3001 啓示
今回も大災害関連の作品です。
慎重にご判断の上、お読み下さい。
3001 『啓示』
山々の緑に微かな錦が混じっている。
きっと、もう、秋が近い。川の神様の神社、境内の掃除を終えたところ。
ここ暫く、川の神様はご不在。お社はガラ~ンとして、なんだか寂しい雰囲気。
掃除道具を片付けたとき、視界の端に人影が見えた。
足音も無く近づいてくる黒い着物。 膝を着いて頭を下げた。川の神様、だ。
『R、久しいな。一族の術者は多忙だと聞いていたが、息災で何より。
早速だが、お前に会いたいと仰るお方がおられる。付いて参れ。』
「はい。」 Sさんも姫もいないが、川の神様の仰せで有れば是非も無い。
聞き慣れた話し方と調子。しかし、何と無い違和感。
川の神様は既に歩き始めている。
後を追って数歩踏み出した時、地面がぐらりと揺れた気がした。
ここは、二週間後に訪れる予定の...では俺に会いたいというのは。
『そう、御陰神様だ。此度の大災害の対応からお戻りになった。
お前達の、人の気持ちが知りたいと仰っておられる。』
やはり、その御声に感じる違和感は消えない。一体これは?
本殿、階段を上り川の神様は廊下に膝を着いた。俺は階段の前に正座をした。
『御陰神様、Rが参りました。』
声を掛けて、川の神様が障子を開く。
数m奧に御簾、その向こうから淡い光が洩れていた。
『良く来たな。お前達の仕事も一段落と聞いた。
一族の術者は皆、目覚ましい働きだったと聞いている。大儀であった。』
この御声、以前聞いた響きではない。
あれは、姫の声帯を使って発せられた声だったからか。
川の神様の表情を伺う。川の神様は黙って頷いた。
「術者の本分を尽くしただけで御座いますが、勿体ないお言葉。痛み入ります。」
『さて、此度の大災害、お前はどう思う?』
「多くの命が失われ、とても、とても悲しく恐ろしい出来事でした。
一族の者に犠牲者は出ませんでしたが、到底、それを喜ぶ気にはなれません。」
『お前は吾を...吾等を恨むか?
何故この国の民を助けてくれなかったのか、と。』
その御言葉で、俺の心の中の何かが崩れて、涙が溢れた。
大切な人を失った人々の涙、俺の心に流れ込んだ悲しみ。
災害のあとの仕事の数々、その記憶が甦る。息が、詰まった。
心の奥深く。間違いなく『何故?』という気持ちは有る。
そしてそれはきっとSさんも姫も、
いや、この大災害に関わる仕事をした術者全員が同じだったろう。ただ。
『正直に申せ。吾等を、恨むか?』
必死で呼吸を整え、心を静める。やっとの思いで言葉を絞り出した。
『いいえ。神々の御加護が無ければ、もっと酷い事態になっていたのだと、
私達は、それだけを信じて...』
これ以上は、無理だ。言葉が続かない。重い沈黙。
それから何秒が、いや何分が経っただろうか。
『遠い遠い昔、お前達の時間では数十億年の彼方。
吾等は、この星の活動の源となる力によって生じた。
そして今も尚、その力によって此処に在る。
この国は星の活動が激しい場所にあり、それ故、吾等の数も多い。』
涼やかな御声は辺りの空気を震わせ、俺の心に染みこんでくる。
以前聞いた時とは違うが、これこそが御陰神様の、本来の御声なのだろう。
気品も、御声に籠もる御力も、間違いない。
『それから、星の活動によって険しい大地と深い海が生じ、
そこに数知れぬ命が満ちるのを吾等は見てきた。
吾等全てがそうだとは言わぬ。だが吾は、この地に満ちる命を愛しく思った。
この地と、この地に住む全ての命を護りたいと思っている。
それだけは、信じて欲しい。』
疑う事など出来ない。
悠久の時を超えて、この地を守護してこられた御陰神様の、御言葉。
『ただ、吾等は抗えぬ、その力に。
吾等には止められぬ、その力が起こす災いを。』
その力によって神々が生じたのなら...
そしてこの国はその力が特に強い場所の1つだと。
『そして吾等の、何よりも深い業が、これだ。』
洩れてくる光が明るさを増し、するすると御簾が開いた。
眼を伏せるか閉じるかを思案する間もなく、これは...もう、眼を逸らせない。
12・13歳?五色の薄衣を纏った御陰神様は、
まるで可憐な少女のように見えた。
以前聞いた御声と違っていたのはこのためだ。
あの時の姫よりも、むしろ年若く。
でも、御陰神様はこの辺りの神々を束ねる主神で、もう何千年も前から。
『この星が活動し大きな力が働くと、吾等もその力を得て時を遡る。
だから、この星の力が尽きぬ限り、吾等は不死。だが...』
御陰神様の右頬に一筋の涙。 胸の奥に響く、深い悲しみ。
『吾は見たくない。星の力で引き起こされた大災害で失われる、数知れぬ命を。
不死の代償がそれらの命だとしたら、むしろ吾は。』
『御陰神様、怖れながら、どうかそれ以上の御言葉は。』
川の神様の、切羽詰まった御声。
確かに、川の神様も以前より若返って見える。
それが人間や他の生物の命と引き替えに...いや、違う。
『原因』となるのがこの星の力という点は同じだが、
それがもたらす『結果』は別だ。
その力は一方で神々を不死とし、他方で大災害を引き起こし多くの命を奪う。
大災害で失われる生物たちの命と引き替えに神々が不死なのではない。
当然、神々が不死と引き替えに大災害を防ぐ事もできない。
何より、悪意を持って我々を殺すために地震や津波が起こるなど、絶対に...
