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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第4章 2011~2013
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3203 礎(下)①

3203 『礎(下)①』


明るい月光に照らされた、瑞紀ちゃんとたか子さんの後ろ姿。


2人は急ぐでもなく、躊躇うでもなく、しっかりとした足取りで歩き続ける。

そのまま、山へ向かう道の脇道に入った。暫く歩いて立派な石組みの泉に着いた。


この地に集落が開かれた当時から、人々の命を繋いできた古い泉。

その泉の名は『ウブガー(産泉)』。

名前の通り、その水は古来、集落で生まれた赤子の産湯に使われてきたと聞いた。

勿論、生活用水、農業用水としても。

祭事の初日。男達がびしょ濡れだったのは、この泉で沐浴をしたからだろう。


泉まで十数m、たか子さんが立ち止まった。

泉に向かうのは瑞紀ちゃん一人。つまり、俺達が行けるのも其処まで。

たか子さんに追いついて指示を待つ。


「どうぞ、こちらで。」

たか子さんは外灯に照らされた小さな階段を指し示した。

階段を上るとコンクリートの小さな東屋。皆で木製のベンチに腰掛ける。


「水を汲みに来る人達の休憩所です。あの泉から此処に水を引いていて。

あ、始まります。山と水の神へ呼びかける神歌。」


泉を囲む石組みより一段高くなった場所。

小さな祠の前に瑞紀ちゃんが正座している。

古い言葉を紡ぐ、通りの良い、少しだけハスキーな声。

何だか懐かしい響き。


ふと、風に乗って微かな芳香が届いた。

何故? 線香を焚いている様子もないのに。


突然、翠が振り向いた。キラキラと眼を輝かせている。

「お父さん、へびさんだよ。すごく大きいの。」

蛇? じゃあこの香りは蛇の、でも何処に?


「翠、これからお母さんが良いと言うまで喋っちゃ駄目よ。

私達の声を聞かれると瑞紀ちゃんが危ないから。分かった?」


翠は両手で口を押さえ、大きく頷いた。

その仕草が堪らなく可愛い、しっかりと抱き締める。


祈祷を終えたのか、瑞紀ちゃんが立ち上がり、泉の中に降りていく。

石組みに設けられた3つの湧き出し口。それぞれ幅1m、高さ50cm程。

湧き出した水はいったん浅いプールのような場所に流れ込み、

そこから水路に流れ出ている。


瑞紀ちゃんはプールの真ん中辺りに跪いた。


!? 水が、光っている。

いや、強い光を放つ小さな緑色の粒子が、湧き出した水と共に流れている。

まるで大量の蛍が水の中で光っているようだ。

光の粒の数はどんどん増え、泉全体がボンヤリと光って見える。


湧き出す泉の水音を乱して、それは現れた。


真ん中の湧き出し口から伸びる首と大きな頭。

緑色の燐光に包まれた、巨大な蛇の頭部。

とにかくデカい。まるで超大型のニシキヘビ。文字通りの大蛇。


瑞紀ちゃんは跪いたまま胸の前で手を合わせている。

呟く言葉。此処からでは内容を聞き取れない。


やがて、大蛇はゆっくりとその全身を現した。

瑞紀ちゃんを囲むようにプールを一周。

更にもたげた鎌首の高さが約1m強、恐らく全長は10m以上。


50cm程の距離で、正面から瑞紀ちゃんを見下ろす大蛇。

チロチロと蠢く舌。近い。

さっきSさんが言った通り、声さえ聞かれなければ大丈夫なのか...あ。


瑞紀ちゃんの右隣、そして背後に跪く女性達の姿。

一体何処から、いつの間に?

