2901 禁呪(上)
第4章の投稿を開始します。
これまでに比べると投稿のペースが落ちると思いますが、
今後も宜しくお付き合い頂ければ幸いです。
2901 『禁呪(上)』
窓の外をひらひらと、白いものが横切る。
雪だ。冷え込むと思ったら、やはり降ってきた。
姫は暖かい上着を着ていったから大丈夫だろうが、滅多にない雪。
渋滞も考えられる。お迎えは少し早目にお屋敷を出た方が良い。
そんな事を考えている時、ケイタイが鳴った。
見慣れた画面表示、姫だ。
この時間の電話は大抵休講に伴う待ち合わせ時間の変更。
「はい、もしもし。」 「もしもし、Lです。」 「休講ですか?」
「それもありますけど、待ち合わせの場所を変えようと思って。」
??? いつもは大学の第5駐車場。
それ以外の場所は初めてだ。妙な、胸騒ぎ。
「一体、どうしたんです?そっちは、かなりの雪とか。」
第5駐車場は大学の本館から少し遠い。雪の状況によっては歩き難いかも。
「ええっと、買い物。そう、買い物です。
それで、大学の駐車場じゃなくて、スーパーマーケットの駐車場。
そこでお願いします。時間は、そう3時過ぎに。」
「スーパーマーケットって、▲○■ですか?」 「はい。」
やはり、おかしい。
たまに買い物をするその店、お屋敷からだと大学より遠い。
大学で姫を迎えてから買い物をした方が都合が良いのに。
何か、電話では話せない、事情?
「了解です。買い物の相談は後で。」 「はい、後で。じゃ、切りますね。」
ホッとしたような言葉を残して電話は切れた。
「どうしたの?お迎えの時間変更?」
Sさんは藍を抱いて、翠と絵本を読んでいた。
「はい、休講と、スーパーマーケットの駐車場で待ち合わせしたいって。」
「スーパーマーケット?変ね、今朝は特に買い物の話はしてなかったけど。」
「何か事情がありそうなので早目に出ます。
多分Lさんは大学から歩くつもりだと思いますけど、この雪ですから。」
「そうね。寒いし、スーパーマーケットへの途中で拾えたら良いけど。
でも、気を付けて。」
「お父さん、きをつけてね。」 「有り難う。気を付けるよ。」
翠の頬にキスをする。手頃な上着を羽織り、すぐに車を出した。
積もるとは思えないが、念のために、四駆。
免許は姫も持っているが、今でも出来る限り大学への送迎を続けている。
姫の希望もあるし、何よりそれは俺自身の希望。
2人きり、車中で話す時間が愛しいから。
大学の正門前を通り過ぎる。
此処からスーパーマーケットまで、車なら5分弱。
出来ればその途中でと思っていたのだが、
やっと姫の姿を認めたのはスーパーマーケットの駐車場。
店の入り口近く、歩み寄る俺を見つけた姫は笑顔で手を振った。
特に変わった様子はない。思わず息を吐く。
「無理に買い物しなくて良いなら、帰りましょう。体、冷えちゃったでしょ?」
「はい。少し寒いです。」 車に戻り、暫くの間細い体を抱きしめた。
「温かい。」 「良かった。」
安心して、思わず少しだけ滲んだ涙。そっと拭って車を出した。
「それで、どういう事ですか?こんな寒い日にわざわざ遠くまで歩くなんて。」
姫は俺の左手に右手を重ねた。まだ、少し冷たい。
「今日、告白されたんです、私。」 「告、白?」
姫が大学で時々声を掛けられるのは聞いていた。
でも、それで何故雪の中をわざわざ遠くまで?
「でも、それだけなら大学の駐車場でも良かったんじゃないですか?」
ストーカーまがいの男でも、例え相手が複数だとしても、
いざとなれば、姫は自分で身を守るのに十分な力を持っている。
そう、相手が強い『力』を持つ術者でも無ければ...まさか。
「相手が幽霊なので、もし駐車場でRさんの前に現れたらまずいかなと思って。」
「幽霊って...」 「はい、タケノブさんって言ってました。」
頭の中が整理できない。
普通、幽霊の意識にあるのは過去だけだ。
生きている人に害をなす事があるのも、
過去の憎しみや恨みに囚われているからこそ。
幽霊が新しい記憶を蓄積するなんて聞いた事もない。
でも、その幽霊は姫に告白を。
つまりその魂は死後に恋をしたというのか?
