0209 出会い(下)①
R4/06/20 追記
此方にも「いいね」を頂きました。
自分でも気に入っている作品ですので、とても嬉しいです。
投稿をする上で、何よりの励みになります。
本当に有り難う御座いました。
0209 『出会い(下)①』
「何か変。」
買い出しから帰ってきて車を降りるなり、Sさんが言った。
「不審な車、ですか?」
後部トランク一杯の買い物袋を両手で運ぶ。
10月の終わり頃からだったと思う。
この辺りの交差点など要所要所を、何台かの車が巡回している。
昼間はあまり見かけないが、夜間は頻繁に巡回して
他の車の出入りを監視していると聞いていた。
Sさんが『監視を『上』に頼んだの。強行突破の可能性もゼロじゃないし。』
と言っていたので、いよいよ不審な車の報告があったのかと思ったのだ。
「ううん、車じゃない。ただ、この辺りで結界の力が弱くなってる。」
「アイツ等の仕業ですか?」
「まだ判らないけど、可能性はある。用心しておいた方が良さそう。」
「アイツ等の式が此処に来る事もありますか?」
あの不気味な、赤い目玉を思い出していた。
「式は此処には近づけない筈だけど...
変わったことがあったら何でも知らせて頂戴。
それから、この話、Lには暫く黙ってて。心配すると思うから。」
「了解です。」
これが、アイツ等からの接触と干渉の始まりだったのかも知れない。
窓際の椅子に座り、アパートから持ってきた文庫本を読んでいた。
カチ、と音がして電子カレンダーの日付が変わった。11月11日0時0分。
「あと2週間、か。」
カーテンを閉めてベッドに入る。姫はとうに部屋で寝ている時間。
前から良く眠る娘だと思っていたが、最近は更に良く眠るようになった。
女の子から女性へと体を作り変えていくのに、睡眠が不可欠なのか。
そんな事を考えながら電気を消した。
微かに話し声が聞こえている。
大きな窓に白いカーテン。ベージュ色の壁、小さな、明るい部屋。
これは、夢?
小さなテーブルを挟んで男が二人。向かい合って椅子に座っている。
初老の男と若い男。初老の男の背後には制服姿の少女が立っていた。
若い男の顔には、額から右の頬にかけて、目立つ大きな傷跡が見えた。
それから部屋の隅、小さな女の子がフローリングの床に座っている。
遊んでいるのか、手には大きなクマのぬいぐるみ。
「この子は『あの力』を受け継いでいる。力が発現してからでは手遅れだ。
出来るだけ早く、始末しなければならん。できるだけ早く、な。」
口を開いたのは初老の男。感情を押し殺したような低い声。
「Lの力を封じる事は、出来ませんか?」 若い男の声は震えていた。
「無理だ。抑えておけるのも15歳まで。16歳になれば必ず発現する。」
「...判りました。せめてLは私の手で...お願いします。」
15歳? 16歳? L? これは何だ。俺は何を見ている? 嫌な、予感。
突然、初老の男が呻いて胸を押さえ、椅子から床に崩れ落ちた。
若い男は驚いたように立ち上がる。
しかし、初老の男の背後に立っていた制服の少女に、驚いた様子はない。
むしろ、その横顔は微笑んでいるように見える。
「お前、何をした?まさか、内通者は。」
若い男は制服の少女をにらみつけたが、やはり崩れるように倒れた。
2人とも、もう動かない。
女の子は座ったまま、床に倒れた2人をボンヤリ見ている。
「おじいちゃんとおとうさん、どうしたの?」
不思議そうに、女の子が尋ねた。
何時の間にか女の子の傍に、制服の少女。ゆっくりと床に膝をつく。
「寝ちゃったみたい。Lも、もう寝なきゃ。一緒にお部屋へ行こうね。」
知ってる。この声は確かに、聞いた事がある。誰の、声だったか。
「うん!」
女の子が元気よく返事をすると、制服の少女が立ち上がった。
ゆっくりと女の子を抱き上げる。
「良いお返事。」
その時、ハッキリと見えた。制服を着た少女の顔。
...Sさん。 高校生くらいに見えるが、間違いない。
「持って生まれた力を封じるなんて、勿体ないわよね。
力は、使うためにあるんだから。ふふ、ふふふふふ。」
笑い始めた。心底楽しそうな、ゾッとする笑顔。
「ははははは。あはははははははは。」 変だ。これは本当にSさんなのか?
