2506 贐(結)
2506 『贐(結)』
昼寝から覚めると、窓の外は既に暗くなっていた。時計を確認。
もう7時過ぎ。着替えて顔を洗い、飛びついてきた翠を抱き締める。
温かい、命の感触。 『仕事』を終えた後は、特に温かくて、愛しくて。
「夕食、出来てますよ。」 姫がダイニングから顔を出した。
「スカウトの件、上手くいきそう?」
ダイニングで食器を洗っていると、
Sさんがハイボールのグラスを持って来てくれた。
姫はリビングで翠と藍の相手をしてくれているのだろう。
「う~ん、五分五分、ですかね。
心が決まったら電話して下さいって言っておきました。」
「美人で、頭も良い。あなたへの信頼と依存も深かった。
今朝、ソファに押し倒しちゃえばスカウトの成功は確実だったのに、
変な所で律儀なんだから。ホント難儀な性格よね。」
...Sさんお得意の憎まれ口には慣れている。
兄との関係を知った後、彼女と接する時に、
俺はいつも彼女の『弟』の立場を意識した。あくまで『模擬』だけど。
それでも姉弟や異性の友人同士、体の繋がりに依存しない強い絆を実感する。
彼女が生まれ変わるには、それが絶対に必要だと思ったから。
そして、Sさんも同じ意見だったのに。
つまり俺の心を読むのが怖いから、鎌をかけて、俺の口から聞きたいって事。
全く、難儀な性格はどっちなんだか。
「彼女が泣き止むまで、ずっと手を握って肩を抱いてました。それだけです。
それで、外法に手を染めた術者と同じような事をして良いなんて、
まさか本気じゃありませんよね?」
Sさんは両手で俺の頬を挟み、唇にキスをした。
「冗談よ。怒らないで。愛する夫が綺麗な女性の部屋にお泊まり。
しかも帰ってきたのはお昼前。ちょっと位、愚痴を言っても良いでしょ。
お願い、機嫌直して。」
小さく溜息をつく。やっぱり心にもない事を。
「怒ってなんかいませんよ。それよりスカウトの件、どうなったんですか?」
「心当たりに電話したら、すごく乗り気だった。
もしスカウトが失敗したら断るのが怖いくらいに。」
「もう、おとうさん!あらいもの、まだおわらないの?」
頬を大きく膨らませた翠の後ろで、姫が笑いを堪えている。
「あ、御免。もうすぐ終わるから、それから一緒に絵本読もうね。」
数日後、夕方5時過ぎに市内の総合病院を訪ねた。
ロビーを見回す。
その女の子は、すぐに分かった。ベンチに座り、外を見ている。
誰かを待っているような、何かを怖れているような、寂しげな表情。
傍らに小さな松葉杖。胸が痛いが、回復は順調で退院も近いと聞いていた。
ゆっくりと歩み寄り、その子の隣に座った。
怪訝そうに俺を見た女の子に声を掛ける。
「○村佳奈子ちゃん、でしょ? お誕生日、御目出度う。」
女の子は目を丸くした。
「どうして私の名前を?それに、誕生日も?」
背中を丸めて、女の子と視線を合わせた。
「僕は魔法使いなんだよ。君のお父さんの古い友達でね。
だから仕事を頼まれたんだ。」
「でも、私のお父さんは。」
「そう。9年前、お父さんが亡くなる前に約束をした。とても大事な約束。
「どんな、約束?」
声を潜め、女の子の耳に囁く。
『君を護る、約束。』
「君には、恐ろしい妖怪が取り憑いてる。
その妖怪は、君の大切な人に化けて君の命を狙う。
しかも、君が成長するにつれて妖怪の力も強くなるんだ。
このままだと、何時か君は妖怪に飲み込まれてしまう。
だから君を護ってくれって頼まれた。そして今日が、その約束を果たす日。」
「大切な人に化けるって...お母さんとか?」
やはり、この子は自分を襲ったモノを見ている。まるで母親そのものの、式の姿。
自分を襲ったのが、大好きな母親だなんて信じたくない。
それで、子供心に必死で自分の記憶を。だから3度とも怪我の原因は不明。
「油断させて、襲うんだ。ほら、その足の怪我にも妖怪の気配が残ってる。
