34.大人と子ども 4
数日後、スファルバーンは子爵と珍魚展に出かけることになったらしい。
前に伯父こと魔法伯当主がエルマに勧めていた例の催し物だ。
「何、珍魚展だと!? どうして父さんにねだらないんだ、スファル!」
「トーラス。あなたはどうせもう、自分一人で楽しんできたはずでしょう」
「家族と行くのはまた違うんですよ、母さん……しかしもう決まってしまったのなら仕方ない。可哀想な父のために、土産を見繕ってきておくれ。魔魚の骨格標本がいいな」
「父さん……オレ、あ、遊びに行くんじゃ、ないから、ね……?」
従兄弟が晩餐で予定を告げると、そんなファントマジット一家の悲喜こもごも模様が繰り広げられた。
スファルバーンは協力を依頼されたのが嬉しかったのか、随分とやる気を見せてくれていた。エルマとしても、自分と似た所のある従兄弟が生き生きしている様を見るのは快い。
普段は気弱だが、土壇場では胆力のある所も見せてくれた青年だ。信頼して、使命感に溢れる背中を送り出す。
ところが帰宅時には、スファルバーンの様子は一変していた。
しゃんと伸びていた背は丸まり、重たい空気が漂っている。そんななりでも片手には注文通りの土産を持っていた辺り、律儀である。
晩餐後、父は魚にはとても見えない謎の生物の骨を貰い、喜びの舞を踊りながら自室に帰っていった。一方、息子はリビングでどんよりしている。完全に親子の態度が朝と逆転していた。
「スファルさま、どうかなされました? まさか、子爵さまと何かトラブルが――」
「えっと――そうじゃ、ないよ。は、話した……というか、オレはほとんど、き、聞いてるだけ、だったけど」
「では、ルビーニアさまやペンダントのことを、うまく話題にできなかったのですか?」
「う……いや……」
祖母が気分がすっきりするハーブティーとやらを用意してくれた。ちょっと独特な香りがする上に、口をつけるとやや酸っぱくて、鼻がツーンとする。
エルマは一口でカップをソーサーに戻したが、スファルに至っては持ち手に指すら触れない。そんな明らかに気もそぞろな状態なのに、何度か促してみても、言葉を濁すばかりだ。
「……で、でもさ。これは言える、よ。たぶんもう、だ、大丈夫じゃないか、って……」
「スファルさまのご様子を見ていると、とてもそうは思えませんが」
「あ、あう……こ、これにはい、色々と、その……うぐ……」
「エルフェミア。スファルが大丈夫と言うのなら、信じてもいいのではないかしら」
従兄弟同士の会話に割って入ってきたのは祖母だ。珍しく立ったまま喉を潤しているが、上品で優雅に見えるから不思議である。
「わたくしが思うに、近いうちにまたあちらの家から連絡がありますよ。そんなに悪い話題ではないはず」
「お祖母さまも何か知っているのですか?」
「年寄りの勘よ」
エルマは祖母とスファルに交互に視線を向けたが、二人ともそれ以上子爵家のことを話そうとはしない。ようやく茶に手を伸ばしたスファルバーンが吹き出しそうになって、祖母が「慣れたらこれが癖になるのよ」なんて言いながらお代わりを貰っている。
自分だけ置いてきぼりにされているようでモヤモヤしたが、二人のことは信頼している。
いったんその場での追究はやめて、祖母の言う通り便りを待ってみることにした。
魔法伯家ご意見番の予言通り、確かに一週間もしないうち、子爵家から手紙が届いた。
今までは夫人から祖母にあてての手紙だったが、今回は子爵本人からだ。しかもスファルと、エルマにも届いている。
(スファルさまには先日のお出かけのことでしょうけど、わたしに……?)
