18.月と太陽2
ユーグリークは深く息を吐き出してから、周囲を探る。
思った通り、少し離れた壁際に、見覚えのある騎士が一人、そっと佇んでいた。
無骨な男は護衛騎士筆頭(本日は非番)と目が合ったのに気がついたのか、ピシリと敬礼してからまた直立状態に戻る。
ユーグリークも軽く手を上げて返し、ヴァーリスに流し目を送る。
「一応聞いておくが、ここにいるのは陛下に許可を取っての行動か?」
「いんや? 親父殿はまあまあ物わかりのいい人だが、おっかない奥さんが睨んでる所で、サボってよし! なんて言えないよ。ガリュースもここぞとばかりにネチネチ来るだろうしな。というわけで、つまらん弟と同じ空間にいるのが無理になった僕は、いつも通り自発的に脱走してきたのだった。拍手喝采で迎えたまえ!」
ユーグリークはおもむろに両手を出すと、パン、パン、とゆっくり二度だけ雑に合わせ、手を下げた。
ヴァーリスが不満そうな顔になったのを見て、鼻を鳴らす。
今日は公爵子息――客としてこの場にいるとは言え、王太子の護衛に任命されるような人間は、必然的に優秀で忍耐力のある者達となる。本気で囲まれたら、自由人とて逃亡は難しいはずだ。
が、この自由人の厄介な性癖の一つに、たまにガス抜きをさせないと自分の周りに騒動を引き起こす、というものがある。
彼は空気の読める男だが、読んだ上でぶち壊しに来ることもある。
こっそり見張りがついてきているということは、お世辞にもさほど大きいとは言えないヴァーリスの堪忍袋が危うい――と現場の人間が判断した結果の、非公式公認脱走ということになるのだろう。
「で、ユーグ。教えてくれたまえ。最近大人しかったはずの弟君は今日、何をやらかしているんだ? ざわめきは感じたんだが、具体的に解説してくれるのがいなくてな」
「……“妖精の耳”で聞かなかったのか?」
「ここにどれだけの音があると思ってるんだ、頭がパンクする。しかも至近距離に我が愛しの家族ご一行がいるんだぞ、使ったら秒でバレるだろうが」
ヴァーリスは風の魔法を操るが、その応用のようなもので、広範囲の音の情報を幅広く得ることができる。
盲目の彼が度々一人歩きを成功させているのは、この力に依る所が大きい。
便利な力は一方で、普段無意識に選別している膨大な情報量を一度に処理する必要もあり、頭に負荷をかける。
また、王侯貴族、特に上流貴族は他者よりも大きな力――魔力を持つ分、みだりに魔法を濫用してはならない、というのが不文律だ。
そして力の強い者は、その分力に対して敏感にもなる。
確かに、兄が噂話の収集のために魔法を使ったなんてわかれば、あの弟君は黙っていないだろう。ユーグリークは重たい頭を押さえる。
「ガリュースは今日、白薔薇をつけてきたぞ」
「ほう――そう来たか! だからあんな空気だったし、父上はわざわざ小言を口にしたんだな。まああの場で結婚ネタが上がったのは、誰かさんが電撃結婚なんか決めたせいでもあるんだが」
「自業自得だからな。付き合う相手をとっかえひっかえしてるお前が、どう考えても悪い」
「だって妻帯したら妻一筋にならないといけないじゃないか。あと二年は遊んでいたいんだよな。それに裏切り者には違いないだろう、絶対に振り向かない王城男子の双璧だったのに、あっさり一抜けやがって」
「俺は認めていないからな、お前と同列扱いは……」
かつて学園の二大問題児として名を馳せていた悪童達は、王城においては二大難攻不落男として有名だった。
ヴァーリスはモテるし遊ぶが、誰か特定の相手に入れ込むことがない。
ユーグリークは特定云々以前の問題で、誰も近づけようとしない。魔性の名を恐れる者とは互いに距離を取っていたし、興味を抱いて近づいてくるような人間のことは天敵扱いしていた。
噂話の好きな優雅な人間達はどちらが先に相手を決めるか、あるいはどちらもずっとこのままか、よく酒の肴にしたものだが、まさか氷冷の魔性様が結婚まで先んじるとは誰も思うまい。
ニヤニヤ顔で王太子に小突かれると、公爵子息は布の下で渋面を作った。
「……それに俺はまだ結婚してない、婚約止まりだ」
