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『藍より出でて ~ Bubbles on indigo river~』  作者: 錆鼠
第3章 2010
102/279

2601 花詞①

2601 『花詞はなことば①』


爽やかな風が木々の枝を揺らしている。

もう秋も深い。翠と2人で辿る、細い遊歩道。


...やはり有った。深く葉脈が刻まれた濃緑色の葉と、鮮やかな赤い実。

隣の○×県。『その県民公園には、幼児でも歩ける遊歩道が整備されていて、

すぐ脇にその木が何本か生えている。』 事前に調べておいた情報の通りだ。

近づくと、それらの木々から小さな鳥が数羽飛び立った。

そう。何時だって、鳥たちは美味しい実の在処を良く知っている。


「ゴメンよ。少しだけ、実を分けておくれ。」

呟きながら母の口調を思い出す。良く熟した実のついた枝を探した。

鳥たちや散策の人々の取り残しだろう。実の数は少なかったが、これで、十分。

蘇る、遠い記憶。



母の白く細い指が水筒の水を赤い実にかけ、ぴぴっと水を切る。

「R。ほらこれ、ガマズミの実。美味しいよ。食べてごらん。」

「がまずみって、へんななまえ...でも、あまくて、おいしい。」

「秋の山には、食べられる実が色々有るから。一緒に、探そうね。」

「うん!」


色とりどりの果実、野趣溢れる甘酸っぱい味の思い出。


幼い頃、父と母は代わる変わる俺を野外に連れ出した。

父は釣りとキャンプ、河や海。

母は野原や山、今で言うならライトトレッキング。

父はともかく、頻繁に俺を野外に連れ出した母の意図を、今にして思う。

俺の感覚の一部を封じて、

でも季節の移り変わりを感じる感受性はしっかり育てたい。

きっと、そういう思いから。自分の子をもって、初めて知る母の愛情。



「お父さん、どうしたの?」 小さな体を抱き上げる。

「ほら、あそこに赤い実があるでしょ?」 「うん。」


程度の差はあれ、翠も俺と同じだ。

翠が一歳半の時、Sさんはその感覚の一部を封じた。

あまりに強過ぎる感受性が、後の災いを招かないように、と。

お屋敷は一種の閉ざされた環境。しかも感覚の一部を封じられて翠は育つ。

勿論、Sさんと姫は普段から翠の情操教育に心を尽くしている。

沢山の絵本や音楽。そして初歩的な舞と謡。


ただ、この国の美しい四季に感じる心を育てるには、何より実体験が必要。

ある程度の距離を歩けるようになった頃から、

出来るだけ翠を野外に連れ出すように心がけていた。

それは勿論父親である俺に与えられた大切な、役目。


ガマズミの実を一房取り、ペットボトルの水をかけた。ぴぴっと水を切る。

「食べてごらん。甘酸っぱくて、美味しいよ。」 「ホントだ。あま~い。」

何時の日か、翠が子供を産み、その子にこの実を食べさせる日が来るだろうか。

屈託のない笑顔を見ながら、そんな事を考えていた。



「お父さん、これで良い?」

「OK、次はマットレスと毛布を運ぼうか。」 「うん!」


穏やかな日差しの中、お屋敷の庭に翠と2人でテントを張っている。

最近読んだ絵本の影響だろう。翠がキャンプをしたいと言い出し、

どうしてもテントで寝たいと言って聞かなかったからだ。


実家には俺と父親が使っていたテントがあるが、

取りに帰るとそれだけで丸1日かかる。街で新しいテントを買った。

余裕を見て3~4人用。テントで寝るのは翠と俺だけだから広さは十分。

今夜の天気予報も問題ない。

放射冷却の冷え込みに備えて、温かい上着と毛布を用意すれば準備は万全。


まずは皆で夕食、庭に設置してあるグリルで魚介類のバーベキュー。

後片付けをしてから一度お屋敷に戻る。翠を風呂に入れてパジャマを着せた。

その後いよいよ翠と2人、テントでお泊まり。

勿論、Sさんと姫と藍はお屋敷の中。

テントで寝るとはいえ、トイレや翠がぐずった時にはお屋敷に戻れる。

お気楽なキャンプ。


テントの天井から吊したランタンのスイッチを入れた。

当然、ガス式の方が風情は有る。でも翠の火傷など万一を考えて蛍光灯式。

LED式も魅力的だが、店で試したものはどれも明るさの割に眩しく感じた。

消費電力や耐久性に優れているし、懐中電灯としては既に定評があるけど、

正直、現時点ではテント内に最適の照明器具とは言えないと思う。


テントを張ったのはガレージの裏。

初めはウッドデッキの上を提案したが、翠に即却下された。

確かにウッドデッキではあまりに雰囲気がない。やはりこれで正解。

広い庭の外れはそれなりに暗いし、

これなら翠にとってかなり本格的なキャンプの気分だろう。


「かんぱ~い。」 「乾杯。」

翠は麦茶、俺はビール。小さなクーラーボックスは満杯、夜食とつまみも十分。

これはもう、キャンプというより、最近海外で話題のグランピングだな。

まあ、最初から色々不自由の多いストイックなキャンプはハードル高いし、

翠の最初のアウトドア体験としては最高の条件だろう。


「どう?もう外は真っ暗だけど、怖くない?」

「ぜんぜんこわくない。とってもたのしい。

それにね、もう少ししたらお客さんたちが来るよ。」

「お客さん?」

「そう、山のどうぶつたち。くまさんとか、ぴっぴちゃん(※鳥)とか。」

!? しまった、キャンプしたい理由はそれだったのか。


多分、絵本の内容が幾つか、ごっちゃになってる。

これはさすがに予想してなかった。 ちょっと、マズい。

この辺りにクマはいない。キツネはいるが、絵本のように訪ねて来る訳がない。

でもそれじゃ翠の機嫌が。


一気に大ピンチ、それとなく、客は来ないと説得しないと。


「この辺りにクマはいないし、夜は鳥たちも寝てると思うな。」

「じゃあ、お客さん、だれもこないの?」 翠の表情がみるみる曇る。


マズい。かなり、マズい。


「あ、でもキツネなら夕方暗くなってから見たことがあるよ。

山道で自転車に乗った帰りに。」

「え~、いいなあ。かわいかった?」

「可愛いっていうか、綺麗で、強そうだったよ。目が、きりっとしてさ。」

「じゃあ、こんやのお客さんはきつねさんかな?たのしみだね。」


あ、いや、そうじゃなくて...何やってんだ俺。


相性の問題らしいのだが、翠には俺の術が効かない。

Sさんにそれっぽい式を寄越してもらうしかないだろう。

あとでトイレに行くふりをして。


その時、テントの入り口を叩く音がした。


「やっぱり来た。お客さん。」 「翠、待って!」 慌てて抱き止める。

お屋敷の周りの土地は巨大な結界になっていて、悪しきモノは近づけない筈。

今頃このテントを訪ねて来るとしたら多分...