ドキドキしながら開封すると、無難な定型の挨拶の後、見逃せない文が綴られていた。
「加護戻しの担い手であるあなたに、ペンダントのことについて相談したい」
***
今まではずっとエルマ達が子爵邸を訪問していたが、今度はあちらが魔法伯邸にやってくることになる。
おしゃべりな先代子爵夫人は、別の用事で今回は不在らしい。それに伴ってか、祖母も今回は表に出ないつもりだと宣言をした。
「夫人がいらっしゃるなら、主催もわたくしでいいでしょうけど――子爵様はどうかしらね? 説教臭い年寄り女なんていない方が、気分良くお話ししてくださるはずよ」
代わりに何かあれば伯父が出てくれることになっているが、基本的にはエルマ主導でことを進めることになった。胃がきゅっと縮むような気持ちになったが、ファントマジット一家は無理難題をふっかけて失敗する様を楽しんでいたタルコーザ親子とは違う。エルマならなんとかできる、と思われているからこそ、任せられているのだろう――そんな風に、前向きに考えることができた。
すっかり勝負服となってきた菫色のドレスを纏い、子爵親子を待つ。
先に馬車からぴょんと降りてきたのは、ルビーニアだった。いつにも増してめかしこんでいて、リボン付きの帽子が可愛い。もちろん、今日も犬のお供を抱えている。
「こんにちは、ルビーニアさま」
「こんにちは、エルマさま」
出迎えたエルマが屈んでフォルトラと一緒に挨拶すると、幼子の緊張した面持ちがふわりと緩む。大きな青い目が、天馬のぬいぐるみをじっと見つめてから、思案げに自分の犬と見比べている。
「フォルトラは今日も、真っ白できれいね! ベステラもやっぱり、おせんたくした方がいいのかしら……」
「そうですね、お風呂に入れてあげたら、すっきりできるかもしれません」
「あたし、おふろってすきじゃない。ごしごしされるの、いやなの。よく目にあわが入るし。ベステラはたぶん、あたしよりもっとせんさいでしょう? いたいよやだよって、ならないかしら」
「優しく洗ってあげれば大丈夫ですよ。でも、まずはブラシをかけるだけでも変わります」
「そうなの! エルマさまって本当に物知りね。どうしたらそんなにはくしきになれるの?」
「は、博識、ですか……?」
「色々知っててえらいことを言うの。ちがう?」
エルマは尊敬の眼差しに苦笑しながら、ふと顔を上げる。
子爵と魔法伯は男同士の挨拶を済ませ、無難に天気や近況などを話しているようだった。
その直前、子爵がルビーニアと楽しげに話す様子を見つめてきていた気がしたが、気のせいだろうか。
(ルビーニアさまとはこうしてすぐお話しできるけど、子爵さまとは相変わらずの距離感だわ。今日、うまくいくかしら……)
不安を感じつつも、こちらもいつも通りの笑みをまずは装う。
客間に通し、お茶とお菓子を振る舞えば、ルビーニアがぱっと顔を輝かせた。幼子はすぐに手を出そうとしたが、わしづかみにする直前ではっと止まり、旦那様の顔をちらりと窺う。
「いきなり手を出さない。……まずは何をすれば良かったか、覚えているか?」
子爵は青色の目を細め、促すように問いかけた。幼子はいそいそと用意されているナプキンに手を伸ばし、準備をする。それからお行儀良く、砂糖菓子を一つずつ手に取り始めた。
「行儀のいい子ですね」
魔法伯がそう声をかければ、ルビーニアはにぱっと笑顔になろうとして、また隣の旦那様に視線を寄越す。子爵はせっかく娘がいい子に振る舞えたのに、苦笑に近い曖昧な表情のままで、褒める言葉をかけようとしない。ルビーニアは少しの間何か言葉を待っていたようだが、しゅんとうなだれた。
「うちは男の子ばかりでしたが、女の子は可愛いでしょう?」
「私には、なかなか。難しくて……」
毛嫌いしている、とまではいかないし、無視をしているわけでもない。だがどうにも、子爵は娘に対する苦手意識を隠せていなかった。魔法伯が別の話題を出すとどうにか場の雰囲気は持ったが、ルビーニアが居心地悪そうにしているのが、エルマには気にかかる。
(まずはこの空気をなんとかしたいけど……)
「きょ、卿。本日は、ようこそ……」
「おお、スファル君。先日ぶりですな」
「は、はい、その節は、お世話に……」
その時、スファルバーンが別の皿を持って現れた。テーブルに置かれていたのは甘い菓子が中心だったが、従兄弟が持ってきたのは揚げ芋に塩をまぶしたものだ。げっそりとして生気の薄い子爵の目に、ぱっと何かの光が灯った。
「ええと、塩辛い方がお好き、でしたよね……?」
「ああ、この前の展示会で言ったこと、覚えていてくれていたのですか」
固いままだった子爵の雰囲気が随分と和らいだ。父が揚げ芋に手をつけると、両手を膝の上に置いたままだったルビーニアも、安心したようにお菓子の続きに手を伸ばす。
(ありがとう、スファルさま!)
エルマは従兄弟に感謝の念を送った。スファルバーンは嬉しそうに、下手くそな笑みを浮かべている。
気弱な青年がいると、子爵は随分とリラックスできるらしかった。養父の機嫌が良さそうになれば、ルビーニアの表情も随分と明るくなる。けれど親子の間には、あまり積極的な会話が生まれる様子はない。
(……そろそろ、本題に入っても良さそうだ。私は一度外すよ、エルフェミア。何かあったら呼んでくれ)
頃合いを見計らい、魔法伯が一声掛けて退室する。
すると、場が整えられたことを察したのか、改めて子爵がエルマに向き直った。
「それで、本日お邪魔させていただいた用件ですが」




