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29.熱と譫言 後編

 確かに夢に見るほど会いたいとは思っていた。

 が、このタイミングはエルマにとって少々――いや大分都合が悪い。


「どうしてユーグリークさまがここにいるんですか!」

「エルマが熱を出したと聞いたから」

「理由になっていません!」

「許可も取った」

「誰に!」

「君の保護者に」

「お祖母さま……!」


 掛け布団の山が大きく震える。

 基本的に親切で気が利く老女だが、このときばかりはちょっと恨みそうになってしまった。


「まあ、寝顔を少し見るだけ、という話だったから、ちょうど君の目が覚めてしまったのは想定外だったんだが。でも、元気そうでよかった」


 ユーグリークが触れると、布団の塊はじたばた蠢いて逃げる。


「どうした、エルマ。なんで逃げるんだ」

「はず……恥ずかしいからに決まってるでしょう!!」

「…………? 結婚したら日課になることなのに? 少しだけ予定が早まっただけだ」

「何を言っているんですか、あなたは!」

「たぶん俺もエルマの寝顔を何度も見るし、エルマだって俺の顔を見るから大丈夫だと思うんだがな」

「何が大丈夫なんですか!!」

「じゃあなんだ、エルマは結婚しても俺と別の部屋で寝るつもりか」


 うっ、とエルマは詰まった。


 もちろん、結婚したら仲睦まじくしたい。新婚初日から別の部屋で寝ましょうと言われたら、それなりに傷つくと思う。何なら一生根に持つかもしれない。しかし今の状況および心境で、一緒に寝ましょう、なんてことを言えるはずもない。


 否定も肯定もできず黙り込んでいたエルマは、ふと部屋が静かになっていることに気がついた。


(ユーグリークさまがせっかく会いに来てくれたのに……わたし、ご機嫌を損ねてしまったのかしら……)


 こっそりと布の隙間から様子をうかがってみると、彼はどうやらフォルトラぬいぐるみを手に取って、しげしげ眺めているところらしい。


「可愛いな」

「……ええと。本物はもっと綺麗で凜々しいですけれど――」

「うん? いや、エルマが」

「どうして! そう! なるのですか!!」


 てっきりぬいぐるみの話になるかと思ったら、また褒め殺しである。しかも今、一瞬落ち着いた気分で、油断していた。不意打ちで大打撃を受けたエルマは再び布団の山に潜ってしまう。

 しかしユーグリークの声はあくまで優しい。というか甘い。


「もちろん、このフォルトラも、すごくよくできている。だけどそれ以上に、俺に会えなくて、悶々として、これを縫い上げて、頑張りすぎて熱を出して、寝言で俺のことをうにゃうにゃ言ってる、そんなエルマが可愛くてたまらない」

「いやああああああ……!!」


 エルマはとうとう突っ伏した。布団の山がへにゃっと崩れ落ちる。


 微笑ましく見守っていたユーグリークだったが、今度は彼の方が長引く沈黙の不穏さに気がついた。

 エルマが黙りこくっていると、心配そうな声になる。


「エルマ」

「…………」

「その、ごめん」

「それは何に対してのごめん、ですか」

「正直、エルマが怒っているのなら、俺には理由もわからないんだが。傷つけてしまったなら、すまない」


 ユーグリークは不器用な男だ。そしてドのつく正直者でもある。心からエルマのことを案じて、愛してくれていることがいつも伝わってくる。


 布団の山がもぞもぞと起き上がった。相変わらず隠れたまま出てこないエルマだが、ユーグリークの方を見ていることは容易にわかる。


「傷ついた、というより……驚いたんです。本当に」

「そうか……悪かった。俺はエルマに会えたら常に嬉しいから、その……」

「わたしだって、嬉しくない訳がないでしょう!」


 ユーグリークははっと息を飲み込んだ。ほぼ条件反射で腕を広げたが、音もなく落ちたフォルトラのぬいぐるみで我に返ったらしい。

 そっと拾い上げて、おとなしく膝の上に戻している。


「でも、綺麗にして、今か今かと待っている時は来てくれないのに、病気の時だけ来るなんて。わたしは毎日寝込んでいればいいの?」

「いや、そんなつもりは……」

「ああもう、いや! こんなことを言いたいわけじゃないのに! ひどいわ、ひどい。どうして元気な時だけを見てくれないの?」

「病める時も健やかな時も、エルマはいつだって一生懸命で可愛いよ。なるべく元気でいてほしいが、そうじゃない時は寄り添っていたい。それだけだ」


 三度目の沈黙が訪れた。


 ユーグリークはそっと、ベッドの上にフォルトラを戻す。細い手が掛け布団の間から伸びて回収していった。エルマは布団の下でフォルトラのぬいぐるみをぎゅっと抱きかかえ、小さくつぶやく。