突然、小さな女の子が少女の肩越しに俺を見た。
整った目鼻立ちに、姫の面影が重なる。
「おにいさんも、いっしょにいこう、ね?」 「あら、良い考えね。」
全身が総毛立つ...でも、何と言えば良いのだろう。
怖いだけじゃなく、寂しくて、とても哀しい。
女の子が幼い頃の姫だとしたら、そして心から、俺に呼びかけているとしたら。
俺は、応えるべきじゃないのか? そして幼いあの子を、姫を、この手に。
いや、姫は15歳。この部屋じゃなく、お屋敷に居る。そう、Sさんと一緒に。
一体俺はどうすれば? 頭の中に、けたたましい警報が響く。
「おにいさんも、いっしょにいこう。わたし、おにいさんのこと、だいすき。」
意識が途切れた。
気がつくと、時計は5時24分。ひどい寝汗をかいていた。
ベッドから出て服を着替えていると、小さくノックの音がした。
「起きてる?」 Sさんの声。 「はい。」ドアを開けると、
パジャマに厚手のカーディガンを羽織ったSさんが立っていた。
「話があるの。良い?」 俺は黙って頷いた。
11月中旬、朝方の空気はかなり冷たい。薄暗いダイニングルーム。
Sさんは熱いコーヒーを淹れ、両手をカップで温めながら話し始めた。
「さっき、嫌な感じがして目が覚めたら、
この家の中に入り込んでた。それも式じゃなくて、本体が。」
『式』でなく『本体』。
まさか、Sさんの結界を抜けて? それは、かなりマズい状況じゃないのか。
カップを持っていても、寒気がして手が震える。
「君が動揺してるのを感じたから、君の意識に干渉してると判った。」
一度言葉を切って、真っ直ぐ俺を見つめる。 何故か、手の震えが止まった。
「ね、さっき何があった?君は何を感じた?」
「...変な、夢を見ました。」 「どんな夢?」
夢の内容を出来るだけ詳しく話した。
初老の男、顔に大きな傷跡のある若い男。
笑われるかもしれないと思ったが、
Sさんに似た少女や、姫の面影がある女の子の事を話した。
そして、彼女たちの最後の言葉も。
Sさんはずっと俺の眼を見ながら、黙って話を聞いてくれていたが、
俺が話し終えると、質問をした。
「その男性2人に見覚えはある?」
「いえ、全然見覚えはありません。知らない人達でした。」
Sさんは暫く黙った後で呟いた。
「う~ん、思ってたより、ずっと難しいな。」
アイツ等がここまで侵入したんだから、それは。
「悪い兆候って事ですか。」
「良い兆候もあるし、悪い兆候もある。
式は此処に侵入できない。当然、君に干渉することもできない。
だからアイツ等の1人が、直接此処に侵入してきた。
とても強い力を持つ術者は、結界を抜けて直接君に干渉できる。
でも『本体』なら、侵入経路の痕跡を辿って、居場所を特定できる可能性が高い。
それだけのリスクを冒して侵入してきたんだから、私たちの方針と作戦は
間違っていないし、相応の効果を挙げている証拠。これは良い兆候。」
「悪い兆候は?」
「君は、さっきの夢を見てどう思った?正直に聞かせて。」
「ええと、もしあの夢の内容が真実だとしたら、ですけど。
Lさんを守るのは本当に正しい事なのかって、そう思いました。」
「君、ホントに優しいのね。」 小さな、溜息。
Sさんは立ち上がってテーブルを回り込んだ。
俺の頬にキスをして、そのまま隣の椅子へ座る。優しい笑顔。
ゆっくりと、体が温まっていくような気がした。
「ホントは『Sさんに騙されているんじゃないか?』って思ったんでしょ?」
「正直、騙されているのかも知れない、と...。済みません。」
「謝る必要は無いわ。結果的に私の結界は抜けられてしまったし、
細かい事まで説明していなかったのも私の責任。
でも、結局は君自身が何を信じるかって所に行き着く。
それを承知の上で聞いてね。」
深呼吸。集中、Sさんの言葉、一言も聞き漏らさないように。
「君の心がLから離れれば、Lは直ぐにそれを感じ取る。
そしてLの心は君に出会う以前、いや、それよりも悪い状態に戻ってしまう。
もちろん回復の時間も無い。それがアイツ等の狙い。
じゃあ、その為に、どうすれば良い?」
また、背中にゾワゾワと悪寒が這い上がってくる。
「1つ、君を誘惑して君の心をLから離す。これは予想が簡単、レベルⅠ。
2つ、Lを守る事が正しいかどうか、君の心に疑問を忍び込ませる。レベルⅡ。」
「それじゃ、あれは。あの夢は。」
「意識に干渉されて、幻視を見せられた。その内容は...
同じテーマで無数のシナリオが書ける、それこそ無数に。
つまり、直接手を下せない時には、標的の意識に干渉して
心のあり方を変えていく。それがアイツ等の常套手段。
標的の記憶や嗜好。標的本人が心の底に沈めて忘れているトラウマ。
それこそ利用できるものは全て利用する。
今後、初恋の相手や親しい友人、家族が夢に出てきたら、用心してね。」
...うん、頑張る。頑張るよ。姫のためだから頑張るけど。
俺は術者じゃない、ただの一般人なのに。 そんなの幾ら何でも。
「それから、始めに『難しい』といったのは...