だが、用心するに越したことはない。


翠の手を握ったままテントの入り口から様子を伺う。小さな、白い影。やっぱり。


「な~んだ、くださんかぁ。お客さんだと思ったのに。」

「姫、なんだとはあんまりな。管が、折角この仮屋を訪ねて参りましたのに。」

さすがにSさん、用意が良い。まあ、一応キツネだし。


管さんは何故か翠がお気に入りで、しかも敬語だ。俺にはずっとタメ口なのに。

するりとテントに入り込んで入り口のジッパーを閉めた。相変わらず律儀な事で。


「秋の夜は長きもの。退屈凌ぎに、昔話などお聞かせしましょう。」

「うん、聞きたい聞きたい。はやく、はなして。」


管さんは翠の膝の上に丸くなって話し始めた。

もちろん、管さんの話は面白い。これで翠の気が紛れれば、本当に助かる。

紙コップにチューハイを少し注いで翠の傍に置いた。

そういえば鮭冬葉も買ってあったっけ。

あれは小さくちぎって紙皿に。どちらも管さんの好物。


管さんは昔話を続け、翠は眼を輝かせて話に聞き入っている。

既に11時過ぎ。クーラーボックスにはビールとチューハイが数本ずつ。

陶製のワインクーラーに赤ワインも1本冷やしてあるが、

翠を残してトイレに行くのも気が引けるし、立ちションは教育上宜しくない。

酒量は控えめ。


それより問題なのは、翠が一向に眠そうな素振りを見せない事だ。

術で寝かせるのは無理だし、うっかり俺が先に寝てしまったら、

明日Sさんと姫にこっぴどく叱られるだろう。

やはり翠を管さんに任せて、一度Sさんか姫に相談を。

いや...きっと2人はもう寝てる。


その時、翠が振り向いた。微笑んでテントの入り口を見詰める。


「お父さん、ほんもののお客さんだよ。やっぱり来たね。」

テントの入り口を叩く、小さな音。あれは一体...。

管さんが翠の膝を降り、俺の肩に駆け上がった。小さな声で囁く。


「かなり古い妖だ。悪意は感じないが、意図が読めない。

力が強いから、対応を誤るな。」


再び入り口を叩く音。

『それ』は既にテントのすぐ外にいる。お屋敷の結界を抜けた訳だ。

なら俺の張る結界では止められない。それに、もしテントを壊されたら。


「妖をテントの中に入れろ、ということですか?」

「事を荒立てるより、話を聞いた方が良い。失礼の無いように。」


そっと入り口ににじり寄り、声を掛けた。

「はい。どちらさま、でしょうか?」

「○×の山中に住む、◇◆○の使いの者で御座います。

先日お見かけした姫君に是非お目通りしたいと訪ねて参りました所、

丁度この仮屋で宴が。

僭越ながら、宴の末席に加えて頂きたく、お願いに上がりました。」


○×? ということは、先日翠と2人で県民公園に行った時か、

でもあの時、特に変わった気配は


「いらっしゃいませ。どうぞ、なかへ。」 あ、翠、まだ。


するするとジッパーが開き、入り口の布がめくれ上がる。

これは。 狩衣のような着物を着た、小さな、人。

いや、人の形をした、一体、何? それは深く一礼した後、入り口をくぐった。


「有難う存じます。姫君への贈り物と、父君へは酒肴を御用意致しました。」

「ありがとう。」 いや、翠、だからまだ。

まあ、物心ついた頃から式を見慣れているから無理もない。

でも、せめてもう少し警戒心ってものが。それとも、これは夢か?


