30.作戦会議
エルマが起きたとわかると、祖母が様子を見にやってきた。
「大分顔色もよくなったわね。寝ている間にいらっしゃったお医者様も、おそらくは疲労と魔力酔いだろうと話していたし、明日には元通り元気になるでしょう」
「魔力酔い……?」
「魔法を使い始めの子どもや、しばらく現場から離れていて久しぶりに魔法を使う機会があった、という人間に表れやすい症状だな。普段使っていない部分を使うとそこが痛くなる、筋肉痛みたいなものだ。基本的には無理せず放っておけばすぐ元通りになるから問題ない。熱やだるさが出ている間に無理な魔力消費を重ねると、危なくなってくるが」
祖母の言葉に首を捻ったエルマには、ユーグリークが答える。
元々一瞬エルマの寝顔を見て帰るだけ、という予定だったはずだが、起きたら期間延長が当然という顔で、ファントマジット魔法伯家に居座っていた。
あまりに自然に祖母や従兄弟の間にいるものだから、覆面姿という不審な見た目をしていても一瞬見過ごしそうになるほどである。
「加護戻しは希少魔法――それも魔力の流れに同調し、操作するものだと聞いているから、術者の方も影響を受けやすいのだろうな」
「ええ。父親のアーレスバーンはもっと顕著でしたの。力を使うと体調を崩して……エルフェミアは幸い、あの子より丈夫みたいだけれど、濫用は避けるべきなのでしょうね」
「そうだな。エルマはすぐ無理をするから、誰か見張っていて止める役が必要かもしれない」
「ええ、ええ。アーレスもそうでしたとも。放っておくと倒れるまで無理をして――」
祖母が全く追い払う気配を見せないのも気になったが(むしろ、「この先はお若い人にお任せしようかしら、ホホホ!」なんて、今し方部屋を出て行ったばかりだが)、今日の予定に支障はなかったんだろうか……などとエルマはふと心配になる。
「ヴァーリス付きの騎士は皆優秀だから問題ないし、俺は普段いてもいなくてもそんなに変わらない」
「か、閣下がいらっしゃると、く、空気が、かか、変わります。いい、いてもいなくても、ということは、なな、ないと思われます、が……」
「じゃあいない方が、むしろ楽ができるとでも思ってるんじゃないか?」
「ご、ご冗談を……」
場を任せられたお若い人の中には、最近ユーグリークの付き人と化しかけているらしいスファルバーン=ファントマジットも混ざっていた。
婚約者とは言え一応未婚の男女を密室で長時間二人きりにするのはどうなのか、という観点から配置されたお目付役である。
ユーグリークがファントマジット家に妙に馴染んでいるように見えたのは、スファルバーンと親しくなっているせいもあるのかもしれない。
以前は恋敵として無言の威圧すらしていたが、今ではすっかり険が取れて、他愛ないやりとりを交わすほどの仲になっているようだ。
「それで? 加護戻しを使った、ということは聞いているが、どうしてそんなことになったんだ?」
「こ、この前の、子爵家に行った時、だよね……? 色々と、び、美術品とか、集めてる、とは聞いたけど……」
(この二人なら軽々しく言いふらしたりもしないし、相談しても大丈夫かしら)
エルマは子爵家で会った幼子と、預かることになってしまったロケットペンダントのことを話すことにした。
「――なるほどな。とりあえず、これは最初に言っておいた方がいいと思う」
「なんでしょうか?」
静かにエルマの話を聞いていたユーグリークだが、終わるとやや重々しい口調でそう述べた。
姿勢を正してエルマが真面目な顔になると、彼は続ける。
「知らない人からそう気軽に物を受け取るものではない」
「子ども相手ですよ!?」
「どうかな。子どもだって人間の一人だし、本人に悪気がなくても、裏で大人が糸を引いているなんて珍しい話でもない」
一理ある、と言えなくもないが、確かに……と納得しかけたエルマはすんでの所で思い出した。
他ならぬ目の前のこの男自身が、初対面の娘にいきなり貴重品(しかも位置探知機能付き)を押しつけていった、知らない人筆頭だったということを。
「というより、他でもないユーグリークさまだけは、その言葉をわたしに言えないはずですよね!?」
「俺だから言ってるんだ」
(そんな、なんて堂々とした態度で……!)
これが生粋の大貴族の貫禄というものなのだろうか。てっきり気まずそうに目を逸らしでもするかと思えば開き直られ、エルマはふっとめまいを覚える。
「二度もあると、三度目以降もありえる気がして――いや。ついこの間だって、ガリュースに白薔薇を押しつけられそうになってたじゃないか。あれも加えるならこれでもう既に三度目だ」
「ううっ……!」
「エ、エルフェミアは。や、優しそうに見える、から、つい、あ、甘えたくなる、というか……?」
「それはわかる。隙だらけに見えて案外ガードが堅かったりするから、余計に煽られるんだよな」
「あ……えっと……わわ、わからない、です……」
「そうか……」
そっと参戦したスファルバーンだが、ユーグリークの太鼓を持つだけ、という訳でもないらしい。
(確かに、ガリュース殿下のように断りにくい相手からの物や、好意でいただいた物は、全く受け取らないのもどうかとは思うし。相手の機嫌を損ねずうまくかわすことは、わたしにはまだ難しいわ……)
「少しはできているように思い込んでいましたけど、至らないところだらけですね、わたし。もっと気を引き締めなくちゃ」
「エ、エルフェミアは、がが、頑張ってる、よ……?」
「そうだぞエルマ。別にこれ以上無理をしろと言っている訳じゃないぞ。ただ、こう……用心は必要というか――」
エルマがフォルトラぬいぐるみを抱きかかえて気合いを入れると、男二人が焦ったような顔になる。
「……とにかく。その渡された物といい、その時の状況といい……依頼自体はエルマの力で解決できるのだとしても、気になることが多いのは確かだな。美術品集めは有名だったが、それ以外特に大きな問題もない家だったはずだが……俺もちょっと、城で子爵家の話を聞いてきてみるよ」
「ありがとうございます。わたしももう一度、ルビーニアさまご本人にお話を聞いてみたいと思っています」
「き、聞くこと、メ、メモ、する?」
スファルバーンがすぐに紙を用意してくれて、さらさらとペンを走らせる。
こんな風に、悩み――というほどではないかもしれない些細なことでも、誰かと話し合えて、そして話を聞いて、助けてくれようとする人がいることは、なんて暖かいんだろう。
そう感じるエルマは一方で、きらびやかな美術品の集められた屋敷の中、庭の隅にぽつんと一人でいた幼子の姿を思った。




