33.大人と子ども 3
エルマはその後、いったんペンダントをルビーニアに返し、一緒に過ごした。
お互いのぬいぐるみで遊び、頼まれた絵本を読む。膝の上に乗せてあげたりもした。
どうやら自分は子ども好きかもしれない。ルビーニアと遊んでいて、エルマはそんなことを感じた。
幼子は時に大人には思いつかない言動を取って驚かせたが、それすらも楽しいのだ。
父と母が生きていた頃は、同年代の子ども達と遊んだこともあった。タルコーザ家に連れて行かれてからは、ほとんどそんな機会はなくなっていた。ゼーデンもキャロリンもエルマが子どもっぽいことを嫌ったし、とにかく二人の要望に応えようとして毎日必死だった。
だが今は、ルビーニアの姿に、ふと未来の家族を夢想する瞬間がある。こそばゆくも幸せな時間だった。
あっという間に晩餐の時間が来た。メイドの迎えが来ると、ルビーニアは残念そうな顔をする。エルマも同じ気持ちだ。
「あたしはまだ、おさほうがちゃんとできないの。だから大人のあつまりには、出られないけど……だんなさまにペンダントのこと、聞いてみる?」
「わたしが子爵さまにお会いするのは、今日が初めてです。お食事の席ですし、いきなりは聞けないかも」
「そっか……エルマさま、また来てくれるのよね?」
「ええ、もちろんです」
「あたしね、待てができる子なの。でも、でもね、あたしのこともペンダントのことも、ちゃんとおぼえていてね」
「忘れたりなんかしません」
「じゃ、ベステラともやくそくして!」
エルマは犬のぬいぐるみの手を取って、ルビーニアに誓いの言葉を述べる。ルビーニアは満足そうな顔になり、フォルトラとお別れの挨拶を済ませた。
リビングを後にすると、エルマは深呼吸し、気持ちを切り替える。いよいよ子爵――ルビーニアのペンダントを封印してしまった相手との初対面だ。
晩餐の場に向かうと、見慣れた面々の中に新顔がいた。彼が件の子爵様なのだろう。
「初めまして、エルフェミア嬢。家のルビーニアが、随分と仲良くさせていただいている、とか……」
お喋り好きの夫人はふっくらしているが、その息子は痩せ体型だった。髪は白く薄い。喋り方や雰囲気は柔らかく、少し覚悟していた意地悪そうな雰囲気や威圧的な態度は全く見られない。
老成している、と評するには覇気が足りなかった。男はただ、人生のあらゆることに疲れて見えた。
第一印象はさておき、エルマは早速、社交用の微笑みを浮かべた。
「初めまして、卿。こちらこそ、ルビーニアさまととても楽しい時間を過ごさせていただいております」
「そうですか、それは……その。ご迷惑をおかけしていなければ良いのですが」
「とんでもない。本当に、良い子ですもの――」
「エルフェミア様は本当にすごい方なのよ! 私達が半年経っても得られなかった信頼を、たった二日ですっかり手に入れてしまったのだもの。一体どんな魔法を使ったのかしら?」
子爵がもごもごと口ごもっている間に、お喋り好きの夫人が割って入ってくる。彼は青い目を瞬きさせたが、主導権を取り返そうとはせず、すんなりと聞く姿勢になった。
エルマは男を観察していて、ふと気がつく。
(子爵さまの目、ルビーニアさまと同じ色かしら。彼女は苺色の髪の印象が強いけど、目は深い青色で……)
青い目の小さな女の子、というフレーズで、もう一つ気がついた。妹と呼んでいた、妹になれたかもしれなかった人も、青色の目をしていたのだ。
あの幼子のことが気になって仕方ないのは、過去への未練もあるのかもしれない。失った時への悔恨が、余計なお節介に繋がっていやしないだろうか。
(だけど、知ってしまった以上……そしてわたしには、もしかするとなんとかできるかもしれない力があるのなら、黙って見ないふりはできないもの)
エルマがそうやって、子爵の様子を見つめながら思案している間に、また子爵夫人が自分の長話を始めようとしていた。祖母がやんわり引き取って、もう一人の孫を屋敷の主に紹介する。
「おお! そうですか、君がスファルバーン君か」
「は、はい……はは、初めまして……」
気のせいかもしれないが、従兄弟相手だと、子爵の雰囲気が幾分か明るくなった気がした。どもる話し方に眉を顰めるようなこともない。
(似た雰囲気の二人だし、波長が合うのかも……?)
「スファルバーン君は、肉より魚が好きですか?」
「えっと……は、はい。たた、食べやすくて」
「なるほど。ご興味があるのは食だけですか? 珍しい魚の鑑賞会などは?」
「父さ――ち、父が……魚、好き、なので。よく、話を聞いて。ちち、珍魚展も、一緒に行こうと、こ、この前……」
「本当ですか? もう行ってきましたか? 是非お話しを――」
席が近かったのもあってか、なかなか会話が弾んでいる様子が聞こえてくる。
エルマも全く話をしなかったわけではないが、エルマと話す時の子爵はすぐ聞き手に回ってしまう。おまけに子爵夫人まで乱入してくると、主導権を完全に奪われてしまう。
結局、その後波乱はなく、けれど大したことも聞けないまま、晩餐会は終わった。
帰りの馬車の中で、エルマはずーん、と重たい空気を漂わせている。
「わたし、子爵さまとまったく会話が弾みませんでした……」
「彼は女性が話すと黙ってしまうから、切り出せたとしても答えを得るのは難しかったでしょうね。今日はルビーニアさまのお友達として認めてもらえただけでも、上出来よ」
俯く孫を、隣の祖母が優しく慰める。老女は次いで、向かいでそわそわしているスファルバーンに目を向けた。
「スファルは大成功ね! ずっと盛り上がっていたし、早速お出かけの約束まで取り付けるなんて」
「う、うん……な、何もしてない、けど。すごく、話しかけられた……」
「あなたは安心感を与えられる子だもの。子爵様には特にそうだったのでしょう。――さて、エルフェミアも、マイナス面にばかり目を向けていないで。ルビーニアとは、たくさんお話しができたのでしょう? 何か新しい手がかりは得られた?」
祖母に促され、エルマは姿勢を正す。今日のことを改めて家族に共有し、情報を整理する。
「……そう。強すぎる加護をかけてペンダントを開けられなくしたのは、子爵様だったのね」
「で、でも、引き取ったのは、夫人じゃなくて、卿だ。ルビーニアの、こ、ことも、き、嫌いではない、はず……」
「わたしもそう思います。挨拶で先に話題に出したのです、少なくとも無関心ではない。でも、お互いに相手を苦手そうな感じがします」
各々が考え込んで黙ると、車内に沈黙が落ちる。
祖母は目をそらして窓の方を向き、エルマはじっと目の前を見つめて考え事にふけった。スファルバーンは両手を合わせ、そわそわ二人に目を送っている。
そのうちに、ガタン! と大きく馬車が揺れる。炉端の石でも引っかけたのだろうか。飛び上がった孫二人の目が合うと、慌ててスファルの方が口を開けた。
「む、難しいかも、だけど……嫌いじゃないのに、うまくいかないのは、辛い、から。オ、オレ、今度出かける時……聞いて、みる。ルビーニアのこと、色々と」
「ありがとう。スファルさまになら、子爵さまもお話ししてくれるかも。お願いします」
従兄弟のフォローは実に心強く、エルマはようやくほっとしたような笑みを見せたのだった。