小さな人が手を叩くと、めくれ上がった入り口からもう1人、また、1人。

荷物を捧げ持った小さなモノが次々とテントに入ってきた。

どれも背丈は40cm程。先頭の1人は木の枝を捧げ持っている。

満開の白い花、テントの中に微かな芳香が漂う。


素朴な一重咲き、この辺りでは見かけない花。

でも、この香りは何処かで。続く2人の荷物は小さな三方。

でも、それらの背丈に比べればかなり大きい。重そうだ。


三方の1つには秋の果実。アケビとヤマブドウ、ガマズミ?

もう1つの三方には小さな銚子と杯。それと、赤っぽい干し肉。

「大したものでは御座いませんが、どうぞお納め下さい。」

最初のと合わせて小さなモノが合計4人(?)、揃って手を付き頭を下げた。


「きれいなお花、いいにおい。お父さん、これ、いけて。」


満開の枝を受け取った翠は上機嫌。

陶製のワインクーラーに水を張り、枝を活けた。即席の花器。

白い花弁が一枚、ひらりと散った。

「これ、なんていうお花?」 そうだ、まだ花の名を。


「宜しければ、花の名前を教えて頂けませんか?」

「はて、主自ら用意した花ですが名前までは。」

「その花は『さんか』であろう。」 「いや、『さんさ』だ。」

「我らは無粋者にて、花の名は。申し訳ありません。」


さんか? 山花か?

秋から冬の、山の花と言えば...藪椿? 確かに葉は似ているけど。


「ボンヤリするな。礼の口上を。」 管さんが囁く。 これは夢じゃ、ない?

「花の名は家の者に聞けば分かるでしょう。」 そう、Sさんなら多分。

「それより、どれも季節の瀟洒な品々。有難う御座います。」 手をついて一礼。

「気に入って頂けて、何より。では、まず父君に。」

「杯を持て。一口で飲み干したら返杯。そうだな、紙コップに葡萄酒を。」


淡く黄色味がかったその酒は甘味が強く、不思議な香りがした。

深い山に満ちる気のようなものが、喉から鼻に抜けてくる。 本当に、旨い。

「これは、美味しいお酒ですね。初めての味ですが、とても良い香りです。」

「椎と栗で醸した酒で御座います。毎年仕込んでおりますが、

昨年は山が豊かで、殊の外に良い出来で御座いました。」


猿酒、か。手軽に果汁を発酵させた酒でなく、

本来はドングリなどの澱粉から手間暇かけて醸した酒をそう呼ぶのだと、

父から聞いた憶えがあった。でも、実際にそんな酒を醸し、干し肉を作るなんて。

随分と風雅な生活をしているモノたちらしい。さて、返杯の用意を。


紙コップを4つ並べ、少しずつ赤ワインを注いだ。紙皿に鮭冬葉を一掴み。

「では御返杯。舶来の葡萄酒と鮭の乾物です。皆様、どうぞ。」

「有り難く頂戴致します。」 「むう、これは極上の美酒。」

「この朱色の身。鮭とは、あの大きな川魚か?」 「どちらも、実に美味い。」


「あま~い。これ、とってもおいしいよ。」 翠が食べているのはアケビの実。


椎と栗で醸したという酒と、赤っぽい干し肉との相性は抜群。

何杯でも飲みたいが、相手の意図が分からないのだから正気を保たねば。

そんな俺を尻目に、翠は果実をほとんど食べ尽くしている。

深夜のテントに不思議な客。奇妙な宴会が続いた。


『花詞①』了

休日朝活継続中、『花詞』投稿開始です。

本日投稿予定は1回、任務完了。

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