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28.熱と譫言 前編

 ルビーニアという幼子との出会いは、エルマに宿題をもたらしたが、それだけではない。

 彼女が大事そうに抱えていたぬいぐるみ――あれを見て、一つピンと来たことがある。


 ここのところ、エルマはファントマジット家の令嬢として日夜貴族的義務を果たし続けている。

 つまり深刻なユーグリーク不足である。

 あまりに会えない日々が続くので、もはや押しかけてやろうかと一瞬血迷う程度には、生活にユーグリーク成分が足りていない。


 しかしいくら婚約者だからと言って、男女の交際にはお堅い貴族社会で過激な行動を取るのは評判に関わる。

 ましてエルマは女性側だ。女性の積極性が過ぎることは、すぐに悪評へと繋がってしまう。


 今、頑張ってエルフェミア=ファントマジットという幻想を維持しているのは、大体においてその婚約者であるユーグリークに釣り合うため、である。

 ここで短気を起こしては、何のために社交界デビューからこちら、我慢に我慢を重ねてきたのか、わからないではないか。


 だが気晴らしは必要だ。我慢強いエルマにだって限界はある。

 そこでぬいぐるみの出番というわけである。


 本人に会いに行けないなら、手元に置ける本人を作ってしまえばいいじゃない!


 このような思考に陥っても理性が文句を言わない程度には、エルマは疲れていた。

 祖母や伯父、スファルに聞かれれば「大丈夫」と答えるものの、実のところかなり心身ともに疲労が溜まっていたのだ。


 ちなみに作業開始当初はユーグリーク人形を作ろうとしたが、すぐに無謀を悟って諦めた。

 エルマ程度の腕前では、あの完璧すぎる美貌の再現は、どうあがいても不可能だ。手袋の失敗が奇行を踏みとどまらせた。


 しかし、エルマはぬいぐるみを縫い続けた。なんとしても作り上げねばならないような気がして、久しぶりにうっかり徹夜した。


 とはいえ、エルマ=タルコーザであった時代のあれこれに比べれば、夜通し縫い物をしていた程度可愛いものである。


 エルマはすっかりやりきった表情で、階段を降りた。体が軽く、怖いものなど何もないように感じられた。


「おはようございます!」

「おはよう、エルフェミア――」


 ところが朝食の席で、いつもは朗らかに挨拶を返してくれる魔法伯家一同は、エルマの顔を見るなり表情をなくし、しん、と黙り込んでしまった。


「トーラス、すぐにキャンセルの連絡を」

「はい、母さん。それと医者を呼びます」

「エ、エエエエルフェミア、あの、戻ろう、部屋に戻ろう……!」

「皆さま、どうなされたの? わたしは大丈夫ですが――」


 エルマは目を丸くするが、あっという間に寝室に戻されてしまった。

 一体何をそんなに騒いでいるのか、と困惑していると、そっと体温計を手渡される。


 何度確認しても熱が出ていた。しかもかなり高い。


「わたくし達もはしゃぎすぎたわね。随分と無理をさせていたみたい」

「でも、わたし、ちっともそんな風には……」

「あら、その台詞もアーレスと一緒」

「お父さま……?」

「そう。……子供の頃は特に、張り切りすぎるとすぐ熱が出たから」


 祖母はベッドの中で体を起こしていたエルマを寝かせ、額に水を絞った布を置くと、掛け布団をしっかりと被せてくる。


「気持ちが急いていると、もどかしく思うかもしれないけれど。体が休みたいと言っているのなら、無理は禁物よ」

「――あ」


 そのまま出て行こうとする家族の背を見て、エルマはつい声を上げてしまった。


「どうかした、エルフェミア?」

「あの、それ……」


 ちらちらと孫が流し目を送る先に顔を向けた祖母は、目を丸くした後、ふっと苦笑を深くした。

 昨日帰ってきた途端に裁縫道具を揃え、足りない材料をねだったのだから、今日の熱の原因はおそらくこのぬいぐるみだ。


 祖母は棚の上の白い天馬をそっと手に取り、エルマの傍らに置く。お小言はなく、代わりに優しく頭を一撫でされた。


「いい夢を見るのよ、エルフェミア」


 扉が閉まるのを見届けたエルマは、手作りのフォルトラぬいぐるみを自分の隣に置くと、額の布に気をつけて一度体を起こす。


 熱の自覚がほとんどないぐらいだったから、あまり眠たくないのだ。

 ベッドの近くに置いていた本――刺繍の柄の資料をめくる。


 そうして久しぶりに何もしなくていい時間を持て余しているうちに、ようやく頭が今は休む時間だと理解したのだろうか。いつの間にかベッドの中に体が沈み、すっかりと眠りに落ちていた。