「そうか。辛抱たまらなくても婚前は手を出すなよ。お前はまあどうでもいいが、人前に出られなくなったらエルフェミア嬢が可哀想だ」
今度はユーグリークがヴァーリスを小突いた。というか無言で腹に手刀を入れた。
戦闘をすれば基本的に相手を瞬殺する氷冷の魔性は、貴族の見本として暴力は避けるのが通常だが、王太子相手のみ例外的によく手が出てしまう。
ぐふっ、とヴァーリスが呻いてみぞおちを押さえるのを冷ややかな眼差しで射貫きながら、魔性の男は地を這うような低い声を出す。
「言われなくともずっと堪えてる――本当、辛抱と最も対極にあるお前だけには、言われたくない」
「あのな、しょうがないでしょ、僕は器用だけど、お前は不器用なんだもん、絶対進展なんかしたら翌日隠してられないでしょ!」
「だから、自覚があるから! どれだけエルマが天使で小悪魔でも、キスしかしてないんだろうが!!」
「よーし、わかった。ブレイク。僕達に必要なのは酒だ。酒を持て、話はそれからだ」
アルコールはともかく、ちょうど喉が渇いた頃合いではあった。
それにヴァーリスを構い始めてから程々に時間が経過している。
ユーグリークは再びファントマジット魔法伯一家のところまで一度戻ってくる。
端の方にいる保護者達は――というより先代魔法伯夫人は、いつの間にか取り囲まれ、会話の中心でゆったり構えながら時折頷いていた。
少し離れた場所、取り巻きから追い出されたらしい魔法伯が、ユーグリークに気がつくと会釈し、踊りの輪の方に顔を向ける。ユーグリークもそちらを向いた。
どうやら次の曲が始まっているが、エルマとスファルバーンは踊り続けることにしたらしい。
恋敵というより庇護対象、と認識が改められた婚約者の従兄弟を観察してみるが、もうすっかり踊りに夢中らしく、こちらには目もくれない。ぎこちない微笑みのようなものも見えるようになってきた。
彼はエルマが別の誰かと触れそうになると、慌てて庇う動きを見せるのだが、その表情は思慕というより使命感を帯びている。ユーグリークから言いつけられたことを守るつもりらしい。どうやら律儀なところもエルマ似だ。
魔法伯も相変わらず見守っているし、これならしばらく大丈夫そうだ――と感じたユーグリークは、給仕からグラスを受け取って柱の陰に戻ってくる。
「遅いぞ、近衛騎士君」
「…………」
文句を言うヴァーリスに多少イラッとしたが、手が塞がっていたので今回は小突かなかった。
騎士を使い走りにした王太子は、ご満悦の顔でグラスに口をつけると、くるくる回して遊んでいる。
「しかしなんだ、ガリュースめ……僕が指名されて一応は決着がついたはずなのに、成人したからまた調子に乗ってきているんだな」
「まあ、どうも今日は様子が違うとは思ったが、常に調子に乗っているお前には言われたくないんじゃないか」
ユーグリークの言葉に、ヴァーリスはふふ、と微かに笑い声を漏らす。苦笑とも嘲笑とも――あるいは寂しげな顔にも似た、なんとも複雑な笑い方だった。
「僕はさ、ユーグ。なるべく楽しく楽をして生きたいが、そうじゃない、真面目にコツコツやる非効率的なタイプの人間を否定するつもりはないんだ。だって人生なんて非生産の連続だろ? むしろ人間的で偉いと思う。お前のことだって大好きだしな。大変そうだから、なりたいとは思わないが」
大親友(一方通行)が眉を顰めた気配に笑い、王太子は光のない目を瞬かせる。
「――が、真面目で誠実な人間にとって、僕みたいな奴はどうにも許しがたいらしい。ガリュースはなあ、嫌いな物や苦手な物に真摯すぎるんだよ。正面から向き合うからますます見たくなくなるんだ。嫌いなんて、克服するものでも治すものでもないのにな」
大人びた、年上らしい顔をする王太子を前に、
(いつもその雰囲気を維持していられるのなら、ガリュースもあそこまで反発しないだろうに……)
と肩を落としたくなったユーグリークだが、ふと何気なく顔を上げ――血相を変える。
「どうした、ユーグ」
足音ですぐに異常に気がついたらしいヴァーリスが声をかけると、公爵子息は強ばった声で返した。
「フロア――いや、大広間からいなくなってる。エルマも、スファルバーンも」




