2801 聖夜①
2801 『聖夜①』
川沿いの裏通り。
吹き抜ける冷たい風の中に、ふと、微かな声を聞いた気がした。
声に集中する。仕事の直後、感覚の拡張に時間はかからない。
・・・助けて 、誰か・・・
間違いない。同調すると、否応無く流れ込んで来る思考と感情。
『私、そんな事聞いてない。ただ食事して、カラオケするだけだって。』
『幾ら何でもそんな訳無いだろ~。金は2倍出す約束だし。な?』
『細かい事は良いから、行こうぜ。気分が良くなる○×も有るから。』
『嫌。止めて、っ!』
胸騒ぎ。
女の子の感情は切羽詰まっている。多分、状況は良くない。
遅刻間違いなしで時間は無い。それに、何だか悪い予感がする。
でもこれを無視したら、何の為に術者をやっているのか判らない。
ビルの間を縫う細い路地。女の子の記憶、その映像を逆に辿った。
連れて行かれたのは路地裏、ラブホテルの前。あれだ。
ビルの隙間に見えたのは男の背中が2つ。 深呼吸、下腹に力を込める。
『何だ。恵子、此処に居たのか?探したぞ~。』
男達が振り向く。そう、出来るだけ人の良さそうな笑顔。
何時だってSさんには『演技派』だと褒められてるんだから。
『あれ?この娘が何かご迷惑でも?申し訳有りませんが、
もう9時を過ぎますし、この娘は高校生。出来れば続きは明日警察で。
○×署には知り合いが居ますから、なるべく穏便に。』
名刺を差し出した右手を撥ねのけて、男達は俺の脇をすり抜けた。
呪詛の声と舌打ちの音。これで、取り敢えずの危機は脱した筈。
ケイタイを取り出し、馴染みの運転手に掛けてみる。
...繋がった。キリスト教の信者ではないが、これが聖夜の奇跡か。
遅刻は最小限で済みそうだ。
「馴染みのタクシーを呼んだから、乗って帰って。
タクシーが来るまで此処に居るし、料金は俺が持つよ。」
背中を向けたまま、必要事項だけを喋る。
今すぐに、他人と話せる状態じゃ無いだろう。制服の乱れを直す間も。
「私、あなたみたいな人って大っ嫌い!自信過剰で、いい人ぶって。」
ああ、やっぱり。最初の予感は正しかった。
遅刻間違いなしで頑張ってるのに、この扱い。
「どうせ、『人助けしてやった』って自己満足してるんでしょ?気持ち良い?」
怯えていた感情の反動なのは分かるけど、何だか歪んでるなぁ。
やっぱり瑞紀ちゃんは自分の気持ちに正直、ストレートで可愛かったんだね。
「あ~あ。『どうして私の名前知ってるの?』って、
聞かれると思ってたんだけどな。頑張ったのに、ちょっとガッカリ。」
「あ...どうして?」
少女が纏っていた固い鎧が少し緩んだ。一体どんな事情が。
「俺、魔法使いなの。聖夜のパーティーに行く途中だったのに、
こんな事に巻き込まれて。完全に遅刻だな~。」
「御免なさい。私、さっきは少し。」
「良いよ。君の事情は聞かない、俺も名告らない。タクシーが来るまでの縁。」
背後で気配が動く。次の瞬間、夜目にも可愛い顔が目の前に浮かんだ。
「私、○本恵子。助けてくれて、アリガト。」
色々事情が有りそうだが、聞けば深入りする事になる。もう、既に遅刻だ。
その時、妙なモノに気付いた。少女の右肩。ゴキブリのような、クモのような。
いや、それではゴキブリとクモに失礼だ。
これは紛れもなく人間の、おぞましい生霊。
これが、この少女を歪ませている、元凶。
全速で感覚を更に拡張し、目の前の生き霊にチャンネルを合わせる。
流れ込む、思考。
『一度売らせたら、その後は何度でも同じ。せいぜい稼いで貰おう。
ああ、俺の女にするのも良いな。まあ全部、●枝が死んだのが悪いんだ。』
込み上げる吐き気、もう十分。 継父? それとも母親のヒモ?