...4・5・6、7人。白い着物と鉢巻き、勾玉と髪飾り。


最前列が瑞紀ちゃんを含む2人。その後ろに3人ずつの二列、計8人。

曲玉の首飾りと、鳥の羽根の鮮やかな髪飾り。瑞紀ちゃんと同じ、ノロの衣装。

細面、丸顔。横顔や体格はそれぞれ違うが、皆20代から30代に見える。

そして、女性達が胸の前で合わせた両手には、

何となく瑞紀ちゃんに似た雰囲気を感じる。


...そうか。

集落の成立以来、この地と人々を護ってきた、代々のノロクモイ達。

死してなお、この集落を想うその魂も加わって、

神と人々の縁を結ぶ仲人の大役を担う。


過ぎ去った12年間の恵みに感謝し、更に今後12年間の恵みを乞う祭事。

瑞紀ちゃんの右隣に跪いたノロクモイが唄い始めた。

神歌、女性にしては低く、渋い声。


どうやら瑞紀ちゃんの少しだけハスキーな声は、御先祖様からの遺伝らしい。

次々と声が加わっていく。最後に加わったのは瑞紀ちゃんの声。


重なり合い響き合う声が、力強く空気を震わせる。

何とも言えない荘厳な響き。全身に、鳥肌。

この神歌こそ、集落に豊かな恵みをもたらす約束の礎。


人々からは神々への信仰を、神々からは人々への恵みを。

それを仲介する、ノロクモイ達。


大蛇は目を閉じ、じっと神歌に聞き入っている。

神歌を三度繰り返して唄い、ノロクモイ達は揃って深く頭を下げた。

深夜の泉に、流れる水の音だけが響く。


満足そうに、大蛇が眼を開けた。 動き出す。

その体はゆっくりと湧き出し口の中へ。


大蛇の尾が湧き出し口に消えて数十秒。

詰めていた息を吐く。もう、大丈夫。

プールに視線を戻すと、ノロクモイ達の姿は消え、瑞紀ちゃんが一人だけ。


それを待っていたように、たか子さんが大きな紙袋を持って階段を降りた。

瑞紀ちゃんは両手で掬った泉の水を肩からかけている。


神々しい横顔。白い着物を彩る緑色の光の粒子。

美しい、まるで天女のようだ。

ずっと見詰めていたいが、紙袋の中身は替えの着物だろう。

気を遣って目を逸らした。


瑞紀ちゃんとたか子さんが戻ってきたのは2~3分後。

俺達には構わず、集落への道を進む。


「翠、もう喋っても良いわよ。お利口さんでした。」

Sさんは藍を抱いたまま翠の頭を撫でた。


「お母さん、あの大きなへびさんはかみさまだよね?」

「そう、でも蛇じゃなくてみずち。だから龍神の仲間。あ!」

Sさんの視線を辿る。


瑞紀ちゃんが立ち止まった。

たか子さんが振り向いた瞬間、瑞紀ちゃんは地面に頽れた。


「お父さん!みずきちゃんが。」

翠を姫に託して走る。瑞紀ちゃんの傍、たか子さんの隣りに膝を着いた。


「瑞紀を家まで、お願いします。」 「はい。」

良かった、呼吸に乱れはない。初仕事としては重過ぎる役目。

力を消耗して気を失ったのだろう。短期間に、よくぞここまで。

立派に役目を果たしたノロの後継者、その体を抱き上げた。

一刻も早く、ノロクモイの家へ。



翌朝、目が覚めると寝室には俺1人。慌てて着替え、台所へ向かう。

藍を抱いたSさんが新聞を読んでいた。たか子さんは鍋の火加減を見ている。


味噌汁の、良い香り。


「あら、昨夜は頑張ったんだから、もう少し寝てても良かったのに。

Lと翠は散歩。瑞紀ちゃんはまだ寝てるけど、先に朝御飯にする?」


藍を抱いたSさんの笑顔。


「あ、いえ。それより、あの泉に行ってみたいんですが。」

「昨夜で祭事は全部済んだから問題ない筈。たか子さん、どうですか?」

「構いませんよ。」 たか子さんは振り向いて、穏やかな微笑。


「写真も?」 「勿論です。」

二日酔いで頭痛と微かな吐き気。

しかし、デジカメを持って俺は玄関を飛び出した。


昨夜はすっかり感覚が麻痺していたが、蛟、あの大蛇は立派なUMA。

もし何か痕跡が残っていれば是非記録して置きたい、そう思った。 しかし。

泉に通じる道には沢山の軽トラックやオートバイ。

水缶やペットボトルを持った大勢の人々。


昨夜、俺達が祭事を見学した東屋も、賑やかに談笑する人たちで超満員。


「おやRさん、あなたは水を汲まないんですか?」

ノロクモイの家の近く、俺たちが良く買い物をする商店の店主。

俺と翠は去年の夏休みからの顔馴染みで、買い物の度に話し掛けてくれる。


「というか、今朝は何故こんなに沢山の人が水を汲みに来てるんですか?