君と、アイツの意識がとても強く共振しているから。」
アイツ?
Sさんが「アイツ等」でなく、「アイツ」と単数形で呼ぶのは初めてだ。
「侵入したのが誰なのか、判ってるんですか?」
「相変わらず冴えてるわね。そう、99%間違いない。
アイツ等の中でも飛び抜けた力の持ち主。普通の結界ではまず止められないし、
意識への干渉力も桁違い。恐ろしい相手。」
「でもね、どんな術者でも、
さっき聴かせて貰ったようなハッキリした幻影を、
最初の接触で標的の意識に送り込んで共有するのは無理。
その段階では、まだ『通い路』が確立できてないから。
だから、幻影に登場する人物の顔や声は、標的の記憶に任せる事が多い。」
「でも、君が見て声を聞いた男性2人は君が知ってる人じゃなかった。
私とLだって、多分何年も前の姿だから、君の記憶の中の映像や声じゃない。
とくに幼い頃のLについてはね。いくら有力な術者だとしても、
いきなりこんな大掛かりな幻影を共有するなんて、
意識の強い共振に基づく『通い路』が確立されていなければ不可能だわ。」
「そういえば、僕と、その人の意識が共振してるって。それは。」
「多分、君とアイツには何か共通点がある。」
「そんな、どうして...僕と、その人にどんな共通点が?」
「具体的にはまだ判らない。でも、Lとアイツには血縁があるの。
Lが君に強く反応したように、アイツも君に強く反応してる。そして。」
ちょっとだけためらってからSさんは続けた。
「気を悪くしないでね。多分君自身もアイツに強く反応したから、
2つの意識が強く共振した。信じられない程に強く。そう、考えるしかない。」
「僕はその人の姿を見てないし、声も聞いてませんよ。何で僕がその人に。」
「意識は人の内面のエネルギーだから、意識の共振に姿や声は関係ないの。
文字通り、『波長が合う』としか言いようがない。それから、憶えておいて。
君はもう感じているようだけど、アイツは女性。名前はK、年齢は多分21。」
「どんな術でも、そしてそれが強い術であればある程、
術には術者の個性が滲み出る。相手が女性だと判っていれば、
術に対応する方法を選択する手がかりになるかも知れない。」
「あの、今後はああいうのが何度も起こるんですか?」
そんなの、想像するだけで気が滅入る。
「度々『本体』を侵入させたら確実に居場所を特定されるから、
そんなに何度も起こるとは思えない。でも、対応策は必要ね。」
その日の午後、姫の勉強の時間に俺も図書室に呼ばれた。
Sさんが教えてくれたのは常に意識の一部をコントロールし、
不用意に他人の意識と共振するのを防ぐ方法。
『意識の中で、他人との共感、例えば思いやりとか空気を読むとか、
そういう事に関わる部分をコントロールして『鍵』を掛けてしまえば
相手との共振は起こらない』と、Sさんは言った。
姫と2人、会話として全く成立しない言葉をやり取りをする実習。
それを繰り返す内に、何とかコツが掴めてきた。
イメージは、相手の話を全く聞かない人同士の噛み合わない会話。
ただ、本来は相手との接点を探し、共感を基盤にして会話するのが普通。
なのに相手との共感を封印して会話を続けるのは、えらく疲れる。
「君、本当に素質あるのね。今回の件が片付いたら本気で術を勉強してみたら?
きっとそこらの占い師なんかより、沢山お金を稼げるわよ。」
Sさんが褒めてくれたので、『考えておきます。』と返事はしたものの、
これではとても割りに合わないというのが正直な感想。
そしてこの方法は、当たり前だが、俺が寝ている間は効果が無い。
姫の誕生日まで、俺と姫はSさんの部屋で寝ることになった。
当然Sさんと姫は2人でベッドで、俺はソファで寝る。
「ベッドは広いんだから、3人で寝ましょう。」と姫は無邪気に言ったが、
こちらの都合も有る事なので、さすがにそれは遠慮した。
慌てて断る俺を見て、Sさんは必死で笑いを噛み殺していた。
『特別な結界を張るから、私の傍にいればアイツ等があなた達の意識に
直接干渉する事は出来ない。』とSさんは説明していた。しかし。
最初の夜、なかなか寝付けなかった俺は、Sさんが夜通し起きていて、
アイツ等の干渉から俺たちを守るつもりらしいと気付いた。
実際、その翌々日辺りからSさんは目に見えてやつれてきたので、
Sさんに『昼過ぎから夕方までの間に睡眠を取って欲しい』と頼んだ。
夕食の準備は俺と姫でやれば良いのだし、
長丁場になるなら、最後は体力勝負だろうと思ったから。
『出会い(下)①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。