問に答えて。もう、あまり時間がないから。」

「その子はある夫婦の養女になって幸せに暮らしてます。

だから居場所を教える訳にはいきません。

居場所を教えたら、最悪の場合、あの子は死ぬ事になる。」


女性はじっと俺の眼を見つめた。


「あなた、一体何のために此所に来たの? 私を倒す力はない。

なのに、わざわざ此所に来て、『教えられない。』と?

それに『最悪の場合あの子が死ぬ』って、どういう意味?」


「確かにあなたを倒す力は有りません。だからこそ僕が来たんです。

もっと力の有る術者、例えば僕の師匠が此所に来たら、

あなたは警戒して戦いに備える。

つまり『力の源』への通路を開いてしまう。それでは、困るんです。」


「面白いわね。『力の源』って、それが何なのかも知ってるの?」

「この規模の結界を張る力。それを術者に与える存在。

そして、あなたが結界を張った方法。あなたに直接会って確信しました。

あなたの『力の源』は、狗神です。」


空気が、変わった。

女性の左眼の奥、淡い光が灯ったように見える。


「そして、あなたは恐らく、あの子を産んだ後にそれを体内に封じた。

いや、封じるより他に方法が無かったと言うべきでしょうね。

そうなってしまったのなら、もし僕がその立場でも、

涙を飲んで我が子から離れます。それを滅する方法を探すために。」


「私の見立てが甘かったって事?もし術でその経緯を知ったのなら、

今からでも最大限の警戒をしなければならない訳だけど。」

「冗談は止めて下さい。術では無く、師匠と話し合って予想したんです。

最初の手がかりはあの子の周りに残る気配。

亡くなった父親の気配は残ってるのに、

母親の気配が全く感じられませんでした。幾ら何でもそれはおかしい。」


「愛していても憎んでいても気配は残る筈。敢えて気配を消したとしか思えない。

そんな事が出来るのは術者だけ。それで、師匠に相談したという訳です。

勿論その時点では、あなたがそれを体内に封じたのは知りませんでした。

しかし術者が自らの気配さえも消して娘と離れる程なら、間違いなく事態は深刻。

だから師匠は全ての手がかりを消しました。

将来その子の母親、つまりあなたが戻ってきた時のために。」


「良い師匠についているのね。

だけどまだあなたが此所に来た目的が分からない。

『最悪の場合あの子が死ぬ』という理由も。

面白い話だけど、そろそろ本題に入って。」


「狗神を体内に封じた術者には、呪殺を生業とする以外に選択肢が無い。

そして当然、呪殺は禁呪。そのペナルティーはあなたの身体を蝕み、命を削る。

だからその右眼も右腕も、それであなたは『時間が無い』と、そうですね?」


「そうよ。あなたの言う通り、私の身体はもう長くは保たない。

だから、あの子を探してるの。」

「身体の崩壊が進み、あなたが死ねば、

それは血脈を辿ってあの子の体内に入り込んでしまう。

だから、そうなる前にあなたはあの子を使って狗神を誘い出すつもりでしょう?

自分の体を離れたそれを、あなたが探し当てた術で滅するために。」


女性は小さく溜息をつき、淋しげな笑顔を浮かべた。


「そう。それもあなたの言う通り。だから、あの子の居場所を教えて。」

「それを誘い出したら、あなたの力は失われる。

なのにどうやってそれを滅するんですか?」

「特殊な代を使って罠を掛ける。

それが私の体を出たら術が発動するようにしておけば良い。」


「あなたの力が及ばなければ、術は失敗する。

つまり狗神はあの子の体に入り込む。

だから失敗した時のために、2つ目の罠を掛ける必要が有りますね。

もし狗神があの子の中に入り込んだら、あの子の身体ごとそれを滅する術。」


長い沈黙、それはSさんと俺の予想が正しかった事の証左。

そして、恐らく2つ目の罠こそ、この女性の切り札。


『星灯(下)①』了

休日の生活習慣改善、朝投稿継続中。本日投稿予定は1回、任務完了。

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