「……どこまで聞いていたのですか」

「何を?」

「さっきのわたしの……。夢の中で、フォルトラに話しかけていたつもりだったのですけど、いつの間にかユーグリークさまが答えていました」

「俺の甲斐性がないらしいことと、なぜかスファルの名前が出てきたことと、会いに来てほしいことと、いっぱいぎゅってしてほしいことと……そんな所かな、聞こえたのは」

「ほぼ全部……!!」


 布団から悲痛な声が漏れる。ぬいぐるみを抱えていなかったら、エルマは両手で顔を覆っていただろう。

 じっと見つめていたユーグリークがそっと手を伸ばし、触れる。びくり、とエルマは体を震わせたが、今度は逃げようとはしなかった。


「エルマ。ここ最近、俺はずっと会いに来られなかったし、エルマの声も――素直な気持ちも、わからずにいた。正直に言えば……社交界デビューが充実していて、俺のことなんか忘れているぐらいなんじゃないかって。モヤモヤもしたが、頑張っているのなら、楽しんでいるのなら、邪魔をしてはいけないと……」

「そういうあなただって知っているから、会いたいなんて……本当に、病気にでもならないと言えません。お荷物なだけの女は嫌。だから頑張っているの、頑張ることができているの……」

「エルマがすごく色々考えてくれることは知ってる。だけど、それで熱を出すまで我慢するなら、無理をするぐらいなら……誰とも会わず、何も考えず、ずっと俺だけになってしまえばいい。俺はそれでもいい。君が隣にいてくれるなら」


 低く、掠れた声に、ふとエルマは寒気を覚えた。

 彼の顔を隠す布、自分の体を覆う布――その二つを隔ててなお、あふれ出す誘惑の力――魔性の意思に、流されそうになる。

 全部任せて、ゆだねてしまえば、エルマはただ甘やかされるまま、おいしいところだけ味わって、悪いところも嫌なところも全部ユーグリークのせいにしてしまえる。


(でも――でも、駄目。わたしはそうしたくない)


 大きく、深く。呼吸を繰り返せば、甘美な堕落への衝動が引いていく。


「わたしは……わたしも、あなたの隣にいたい。腕の中じゃなくて、手をつないで、横にいたいの」

「……そう、か」


 ユーグリークの手が離れる感覚。一瞬、ほんの刹那、すがってしまいそうにもなるが、ぎゅっと唇を噛みしめてこらえた。


「ちょうどいい機会かもしれない。結婚したら一緒に暮らすことにはなっても、常に一緒にいられるわけじゃない。また、こんな風に、別の場所でお互い自分の仕事で忙しくて、なんて時が来るかもしれない。……何かうまい伝達手段がほしいな」

「その……実は、何度かお会いしたいと、お手紙を出すことも、考えたのですけれど……」

「他の人間に見られる可能性も考えるとな」


 はあ、とため息が落ちる。ユーグリークは少しの間考えていたが、ああ、と何か思いついたらしい声を上げる。


「合図を決めてみる、とか」

「合図、ですか?」

「エルマが俺に会いたいときは、白い花を自室の窓に飾る。会いたくないときは赤い花を飾る。どちらでもない時は花はつけない。白い花を見つけたら俺はすぐエルマを迎えに行くし、赤い花の時は緊急事態を除いて無理強いしない」

「窓?」

「外から見える場所だからな」


(……! フォルトラに乗って、魔法伯家の屋敷を見に来るってことね)


 最初は訝しげだったエルマも、ユーグリークの意図がわかると納得した。それに、少しわくわくした気持ちになってきている。


「花がないときはどうするのですか?」

「俺が会いたい時は、合図に窓を三回ノックする。聞こえたら出てきてほしい。繰り返して反応がなければ、そのまま帰る」

「……でも、ユーグリークさまが夜、フォルトラに乗って会いに来てくれるのを待てない時は、どうすればいいかしら。花――わたしからユーグリークさまに、白いお花をお贈りする、とか?」

「俺からエルマになら自然かもしれないが、エルマから花が来るとなると、勘付く奴がいそうだな……母上とか」

「……! そうです、便箋を変えるのはどうでしょう? 特別な手紙の時には、必ず同じ色の便箋を選ぶとか、何か柄や飾りをつけるとか」

「ああ、手紙の内容はただの近況報告でも、見た目で別の意図がわかるのはいいかもしれないな――」


 話が盛り上がると、自然と互いの距離が近づいている。


 気がつけば、エルマを覆っていた掛け布団はなくなっていて、ユーグリークにもたれかかっていた。

 エルマははっと見上げて頬を染めるが、それ以上の大騒ぎはせず、じっとしている。


 さらにお互いの距離が近づいて――。


「あの。あああの、か、閣下。そ、そろそろ、い、いいでしょうか……!」


 しかし、ノックの音とスファルバーンの声に中断され、結局ユーグリークはエルマに逃げられてしまったのだった。

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