死は、生まれたものの宿命。生まれたのだから、何時かは死ぬ。
この星の力は命を産み出し、飲み込む。
遠い時の彼方、この星の力が尽きれば神々の存在さえも。
ならば。下腹に力を入れ、深く息を吸った。
『此の度の大災害では、亡くなった人々の魂を救うために、
各地から多くの神々が被災地に集い、心を砕いて下さったと聞いています。』
大災害に関わる仕事の前に、当主様は術者を集めて仰った。
『亡くなった者の魂は神々に委ねよう。
きっと見落とすことなく、救い導いて下さる。
そして我々は、残された者が生きていくために力を尽くすのだ。』と。
御陰神様は真っ直ぐに俺を見つめた。その瞳以外、全てが視界から消えていく。
綺麗だ。俺は知っている、この感覚は。
『確かに、自らの業の重みで沈んだ者を除いて、吾等は全ての魂を掬い上げた。
少し時間がかかって苦しませたが、それらの魂は今、この上なく安らかにある。』
暗く、冷たい川の中に跪いている。俯いて水面を見つめた。
上流から、薄紅色の光がゆっくりと流れてきた。
右手がひとりでに動いてそれを掬い上げる。
そうか、この情景は御陰神様の記憶。
『済まぬ。長く待たせて、苦しませて、本当に悪かった。
だが、安堵せよ。苦しみも、痛みも、既に無い。』
右手の下にそっと左手が。右掌にぽたぽたと落ちる滴は...涙?
薄紅色の光は明るさを増し、掌から飛び立つ。まるで、蛍。 これで、良い。
『御陰神様、救うことの出来る魂は、もう。』
『そう、だな。だが、本当に見落としはないか?あの忌まわしき者共の始末は?』
『それはこれを。結界に近付いた者はこのように。』
捧げ持つ槍に貫かれた、浅ましい姿。既に息絶えている。
『皆様方、御仕事を終えて御陰神様を待っておられます。どうか。』
本当か、本当に見落としは無いか。
もう一度心を尽くして上流と、水底に注意を向ける。
大丈夫。悪しき業深く自らの光を失った者以外に、気配はない。
ゆっくりと立ち上がる。衣から滴る水の音。辺りを飛び交う無数の光。
おそらく他の区画でも...他の神々が既に仕事を終えている。
『明日、夜明け前に皆で沢へ参れ。
我等が生物との間に結んだ約束の証を見せよう。』
何時の間にか、俺は川の神様の社、境内に立っていた。
『あの、沢だ。忘れてはおるまいな。』 「それは、勿論。」
「宜しい。では、細君二人と姫と若も。きっと、だぞ。」
「はい、必ず。」
4駆だけでは定員オーバーになってしまう。
細い山道の入り口までは4駆とマセ●ティの2台を使う。
そこから沢の近くまではSさんの運転でピストン輸送。
一回目に俺と翠が降りて待機、2回目にSさん、姫、藍が降りた。
いよいよ出発だ。
先頭はSさん。俺は藍を抱き、姫は翠の手を引いて、後に続く。
「ちょっと待って下さい。今、この藪を。」
この藪を抜けて斜面を降りればすぐ下に沢。
LEDライトで照らした藪の草を踏み分けて、道をつける。
「あれは...」 Sさんの声。 続いて姫の溜息。
振り向いて皆の顔を見て、その視線を辿る。
斜面の先、沢の方向に視線を移した。
数知れぬ、色とりどりの光。
夜明け前の薄闇を照らす、まるで季節外れの蛍。しかし、この色と数は一体?
そして辺りに漂う芳香、微かに鈴を振るような音。
それはこの世ならぬ景色、まるで、秋の蛍祭り。
数知れぬ光は次第に高く舞い、天上を目指すように見える。
そうか。きっと、神々に救われた魂。
『然るべき季節、この沢に蛍が舞う限り、約束は守られる。
それを確かめるために、その季節に御前たちは毎年、此所へ参れ。忘れるな。』
黙ったまま、俺達は飛び交い昇っていく光を見つめていた。
Sさんは微笑んで翠の涙を拭き、その体を抱き上げる。
俺と姫は膝を着き、黙って深く頭を下げた。明るく、静かだ、
この景色こそが、涅槃。日々を懸命に生きた命に、約束された場所。
『啓示』 完
休日の生活習慣改善、朝投稿継続中。
本日投稿予定は1回、任務完了。