どちらにしても、およそ聖夜にふさわしくない下衆。
恐らく本体は自宅で酔い潰れ、下卑た夢に溺れているのだろう。
「嫌いなタイプの人間にお礼が言えるなんて偉いね。
因みにどんなタイプがお好み?」
「...あなたより少し、ううん、もっと年上の人、多分。」
時間を稼ごうとしただけで、答えなんて期待してないのに。
何で真っ直ぐに答えるかな。でもまあ、この『間』は有効利用させて貰おう。
深く息を吸い、下腹に力を入れる。
『あ、ちょっと待って。虫、かな?右肩、動かないで。』
少女は身を竦ませた。
心の中で言葉を練る。練った言葉を血流に乗せて左手、薬指に送る。
親指で止めたままの薬指に、力を込めた。そのまま左手を少女の右肩へ。
少女が不安げに、横目で俺の左手を見詰めている。
しっかりと狙いを定めた。
生き霊を滅すれば本体の深刻なダメージは免れない。
本来、こんな奴は問答無用。幾ら何でも、自分の義娘にも等しい女の子に。
しかし、今夜は聖夜。
滅するのではなく、その悪意が本体のダメージとして帰るように。
親指の力を抜いた。
『散れ!』
ソレは派手に弾けた後、その輪郭を失い霧消した。微かな呻き声。
「見間違いかな?確かに何かいたと思ったんだけど。まぁ、暗いから、ね。」
「でも、何だか肩が軽くなった。最近ずっと、首も痛かったのに。」
「ところで、俺より年上の方が好みって言ったよね?」
「そう、だけど。」
あの生き霊。これ以上詳しい事情を知る義理はないが、
置かれた環境の中でこの娘は無意識に『父親』を、
安心して身を任せ心休める場所を求めて続けて来たのだろう。
それなら。
「確か45歳、奥さんに先立たれたオジサマとかどう?
君の話をしっかり聞いてくれる筈。渋い感じの、いい男なんだ。」
少女は俯いて唇を噛んだ。
「その人も、さっきの男達と同じ? やっぱり私、そんな風に見える?」
「違うよ。その人は警察の、署長さんだからね。
家に帰りたくない君を保護してくれる。だけど、その人は俺の大事な先輩。
いきなり『あなたみたいな人大嫌い』は困るんだ。」
「分かった。その人に会わせて。全部話すから。このまま家に帰ったら、私。」
そこに、見慣れたタクシーが近付いてきた。
多分、これぞ天の配剤、右手を挙げた。
「安さん。事情が有って、このお姫様を榊さんの所にお送りしなきゃならない。
榊さんたちは今夜忘年会、○△ホテル。今からだと、どの位掛かるかな?」
「この時間だと道も少し空いてきてるけど...
まあ22~23分、2000円って所ですかね。」
「じゃあ20分以内で3000円。
もし15分切ったら5000円、どう?ただし安全運転で、だよ。」
「毎度っ!5000円札はお持ちでしょうね?」 「勿論。」
「安全運転ですが、シートベルトはしっかりお願いしますよ!」
「了~解。」
とても小さいとは言えない車体が、魔法のように細い路地を抜けていく。
「有り難う御座いました~。」 「助かったよ。また頼むね。」
上機嫌で5000円札を受け取った安さんに礼を言い、タクシーを降りた。
続いて降りてきた少女の全身を注意深く観察する。
大丈夫、さっきのアレはもう見当たらない。
執着が強いと一度では祓えない事も多いのだけど。
加減したつもりだが、つい力が入り過ぎたかも知れない。
ただそれで本体が深刻なダメージを受けたとしても、
良心の呵責は一切感じない。
宴会場の入り口、既に賑やかな声が聞こえている。
スタッフが開けてくれたドアを2人でくぐり、少女に声を掛けた。
「此処で待ってて。まず榊さんに話してくる。」
勿論、既に部屋中の人が俺と少女に気付いている。
しかし黙り込んで俺と少女を見詰める粗忽者は居ない。
「おやおや、何の冗談かと思ったら、ホントに女子高生とは。
一体どんな事情だい?」
「『売り』をさせられる寸前で保護しました。」 「組織が絡んでる?」
「いえ、単独です。多分母親のヒモで、母親が亡くなったから、
今度はあの娘を金づるに、と。」
「そうか、それは難儀だったな。」
『万事心得た』という、いつもの笑顔。
振り向いて少女に手招きをした。おずおずと、頼りなげな足取り。
「榊さんに保護してもらおうと思って連れて来たんです。ほら、自己紹介。」
「○本、恵子です。さっき、Rさんに助けてもらって。
それで、此処なら保護してくれる人が。」
「外は寒かったろ。こんなに怯えて、可哀相に。でも、もう大丈夫。」
嗚咽。榊さんの柔らかな雰囲気で、張り詰めていた気が緩んだのだろう。
「恵子ちゃん。R君に出会ったんだから、君は本当に幸運だよ。
泣かなくても良い。俺は榊健太郎。君が望むなら、君を保護する。
婦警さんの方が話をしやすいかな?」
「年上のオジサマの方が安心出来るみたいですよ。話を聞いてあげて下さい。」
その時、低くくぐもった音が響いた。その娘が真っ赤に頬を染めている。
「御免なさい。昨日から何も、食べて無くて。」
確かに、座敷を満たす料理の、良い匂い。
「もうその娘の身は安全なんだから、話を聞くのは明日でも良いでしょ?