前に瑞紀ちゃんに案内して貰った時には誰も居なかったのに。」

「祭事の翌朝、此処で汲んだ水には不思議な力があると言われてるんですよ。

この水でお茶やコーヒーを淹れて飲むと体が丈夫になるってね。

まあ、私はもっぱら島酒の水割りです。」 店主の手には2Lのペットボトル。


「じゃあ毎年、祭事の翌朝はこんなに沢山の人が?」

「はい。ただし、今年は特別。何しろ24年に一度の機会ですから。

是非Rさんも水を汲んで下さい。

瑞紀ちゃんがノロになるって決めたのはRさんのお陰だし、

昨夜は大事な役も立派にこなしてくれたと聞きました。

私達は皆、Rさん達にとても感謝してるんです。」


24年に一度?12年に一度じゃなく?

それに『大事な役』って? 昨夜、俺は見学してただけだぞ。


質問を口に出す前に、店主は一礼して歩き出した。

きっと一刻も早く水割りを飲みたいんだろう。


振り返る。水汲みの順番を待つ人々の列、皆の明るい笑顔。

あれだけの人が出入りしたのでは、この泉にはもう何の痕跡も残ってはいない。


まあ、仕方ない。

俺の個人的な興味より、集落の人々の信仰が優先するのは当然。

泉から帰る途中で姫と翠に会った。走り寄ってきた翠を抱き上げる。


「お父さん、どこに行ってたの?」

「昨夜の泉だよ。一緒に帰ろうか。」 「うん!」


3人でノロクモイの家に戻ると瑞紀ちゃんも起きていて、皆で朝御飯を食べた。

食後。たか子さんが淹れてくれたお茶を飲むと、

二日酔いがすうっと消えて楽になった。


「このお茶を飲んだら二日酔いが消えたんですけど、もしかして。」

「昨夜、あの泉で汲んだ水で淹れました。

祭事の直後は力が強過ぎて体に合わない人もいますから、

一晩おいた後で使う方が良いんです。」


たか子さんは廊下の奥へ歩いて行く。

きっとノロクモイには先にその水で淹れたお茶を。


「その水で作ったジュースを藍に飲ませたの。きっと御利益があるわね。」

Sさんは藍に頬ずりをした。

翠も姫も、もちろんSさんと瑞紀ちゃんも美味しそうにお茶を飲む。


「Sさん、さっき泉に行ったら□◆商店のおじさんがいて、

今年は24年に一度の機会って言ってたんですけど、

12年に一度じゃないんですか?」

「私じゃなくて、その祭事を執り行った本人に直接聞いたら良いじゃない。

ね、瑞紀ちゃん?」


はにかんだような笑顔。 そう言えば今朝の瑞紀ちゃんは口数が少ない。


「瑞紀ちゃん。何故24年に一度の機会なのか、教えてくれる?」

「はい。次の12年後は、泉じゃなくて浜での祭事です。

12年おきに泉と砂浜で交互に。

スクという小魚の群れが海岸に寄る時期ですから、

その祭事は旧暦の6月~7月頃ですね。」

(※スクはアイゴ類の幼魚、毎年決まった時期に数万匹単位の群れで現れる。)


成る程、それなら泉での祭事は24年周期。そして、もしかしたら。


「浜の祭事でも実際に現れるのかな?その、昨日の蛟みたいな神様が。」

「現れる筈です。でも、それを知ってるのは祖母とたか子おばさんだけですね。」

丁度そこに、茶器を載せたお盆を持って、たか子さんが戻ってきた。


『礎(下)①』了

本日投稿予定は1回、任務完了。

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