それとも...いや、理解不能。
「あの、どういう事態なのか、全く分からないんですが。」
「はい、私にも分かりません。だから今夜Sさんに。
一緒に話をしてくれますよね?」
「ミスキャンパスに推薦されたのを断ったって聞いたのは、
ついこの間だったと思うけど...今度は幽霊に告白されるなんて。
L姫様は本当にモテモテね。R君も鼻が高いでしょ?」
Sさんはイタズラっぽく笑った。
「いやあ、それは何とも。複雑というか。」
それ以外に答えようがない。ホットワインを一口、クローブの香り。
翠と藍は既に夢の中。
深夜のリビング、3人での作戦会議は久し振りのような気がする。
「それで、Lにも状況が理解出来ないとしたら、
単純に生霊とは断定できない事情があるのね?」
そうか、姫に恋をした男の生霊。でも、それなら確かに姫が。
「はい。実は『タケノブさん』って幽霊、大学では結構有名なんですよ。
噂では50年位前から現れてるそうで、目撃者も沢山いるみたいです。
私も時々気配は感じてました。でも、この数日急に気配が強くなって。
今日の昼休み、図書館で告白されたんですけど、
他の学生には見えていないし、声も聞こえていないようでした。」
「もし50年前に入学したとしても、67歳か68歳よね。
噂だから10年位の誤差はあるかも知れない。
それにしたって、幾ら何でも不自然。本当に同じ幽霊?」
「はい、それは間違いないと思います。
『ちょっと有名な幽霊です。』って、自己紹介してましたから。」
「待って。その人、自分が幽霊だって自覚してるって事?」 「はい。」
普通、生霊として活動している間の記憶は本体に残らない。
というか、『思わず○×してしまった。』の極端な事例が生霊で、
当然本体はそれを記憶に残したくない訳だ。
稀に僅かな記憶が残る例も有るらしいが、せいぜい断片的な情景を夢に見る位。
何より『自分は幽霊だ』と自覚してる幽霊なんてあり得ない。
「正体が分からないとしたら、
Lさんが明日以降も大学に行くのは危険じゃありませんか?」
「そうね。でもLに告白したんだから、今の所、悪意は無い。
ずっと大学休む訳にも行かないでしょうし...
Lは何て返事したの?ミスキャンパスの時と同じ?」
「はい。『私、結婚してます。御免なさい。』って。」
そう言って、姫を推薦しようとした友人達を絶句させて以来、
姫に声を掛ける男は減ったらしいのだが、その幽霊はそれを知らない訳だ。
「それで、あの。」 姫は言い難そうに俺を見つめた。
「『本当ならあきらめる。だから、その人に会わせて欲しい。』って言われて。」
「『その人に』って、誰に、ですか?」
「鈍いわね。R君に決まってるでしょ。
本当に夫がいるって、会って確かめればあきらめがつくって事よ。」
あの電話、姫の声に胸騒ぎを感じた本当の原因はこれか。
その幽霊と面会するのは俺の同意を得てからという、姫の心遣い。
「良いですよ。そういう事なら、僕が直接会って、話してみます。」
「宜しく、お願いします。」 小さな声、姫は俯いた。 胸が、痛い。
幽霊とはいえ、自分に好意を持ってくれた相手を蔑ろには出来ない。
でも、それで俺に面倒をかけるのは心苦しい。
だから直ぐには言い出せなかったのだろう。
姫の優しさが胸に染みる。
そんな姫を黙って見つめるSさんも、やっぱり優しい。
しかし、言い寄ってくる相手から妻を守るのは夫の、つまり俺の当然の役目。
面倒どころか、誇らしい。自然と、気合いが入った。
『禁呪(上)』了
休日の生活習慣改善、朝投稿継続中です。本日投稿予定は1回、任務完了。