取り敢えずお腹いっぱい食べて貰った後で考えれば良い。ね、榊さん?」
Sさんの笑顔。榊さんの両隣に座っていた青年2人は既に移動を開始していた。
さすがチーム榊、見事なチームワーク。これこそが人の心。
キリスト教徒でなくても、最高の夜。 翠を抱いたSさんの笑顔はとても温かい。
「そうだな。恵子ちゃん、ほら、座って。此処の料理は本当に美味いんだ。
まずはどれが良い?あ、それ?じゃ、取って上げよう。飲み物は何が良い?」
肩を寄せた2人の後ろ姿はまるで親子。本当に微笑ましい。
数歩歩いて、少し離れた席に座る。座布団の上で寝ている藍の頭を撫でた。
「やっぱり少し遅刻しちゃいましたね。ややこしい仕事だと分かっていたので、
心積もりはしてたんですけど、それでも思ったより時間がかかって。」
姫は優しく微笑んで、俺のグラスに白ワインを注いだ。
「お仕事が1つ増えたんですから、時間がかかるのは仕方有りません。
ご苦労様でした。お仕事が上手くいって、本当に良かった。」
「仕事が1つ増えたって、一体何の事ですか?それに、『良かった』って?」
危険ではないが滅茶苦茶ややこしくて、どちらかというと救いの無い仕事。
それなのに。
「あの娘です。きっと、偶然じゃ有りません。
今夜あの娘を榊さんに引き合わせる、
それがRさんのもう1つのお仕事だったんですよ。
もうあんな風に打ち解けて、きっと二人の間には深い縁があるんです。それに。」
姫は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「それに、あんな可愛い娘の面倒を見てたら、
当分は榊さんも『Rちゃんに会いたい』なんて言いませんよ。」
それなら確かに、『良かった』という事になるのだが、でも、そうだとしたら。
最初、渋滞を嫌って歩きを選択したのも、普段通らない近道を選んだのも、
俺自身の意思ではなく、あらかじめ約束されていた必然だったって事?
「そう、その通り。これで榊家の跡取りが生まれたりしたら、
あなたは榊家の全員から感謝されるわね。」
思わず少し、白ワインを吹いた。
「ご、御免なさい...ええっと、跡取りって事は、その。
でも、年の差が、かなり。」
「榊さんは26歳の時に結婚して、翌年奥さんが亡くなったと聞いた。
不治の病だと分かっていたけど、榊さんが周りの反対を押し切ったって。
だとしたら丁度、18年前よね。」
Sさんはグラス半分程の赤ワインを一口で飲み干した、穏やかな笑顔。
赤ワインの瓶を取り、Sさんのグラスに注ぐ。少し、手が震える。
榊さんは奥さんに先立たれ、子供はいない。それは知っていた。
しかしそんな話の子細を、こちらから立ち入って聞くなんて出来ない。
詳しい事情を聞いたのは初めてだ。そして、この不思議な付合。
あの娘の、高校の制服、多分3年生。だから17歳か18歳。まさか。
「じゃあ、あの娘は。」
「18年前、私は未だ榊さんと出会っていなかった。
そもそも、もしそれが神様の思し召しなら、
どれだけ優れた術者にも、その子細を確かめる術はない。
でも、前世で果たせなかった約束を現世で果たそうとする。
実現できなかった夢を実現しようとする、そういう例は確かに有る。
どちらにしろ、この出会い。2人の魂に深い縁が有るのは間違いない。」
「2つの魂を引き合わせ、その縁を結び合わせた。
それがあなたの、もう1つの適性。」
囁くような呟くような、Sさんの声。詩歌を吟じるような、不思議な調子。
「ほどけた縁を結び直し、壊れた心を繋ぎ合わせる。
その適性の名は『縁結び』、あるいは『魂繋ぎ』」。
その言葉の響きが心にすうっと染み込んで、胸の奥が熱くなる。
「だからRさんは、縁を結ぶお仕事を沢山任されてきたんですね。
そして、きっとこれからも。」
確かに...しかしそれは結果的にそうなっただけだと思っていた。
それが俺の適性だなんて。
縁を結ぶ適性があるなら、縁を切る適性も有るのだろうか。
責任は重くとも、縁を『切る』よりも『結ぶ』方が、誇らしい任務だと感じる。
それに姫の言う通り、それが適性なら今後もその任務に関わる事が出来るだろう。
術者として、これ以上の幸せが有るだろうか?
本当に良い夜だ。キリスト教徒でなくても、一向に構わない。
まわってきた酒の酔いも手伝って、この夜は、聖夜として祝うのにふさわしい。
そんな気持ちになっていた。
『聖夜①』了
第3章最終話、『聖夜』投稿開始します。
本日投稿予定は1回、任務完了。