 ***



 エルマの目論見は、結果として成功したと言っていいかもしれない。

 ぬいぐるみを抱えたまま寝たためか、フォルトラが夢に出てきてくれたのだ。


 薄もやのかかった草原で、純白の天馬が草を食んでいる。エルマが近づくと顔を上げ、鼻先を近づけてきた。


「フォルトラ、会いたかった……」


 エルマが首に腕を回して抱きついても、天馬はじっと佇んでいる。


「でも本当はね、ユーグリークさまに会いたいの……」


 ぶぶぶ、と馬が不満そうに鼻を鳴らす。エルマは慌てて顔を上げた。


「あっ、あのね、あなたに会えて嬉しくないってことじゃないのよ! でも、これは夢でしょう? ぬいぐるみで、ある程度気は紛れるけど……やっぱり本当はちゃんと会いたいの」


 エルマは一度フォルトラから離れて周囲を見渡すが、一番の思い人の姿は見当たらない。融通の利かない夢である。


 振り返るとフォルトラはごろんと草原の中に寝っ転がっていた。

 エルマも座り、彼の首筋をぽんぽんと叩いてやる。


「ユーグリークさまはお忙しい方だもの。わたしばかりに構っていられないわ、それはそう。でも、わたしまだ、ご褒美だって貰っていないのに……ご褒美をくれるって言ったのに、うそつき! お仕置きだわ、こんなの」

「……」

「しかもスファルさまとは会っているのよ。どういうこと? わたしのこと、自分がいないと駄目な女にしたいだなんて言っておいて、実際にそうなっても責任を取らないだなんて。ひどいわ、ひどい!」

「…………」

「でもね。わたし、たぶん、何もかも放り出して会いに来てくれるユーグリークさまだったとしても、それはそれで複雑な気分になると思うの。わたしを一番にしてほしいわ。でも、そんなことしたら、非常識だ、破廉恥だ、ってきっと周りから言われてしまうでしょう? ヴァーリスさまにも呆れられるわ、きっと。わたし、ユーグリークさまにはずっと素敵でいてほしいの。そのために社交だってあれこれ頑張って……」

「……………………」

「どうしよう……そのままのユーグリークさまでいてほしい。何よりこんな面倒な女だなんて知られたくない、幻滅されるもの。そんなの耐えられない。でも会いたいの。ぎゅーってして、いっぱいいっぱい、甘やかしてほしいの……」

「……なるほど? それならすぐにできるかな」


 フォルトラの翼がぎゅっとエルマを包み込んだ。

 まるで男性の逞しい腕に抱えられているかのような、力強い抱擁感である。

 幸せを感じるエルマだが、ふと違和感に気がついた。


 夢の中とは言え、今、誰かエルマ以外の人間が喋っていたような。


「そういえばニーサが前に言っていたかな。熱を出した時、うわごとで俺を呼んでいたと。こういうことだったのかな……」


 あれ、とエルマは瞬きした。

 気がつくと草原がない。ついでにフォルトラもいない。


 代わりにがっしりした胸板に顔を埋められていた。

 ぎこちなく視線を上げていくと、覆面姿が目に入る。


「おはよう、エルマ」

「……夢、ですよね。これは夢だと、仰ってください」

「なんでだ? 本当はちゃんと会いたいとか、言ってたじゃないか。本物の俺だよ。さあ、ついでだから日頃の溜まった鬱憤を全部ここで晴らしてくれ。改善できるかは……努力するとしか言えないが、エルマの飾らない本音が知りたいな」


 前にもこんなことがあったような気がするが、あのときはもう少し距離があったはずだ。

 こんな密着姿勢で。しかも寝言の愚痴を聞かれていた、と。


 エルマは声にならない悲鳴を上げ、ユーグリークを突き飛ばすようにして離れると、頭から布団をひっかぶった。


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