3206 礎(下)④
作者の体調と話の展開の都合のため、短めの投稿が続きます。
どうか御了解の上、お楽しみ頂ければ幸いです。
3206 『礎(下)④』
「今、分かりました。」 父親の表情が、少し緩んだ。
「以前、瑞紀には、『力』を持っている事を鼻に掛けて、
他人を見下したような態度をとる所がありました。
でも、本土から帰ってきた瑞紀は変わっていたんです。
それはもう、親の私達がビックリする位に。」
父親はグラスの水割りを一口飲んだ。小さな、溜息。
「大学の勉強も、ノロの修行も、その他何事にも真剣で一生懸命で。
Rさんの親戚の家で働かせてもらいながら、
色々教えて頂いたと聞いていましたが、それだけでは無かったんですね。
Rさん達が、どれ程真剣に自分の『力』と向き合っているか、
それを肌で感じたから、瑞紀は変わったんです。
○子、これなら安心じゃないか?
瑞紀がお義母さんの後を継ぐのも、Rさんに瑞紀を任せるのも。」
「瑞紀が生まれた時、母に言われました。
『力を持って生まれたこの子が、ノロにもユタにもならず、
好き放題に力を使い続けたら、何時か魂が力に飲み込まれる。
この子が力を活かして生きる道は、ノロになるか、ユタになるしかない。』
それなら、ユタよりはノロに、なってくれた方が...」
? いや、本物のユタなら、それも立派な仕事だろう。
思わず、怪訝そうな表情を浮かべたかも知れない。
瑞紀ちゃんの父親は、俺の顔を見て微笑んだ。
「Rさん、ユタという言葉はユタの前では使いません。何故か分かりますか?」
「分かりません。それは、どうしてですか?」
術者、術師、あるいは陰陽師。
俺自身も含めて、一族の術者が、それらの名を憚る事などないのに。
「ユタに相談することを『ユタを買う』と言うんです。
金を積めば都合の良い事を言ってくれる、人の不幸につけこんで金を毟り取る。
そんなイメージが強いからでしょうね。」
そうか。ノロが『聖』なら、ユタは『俗』。
だからユタは畏怖の対象であると同時に、見下される対象にもなり得る。
その時、母親が顔を上げて俺を見詰めた。
「ユタになって『買われる』より、ノロになって尊敬される方が良い。
それに、例え入籍出来なくても、本当に好きな人と一緒になった方が幸せです。
Rさんは、きっと瑞紀を大切にしてくれる。Rさん、なら。」
「僕も瑞紀さんが好きですから、瑞紀さんの気持ちはとても嬉しいです。
だからこそ、真剣にお付き合いして、お互いの気持ちを育てたい。
でも正直、僕達の気持ちがどんな風に育つのか、それは未だ分かりません。
兄弟のような愛情に育つのか、男女の愛情に育つのか。そして。」
もう一度、瑞紀ちゃんの横顔を見詰める。
これで瑞紀ちゃんとの道が別れても、後悔しないと誓えるか。
いや、誓えるかではなく、誓うしかない。瑞紀ちゃんのために。
「さっきも言った通り、瑞紀さんには御両親の助けが絶対に必要です。
それが叶うなら、僕はずっと友人のままで構いません。
そして、もし、瑞紀さんが他の人を好きになるとしても、僕は」
「他の人を好きになるなんて絶対無い!! Rさん、酷いよ...どうして」
瑞紀ちゃんは両手で顔を覆って俯いた。小さな肩が震えている。
母親が見かねたように立ち上がり、隣に膝を付いて瑞紀ちゃんの肩を抱いた。
「大丈夫。ずっと応援するから、頑張って。
Rさん、どうかこれからも瑞紀を、宜しくお願いします。」
「有り難う御座います。僕は絶対に瑞紀さんを裏切りません。御安心下さい。」
レストランからの帰り道、小さな公園の駐車場に車を停めた。
瑞紀ちゃんはあれから一言も喋らず、目も合わせてくれない。
「瑞紀ちゃん。折角、御両親のお許しをもらえたんだから、
もう、機嫌直して。ね。」
「...友だちで良いって。他に好きな人が出来たらって。酷い。」
「酷いかもしれないけど、本当の気持ちだよ。」
「私、両親の許しなんてなくても、Rさんの」
その唇を人差し指でそっと抑えた。
「将来、子供が生まれても、瑞紀ちゃんはそれで良いの?」 「え?」
「お父さんが一族の当主に即位した時、Sさんは幼い頃に親戚の養女になった。
それが一族のしきたりだから仕方ないけど、辛かったと思う。
今だって、翠や藍をSさんの実の御両親に会わせるのには、特別な許可が要る。
Lさんは、早くに死別した御両親の顔も覚えていない。
だから自分の子供を愛せるのか自信が持てなくて、
子供を受け容れる覚悟が中々出来なかった。それで今年、やっと。」
「そんな...私、全然知らなかった。
2人はいつも素敵で、思い通りに生きているとばっかり。」
