8.休憩と返却
「そんなことなんじゃないかと思った。君、あまり食べていないな。先ほどの立ちくらみも、貧血だろう?」
「いえっ、あの、お構いなく! 本当に、大丈夫ですから……!」
大きなため息を吐き、メニューに手を伸ばした男を、エルマは大慌てで止めた。
そのまま居心地悪く身を縮こまらせていると、彼は首を傾げる。
「もしや、極端に食べられるものが少ない体質か?」
「い、いえ……」
「ではやはり、痩せたくて痩せている?」
「えっと……」
答えにくくなったタイミングで、ちょうど頼んでいたエルマのお茶が運ばれてきた。
会話を中断しても不自然ではない上、飲めば少しは空腹をごまかすことができるだろう。
エルマは店員に感謝しつつ、この後の作戦を考える。
(なんとか別の話題にできないかしら。このままわたしの話を続けられても――)
「あの、そんなことよりも。あなたのことをおうかがいしたいのですが」
「私のことか? 何でも……は色んな都合上無理な気がするが、答えられることなら話そう。何が聞きたい?」
質問をされたくなければ、こちらから質問してしまえばいい。
とは言え、待ってましたとばかりに嬉しそうにされるのも、非常にこの後がやりにくい。
エルマは深呼吸して、気を取り直した。
「そもそも、どうしてここにいらっしゃるのでしょう……?」
「……君を休ませるために来たわけだが?」
「そういうことでは、なく。昨日の今日で、偶然、なのかもしれません、けど、どうしてこんな短期間に再会できたのか、と……」
「ああ、そんなの。ただ、君に会おうと思って城を抜け出――」
言葉が途切れ、男は咳払いした。
「――というのは言葉のあやで、ちゃんと許可を取ってきているから安心してほしい」
(今の言い直しのどこに安心する要素が)
「私が今日ここにいるのは、落とし物を探しに来たからだ。無性に探し物を追い求めて心当たりのある場所を歩いていたら、たまたま君に会ってしまったというわけだ。幸運な偶然という奴だな。うん。何ら不自然ではない」
(計画的行動は偶然ではないように思うのですが……)
質問をしたのに問題が更に増えた気がするのはなぜなのか。
だが心に浮かぶ色んな言葉は口に出せず、「んんっ!」とうめくのみだ。
エルマは間をごまかすために飲み物を口にする。
(怖い……聞いたらすべて答えてくれそうなことが、逆に怖い……これ以上知ってはいけない気がする。戻れない深みにどんどんはまっているような)
この問題を掘り下げるのはよろしくないと察知したエルマは、必死に次の話題を探した。
(そうだ、落とし物。真っ先に思い出すべきだったわ。肌身離さずにいてよかった!)
エルマは服の下、首からさげていた指輪を取り出そうと、いそいそ襟のボタンに手をかけた。
男がぎょっとしてガタッと椅子を引いたが、指輪に意識を向けているエルマは気がつかない。
「ちょうどよかったです、忘れないうちに――あの、どうかなさいましたか?」
「いや。ちょっと。何でもない。ははは。つい癖が……いや本当に何でもないんだ、忘れてくれ」
顔を上げたエルマが不審の表情を向けると、彼は椅子に戻ってきた。
若干逃げ腰姿勢のまま、手を組み、やけに神妙な態度でしみじみと述べる。
「君はこちらの予想外のことばかりするな。新鮮だ」
「…………」
それはこちらの台詞です、との言葉を飲み込んで、エルマは指輪をテーブル上にそっと置いた。
「お返しします……」
わざわざ翌日探しに来たぐらいなのだ、きっと大事な物なのだろう。
ところが男は手を伸そうともせず、じっと覆面越しに落とし物を見下ろしている。
「返すのか?」
「……へ?」
「本当にそれを、返してしまっていいのか?」
たぶん覆面の向こうでは、例の真剣な真顔なのだろう。
思わずエルマは自分が間違えた行動をしているのかと思った。タルコーザ家の仲間外れは常にミスをする。今回もエルマが悪――。
(――いいえ。この件に関してだけは、わたし、間違っていないはず……!)
「昨日の今日で探しにいらっしゃったということは、とても大事な物なのですよね?」
「まあ、うん。大事か大事じゃないかの問いを向けられたらまあ、大事な方なんだが」
「それなのに、返さないでほしいんですか?」
「…………」
男は考え込むように腕を組んで黙ってしまった。
エルマはしばし動きがあるか見守っていたが、そのまま時が過ぎる。
そこで彼女は無言のまま、すっ――とテーブル上に手を滑らせ、指輪を相手の方に押しやる、もとい差し出した。
男は大きな手を伸ばし、受け取――ったかと思ったら、こちらにすすっと押してきた。エルマの前に指輪が戻ってくる。
それをエルマはまた、すすすっと差し戻し返す。
普段何かにつけてすぐ謝罪する彼女にしては、珍しい自己主張だった。
(だってこんな明らかに高価なもの、ずっと持ってなんかいられないもの……)
どうあっても指輪が戻ってくると理解したらしい男は、腕組みしてうなった。
かと思えば、ぽんと手を叩いた後、懐をごそごそやり始めた。
ぼーっと眺めていたエルマだが、奇妙な既視感にピンとくる。
「もしかして、今度は別の物を“落として”行こうとしていますか……?」
「……ダメか?」
「ダメです! ……だと、思います」
「しかしそうすると、君と接点がなくなってしまうじゃないか」
エルマは大きく目を見開いた。ついでに口も開いた。しばし沈黙が落ちる。
男もまた、黙ったままエルマをじっと見つめているようだった。特に彼女の目の中をのぞきこんでいるうち、ふと首を傾げた。
「…………?」
彼の手が、吸い寄せられるようにエルマの顔に伸びていき――そっと頬に触れる寸前。
お互い我に返った二人は、同時に席から立ち上がり、あわあわと手をさまよわせる。
「な……ななな、なにを、」
「す、すまないこれは……!」
真っ赤になったエルマは、目の前のコップにわずかお茶が残っていることに気がついた。
ぐいっと一気に飲み干し、大急ぎで荷物をまとめる。
「わ、わたし――もう帰ります! ごちそうさまでした!」
逃げ出すように店を出ようとしたエルマは、直前で支払いのことを思い出す。
大急ぎで財布を引っ張り出す――その手首をパシッとつかまれた。
「待って。行かないでくれ。このまま終わりたくないんだ」