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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第3章 2010
105/279

2702 異教徒②

本日の投稿に際し、作者より再度お願いします。


本作は『宗教対立』に関わる表現を多数含むため、

宗教を信仰される方々に、極めて不愉快な思いをさせてしまう可能性が大です。

心当たりの方は読まずにスルーして下さるよう、強くお勧めします。

勿論、そのような問題を超えて本作を楽しんで下さる方がおられるなら、

作者としてこれ以上の幸せはありません。

2702 『異教徒②』


『現世の者は現世に、異界の者は異界に。』

老人の言葉が終わると同時に、式の封印が解けた。


みるみるうちに、老人の顔に血の気が戻ってくる。

式は問題なく妖を祓い、文字通り、その効果は劇的だった。


「まさか...本当に、痛みが消えた。どうして?」

その老人の体に寄生している妖を祓う。

これは大した仕事ではない。問題はこの後だ。


あの短剣は持参したアタッシュケースの中。

前もって取り出しておく事も出来たが、

助力をお願いした以上、聞き届けて頂けると信じて証を立てなければ。


部屋の空気が大きく震えた。不吉な、禍々しい気配。

一番大きな窓を覆ったレースのカーテンが大きく揺れ、その前に湧き出る黒い霧。

来る。『不幸の輪廻』へ繋がる通路を通って。

予想通り、俺の術では対処出来ない悪霊。


微かに、鈴を振るような音が響いた。


直後、俺の目前に浮かぶ光。ピンポン球程の大きさ。

強い光を放った後、ゆっくりと舞い降り、床の上で光り続ける。

次々と現れ、白銀の光を...そうか、これは『原型』だ。

Sさんの使う、あの奥義の。


その証拠に、白銀の光が数を増すにつれ、

黒い霧は濃度を増すどころか、むしろ力を失いつつあるように見える。

願いは、聞き届けられた。思わず足から力が抜け、床に両膝をつく。

本当に、良かった。


『何故、帯剣していない?私がそれを、咎めるとでも思ったか?』


耳元で、いや、耳の奥深くで響く涼しい声。

咎められるなどとは一瞬も、しかし、お願いをしたからには証を。


『証など要らぬ。それより万一に備え、その身の安全にもっと心を配れ。

今回は特別。願いを叶える機会は、むしろ少ない。

もし御前の身に何かあれば、いくら悔やんでも間に合わないのだから。』


俺の前、2m程先。

黒い霧と俺の丁度真ん中に、若い女性が立っていた。

紺のジーンズとクリーム色のパーカー。

間違いない。あの、御方だ。

降りしきる雪のような、無数の白い光。その中に佇む美しい御姿。

両膝をついたまま、深く頭を下げた。


『愚かな...折角の信心が心の闇を増幅し、

終にはこんなモノまで呼び出す『通い路』を作ってしまうとは。』


突然現れた御姿。その御方が人間でないのは直感で理解できた筈。


「これが、あなたの言う異教の悪魔、なのか。」

その御方は振り返り、その老人に視線を移した。微かな笑み。


『私を、悪魔と...発した言葉は、

どれ程後悔しても取り消す事は出来ないのに。』


その御方はパーカーのフードを脱ぎ、軽く束ねた長い髪を背中に垂らした。

その全身を仄白い光がゆらゆらと包む。

そして何より、その両肩から枝分かれして天井へ伸びていく光。


「燃える、身体...光り輝く、6枚の翼。まさか、Seraph...」


『お前達がそう呼ぶ者は私と同種の存在。』」 小さな笑い声。

『つまり私が悪魔なら、お前達は悪魔崇拝者と言う訳だ。』


古来、仏像の光背や宗教画の光り輝く翼として表現されてきた『後光』。

両肩から3方向に枝分かれしたそれは、確かに6枚の翼のようにも見えた。


『主は聖なる傷跡を示して言われた。

「お前は見たから信じるのか。見ないのに信じる者たち、彼らは幸いである。」

その職にあるなら、当然諳んじているのだろう?』


「ヨハネによる福音書、第20章29節。

何故、その御言葉を...悪魔では、ないのか?」


『不思議だが、異教徒は力を持つ者程、信じる根拠を、理由を欲しがると聞く。

この国に生きる人々は、己が生きている事だけを拠り所にして、

私達の力を信じて生きてきたというのに。』


そうだ、俺がSさんや姫を信じるのに根拠など要らない。

もちろん当主様も、桃花の方様も。

会えたから信じたのではない。きっと、信じていたから会えた。

Sさんと姫に出会う前、俺は自分が生きている意味を理解出来なかった。

世界はまるでTV画面の向こうに広がっているように空疎で、

過ぎていく時と次々に起こる出来事は、いつもどこか他人事だったから。


でも俺はじっとTVの画面を見つめ続けた。そうしていれば、何時か、

こんな俺にも生きている理由があると、その理由が分かると信じて。


「いや、悪魔は天使にすら擬態する。悪魔の王は堕天した天使の長だった。

それにこの国の神話においても、神と人の契約はありふれたものではないか。

信じるのに理由が必要なのはどの国の人間も同じ。」


『その通りだ。自分で言っていて気付かないのか?