原因の分からない怪我をするのはこれが初めてじゃないでしょ?」
女の子の表情が、突然ぱっと明るくなった。
「うん、3回目。でも、私の怪我は悪い妖怪のせいだったんだね。」
「そう。だから、これを持ってきた。世界で一番、強力な御守り。」
女の子の視線を十分に引きつけて、それをポケットから取り出した。
銀のハートに、細いプラチナのチェーンを通したネックレス。
「ほら、綺麗でしょ?これをあげる。
そしたら、もう二度と、妖怪は君に手を出せない。」
「でも、そんな綺麗なもの貰ったら、きっとお母さんが。」
「大丈夫、お母さんにはこう言えば良い。
『この御守りはお父さんのお友達だった魔法使いから貰った。』、
そして、『ずっとこれが私を護ってくれるって言ってた。』って。
どう?ちゃんと言える?」
女の子は大きく頷いた。
「じゃ、かけてあげよう。お父さんとお母さんの想い、大事にするんだよ。」
白く、細い首の後ろで留め金を留めた。ゆっくりと、立ち上がる。
「良く似合う、これでもう大丈夫。じゃ、僕は行くよ。
次の仕事が、あるからね。」
「あの、名前。お兄さんの名前を、お母さんに。」
「R。お母さんには、それで分かるよ。さようなら。」
「...さよ、なら。」
それから二ヶ月程が過ぎ、お屋敷の周りでも秋の気配が深まっていた。
榊さんに依頼された仕事を終え、お屋敷に戻ると玄関先に見慣れた軽トラ。
『藤◇』の文字。「あざっした~。」 配達の人の元気な声。
「いつも御苦労様。」すれ違いながら声を掛ける。
仕事で消耗した俺のために、Sさんと姫が、出前で美味しい寿司を?
ドアを開けた。 何だ、これ?
差し渡し1m近い舟盛りが二艘。豪華な寿司とお造り。
そして紅白の紙で包まれた日本酒。
「おかえり~。おとうさん、こんやはごちそうだよ。」
翠と、その後ろにSさんと姫の笑顔。
「これは、みどりの。きれいでしょ?」
「美味しそうだね~。全部食べられるかな?」 「うん!」
翠が持っている折り箱には色とりどりの小さな手鞠寿司。
藤◇の大将の、心遣いだろう。
「もう少し早かったら、電話で話せたのに。残念でしたね。」
電話...誰かが俺に電話を?それに、この舟盛り。何かのお祝い?
「あの、今日って何かの記念日でしたっけ?全然、憶えてなくて。」
姫とSさんは顔を見合わせて微笑んだ。
「結納のお祝いよ。美枝子さんから『弟君』に。」
美枝子...あの女性の、結納?
「相手は私の従兄。彼女より2つ年下で、きっとお似合いだと思ってたの。」
彼女の指導を引き受けたのがSさんの叔母夫婦だという話は聞いていた。
『お似合いだと思ってた』というのなら、
それも紹介先を決める条件の1つだったんだろう。
あの朝、押し倒していたらマズい事になってたんじゃ...
いや、誓ってそんな気は無かったけれど。
「式は来月、是非家族で出席して欲しいそうです。電話、かけ直しましょうか?」
「あの、娘さん、佳奈子ちゃんは?」
「叔母と従兄が佳奈子ちゃんをすごく気に入ってて、
佳奈子ちゃんも懐いてるみたい。」
それなら、心配ない。安心したら腹が...空腹で倒れそうだ。
「もう、式には出席するって返事したんですよね?」
「勿論!」 Sさんと姫は声が重なった。
「じゃ、まずはその御馳走を。もう、お腹ペコペコで。電話は御馳走の後に。」
「了解です。それにしても、Rさんて。」
「え?」 姫が真っ直ぐ俺を見つめている。
「最近、何だかとても頼もしい感じで、素敵です。」
「あ、あの、そうですか。え~っと。」
「何赤くなってるのよ。全く、デレデレしちゃって、見てられないわね。」
『贐(結)』了/『贐』完
本日投稿予定は1回、任務完了。
次話の検討と投稿準備のため、明日からお休みを頂きます。
その間、別系統の作品を更新予定なので、そちらをお読み頂ければ幸いです。