「今、此処に瑞紀ちゃんがいるのは、御両親のお陰だよね。
何時か瑞紀ちゃんを女性として好きになって、俺達に子供が出来たら、
一番に瑞紀ちゃんの御両親に喜んでもらいたい。
それが出来ない事情を経験してきたから、
これだけは譲れない。どんなに君を好きになっても。」
「R、さん。」
「俺がずっと瑞紀ちゃんと一緒に住めるとしたら、
運良く生き残って、術者を引退してからだよ。
だから子供を育てるには、どうしたって瑞紀ちゃんの負担が大きくなる。
御両親の助けが絶対に必要なんだ。
もし御両親の助けが得られないのなら、
瑞紀ちゃん一人に子育ての負担は掛けられない。分かって」
不意に胸が詰まって、言葉が途切れた。
今夜は言霊の力を封じると決めていた事も、
最後までそれを守った事も、気休めにはならない。
俺は正しいと、間違っていないと、確かめる術はないんだから。
次の瞬間、目の前に綺麗な顔。 吸い込まれるような、黒い双眸。
「やっぱり、私、馬鹿。いっつも我が儘で、自分勝手で。」
「そうじゃ無い。俺たちの一族のしきたりが、常識とかけ離れているだけで。」
「その一族の人のお嫁さんになるのに、自分の考えだけにこだわって。
だから私、やっぱり馬鹿。
Rさんは、こんなにも私を、私達の子供を大切に思ってくれているのに。」
俺の首に回った手に力が篭もる。
慌てて柔らかい体を引き離し、距離をった。
「ストップ、そこまで。未だ友達、なんだから。」
「もう、両親は許してくれたのに。」
「瑞紀ちゃんはまだノロになってない。約束、したでしょ?」
「...分かった、ことにする。」
何とか理性を保ちつつノロクモイの家に帰り着くと、玄関で翠が迎えてくれた。
その後ろに藍を抱いたSさんと姫。
2人は俺をそっちのけで、代わる代わる瑞紀ちゃんを抱きしめた。
「良かったね、瑞紀ちゃん。」
「Rさんは瑞紀ちゃんの事になると妙に鈍いんです。
去年の旅行の時にキチンとしてくれたと思ってたのに、結局今年まで。
ホントに御免なさい。」
「いいえ。Rさんは、ちゃんと話してくれて。両親も認めてくれたから、もう。」
「みずきちゃん。お祝いのおかしがあるよ。」 「うん、有り難う。」
ええっと、成功以外考えていなかったらしいこの段取りは一体?
「元々、この問題は○子が許す許さないでは有りません。
力を持って生まれたのですから、ノロになるかどうかを決めるのは瑞紀自身です。
そしてノロになると決めた切っ掛けはRさんへの想い。
瑞紀にはRさんとの縁があるという事。瑞紀は本当に幸せです。」
言葉とは裏腹に、たか子さんの表情は曇った。
「出来れば私、ノロになりたかった。
でも器が足りなくて。母と、瑞紀の助けになるなら、
私の人生にも意味があるのだと信じる事が出来ますけど。」
そうか、だから結婚せずにノロクモイの補佐をして、
通常の祭事なら仕切れる程の修行を続けて...
「たか子さん、あなたはこの集落に是非必要な人です。
今までも、そしてこれからも。
もしあなたがいなければ、ノロクモイは仕事を続けられなかった。
そうなれば、神々との契約は更新されぬまま、効力を失ってしまう。」
その言葉の、ゆったりと温かい響き。
でも、Sさんでなければ語れない、重い言葉。
「ノロは花、あなたは花を支える枝。
あなたが天命に従って生きてきたからこそ、
ノロクモイの今があり、瑞紀ちゃんの未来がある。
私は、そう思います。」
「有り難う、御座います。」 たか子さんはハンカチで目尻を押さえた。
「それで、瑞紀ちゃんがノロになるのに、どれくらいかかりますか?」
「母は、後継者と認められてから2年かかったと聞きました。
でも瑞紀は、既に、昨夜母の代役を務めました。
もしかしたら2年、かからないかも知れません。」
「ノロになったら、この集落を長期間、離れる事は出来ませんよね?」
「はい。どんなに長くても、二泊三日がギリギリです。」
「それまでに、瑞紀ちゃんに出来るだけ沢山の経験をして欲しいと思っています。
もちろん旅費も、旅行の段取りも、全部Rが責任を持ちますから。」
「宜しくお願いします。」
「あの、Sさん。僕は綺麗さっぱり置いてけぼりですが。」
「日本の美しい四季の景色、数ある古くからの祭事。
それらを瑞紀ちゃんに体験してもらうの。
そのナビゲーターをあなたにお願いしたいんだけど、やっぱり無理かしら?」
「いいえ、今は無理でも、それまでに頑張ります。絶対です。」
「うん、良い返事。」
『礎(下)④』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