お前にはお前の神との契約、異教徒には異教の神との契約があるのなら、

一体、『唯一絶対の神』とは何だ?』

「それは...」


『唯一神を崇める最大の弊害は『事実誤認』。神が唯一かどうかではない。

大多数の者は神を感知できないのだから、どちらでも同じ事。

ただ、『唯一絶対の神』は『それを信じる者は正義』という誤認を生じる。』


その御方は、寂しげな微笑を浮かべた。


『それ故に、お前達は異教徒の信仰を認めない。

例え同じ神を信奉していても、『偶像崇拝』を認めない。

だが、お前の傍らにあるその書物も、お前の首にかかるその印も、

神の姿そのものではない。つまり、偶像』


「違う!偶像とは、例えば木像に金箔を貼った」


ごう、と風の鳴る音を聞いた。

続いて部屋のあちこちで倒れたり落ちたりするものの音を。

寒い。昔風の暖炉に似せたストーブはそのままなのに、

部屋の中を満たす冷ややかな空気。


「お義父様!」

ドアの向こう、気配が駆け寄るより早く、ドアの鍵が掛かった。


『古来、この国に生きる人々は、

世界のありとあらゆるものの中に潜む高次の力を信じて畏怖の対象とした。

希な豊作や豊漁だけでは無く、多くの犠牲を伴う天災にも。

時には人知れず咲く花や路傍の小さな石ころの中にさえ。

もちろん人々が信じる高次の力を擬人化した像も数知れず造られた。

しかし、森羅万象の『全て』が畏怖と崇拝の対象になるのなら、

偶像など存在し得ない。』


その御方は、一瞬俺に視線を投げた。


『高次の力と人々の間を取り持つ者も存在するが、

その役割はあくまで道標。力を持たない者達を光に導くだけ。

もし、自分の力を崇拝の対象にしようと望めば、早晩自壊する。』



部屋を舞い続ける白銀の光が、突然、数と輝きを増した。

そして、断末魔のようなうめき声。その御方の、冷たい微笑。


『無駄だ。既に退路は断った。この部屋からは出られない。』

そう言えば、今にも圧倒的な質量を伴って物質化するかに思われた悪霊は。


『この傷跡を刻んだ鏃、それを作ったモノたちを唆した首謀者。

その悪運も、今此処で尽きる。千載一遇、術者の適性が現出した奇跡。

さて、長居し過ぎたようだ。』


その御方の姿がゆらりと薄れ、人の形を失っていく。



「私は、間違っていたのだろうか。」

その老人は体を起こし、ベッドに腰掛けていた。


瞳という名の女性は、老人の傍らに跪いてその両手を握っている。

最後まで、出来る限りの事をする。それが受けた依頼の『契約』。


「私は、『間違った信仰』があるとは思いません。

とんでもない教義を掲げる邪教でもなければ、

どんな宗教にも、人々の魂を導く意味と役割がある筈です。」


「しかし、先程の、あの御方は私を『愚か』だと。」


「愚直という言葉があるように、『愚かさ』自体は間違いではありません。

『見ないのに信じる幸いな者たち』も、見方によっては愚かです。

では一体、『愚かさ』と『間違い』を区別する基準は何でしょうね。」


あ、マズい。調子に乗って喋りすぎたか。

しかし老人は穏やかに微笑んだ。


「『違和感』。Rさん、あなたは先刻そう言いましたね?」

「はい、確かに。」


「正直に告白すれば、『違和感』。その通りです。

世界に不幸をもたらす争いの根底に宗教対立があると、

それを思い知る度に疑念が大きくなりました。

私が信じているのは、本当に唯一無二の神なのか。

異教徒は本当に、邪教に惑わされた罪人なのか。

でも私が関わってきた異教徒の子供達の眼は決して...」


老人の心が大きく揺れ動いている。それこそ自我の維持さえ危うい程に。

今なら、持続性の後催眠暗示も簡単。だが、それは決して『救い』ではない。

暗示がもたらす偽の幸福の彼方にあるものは、きっと魂の破滅。


俺に出来る事は全てやった。願いは叶えられ、あの御方の助力も得られた。

しかし、この老人が自ら乗り越えなければ、また同じ事が繰り返される。


「依頼された仕事、私に出来る事は全てやりました。

これからは貴方自身の問題です。幸い、貴方の傍には義娘さんがおられる。

沢山、話をして下さい。きっと得られるものがあるでしょう。

ゆっくりと時間をかけて、より良い答えを見つけられるように、祈っています。」



面倒でややこしくて、時間がかかり、どちらかというと救いの無い仕事。

そして、直ぐには完全な答えが出ない。それも、分かっていた。


屋敷の門を出る。寒い。

時計を確認。予想はしていたが、どうやら遅刻だ。

今夜は『聖夜』。○△ホテルでチーム榊の忘年会。

姫とSさんは翠と藍を連れて、もうホテルに着いている頃。


きっと幹線道路は渋滞している。

どうせ遅刻なら、バスやタクシーより、近道を歩こう。

そして○△ホテルに着いたら屈託無く笑えるように、心の整理をしよう。


肩に白いものが舞い降りて、消えた。

積もる事は無いだろうが、きっと聖夜にふさわしい。


賑やかな雑踏を抜け、川沿いの裏道に向かう。

吐く息が白い。頬を刺すような冷たい風が、不思議に気持ち良かった。


『異教徒②』了/『異教徒』完

本日投稿予定は1回、任務完了。次話で第3章は完結となります。

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