13.お披露目とダンス2
(まずは公爵夫妻――奥様はもうご挨拶したことがあるから、公爵さまに顔を覚えていただく。それから国王ご一家に挨拶をして、そこで正式な貴族の一員であることを認められる。それが終わったら、いよいよダンス……)
エルマが頭の中で今日の予定を確認していると、横でユーグリークがくすりと笑った。
「緊張しているのか?」
「それは……します。とてもします。だってこんなに大勢人がいて、皆さまとてもきらきらしていて……!」
よろしくないとわかってはいても、エルマはどうしてもちらちら周りに視線を送っては、未知のあれこれに目を見張ってしまう。
気を抜くと場違いさに萎縮してしまいそうだ。
一方、さすがに公爵家子息は場慣れしているようで、エルマの横で静かに堂々とした風格を漂わせている。
そわそわしているのを微笑ましく見守られているような気配に、エルマはむっと覆面を見上げた。
「ユーグリークさまは、初めて社交界に出た時、緊張なさらなかったのですか?」
「特には。ヴァーリスが何かやらかすんじゃないかと見張っている方が忙しかったかな」
「そ、そうですか……」
気が遠くなりそうになったエルマだが、視界の端にそっと後をついてきている魔法伯一家の姿が目に入ると、慌てて姿勢を正し、深呼吸して前を向く。
背が高く、顔を隠している彼はかなり存在感があるようで、歩くと自然と前方が空く。ぎょっとしたようにこちらを(というかユーグリークを)見て道を空ける人々からは、ヒソヒソ声が漏れ聞こえてきた。
「ジェルマーヌ閣下が女性を同伴している、だと……!?」
「何が起きた。いや本当に、何が起きた!?」
「連れているのはどちらの方?」
「知らないわ――デビュタントよ!」
品定めの目が集中し、既に針のむしろ状態だ。
笑顔、笑顔! と念じてみても、なかなかこの状況では難しい。
しかしユーグリークが立ち止まり、見回すように周囲に顔を向けると、それだけで噂話に花を咲かせていた人々がヒッと竦み上がった。
一通り、露骨な視線を送ってきた連中が蜘蛛の子を散らすようにいなくなるのを見届けて、ユーグリークはため息を吐く。
「すまないな、エルマ。嫌な思いをしただろう。もうしばらくは――というか、今日は一日中、この状態かもしれないが」
「い、いえ……覚悟はしていましたから……」
エルマはユーグリークに、なんとか引きつった笑みを返した。
唐突に現れたユーグリークの婚約者で、元は平民――そんな自分はさぞ異様に感じられるだろうし、貴族社会にすんなり受け入れられるとも思っていない。この程度のことであれば、嫌な思いの範疇には入らないだろうと感じる。
とは言え、大勢に注目されるという状況に慣れていないから、身の置き所――この場合気持ちの置き所なのだろうか、それがまだ慣れなくて浮き足立っているのだ。
意外、というより、噂に聞いていたがこれがそうか――と感じたのは、ユーグリークに向けられる視線だ。
(ユーグリークさまはお顔を人前に出せない。その素顔が美しすぎるためだけれど、それが広まりすぎてしまうとかえって好奇心を募らせてもしまうから、実は醜いのだとか異形なのだとか、そんな噂もあえて織り交ぜている。彼の顔は誰も知らず、ただ騎士の中で、圧倒的な強さと比類なき氷の使い手であることだけが目に映る――ゆえに、“氷冷の魔性”と、人は彼を恐れる……)
皆彼を見るとはっとなって、それからすぐに目を逸らし、背を向ける。
まるで見てはいけないものを目にしてしまったかのように。
(ヴァーリスさまの話し方から、ある程度予想はできていたけれど……)
改めて彼の隣に立つというのはなかなかの一大事なのだな、としみじみしている間に、本日最初の山場がやってきた。
「エルマ。母上はもう知っているな? こちらが父上だ」
ユーグリークに囁かれて目線を上げると、公爵夫人が微笑みを返してくれたのが見えた。
その横に、これまたすらりと背の高い男が立っており、ユーグリークが声をかけると振り向く。
威厳ある佇まいに、鋭い眼光、厳格な雰囲気――しかし男がまさに、エルマの思い描いていたユーグリークの父親像そのものであったがために、かえってイメージトレーニングの成果が出せそうだった。
「お初にお目にかかります、公爵閣下。エルフェミア=ファントマジットと申します」
公爵邸では侍女と、ファントマジット邸では祖母と主に練習を重ねてきた練習を思い出し、お辞儀をする。
鷹揚に頷いたジェルマーヌ公爵は、エルマが体を起こすのを待ってから口を開いた。
「お噂はかねがね。初めて尽くしの社交界デビューだそうだが、楽しんでおいでか?」
エルマはちらりとユーグリークを窺い、大丈夫だと言うように手が握り返されるのを感じてから公爵に視線を戻す。
「その……正直、ずっと緊張しています。いつ、大失態を犯すのではないかと、気が気ではないです」
すると公爵閣下は息子に向かって体を向けた。
「いや素晴らしい、本当に素晴らしい……お前ね、こういうのだよ。こういうね、初々しさと可愛げがね、デビュー時のお前にはなかった。パパは今とても感動している。まさかこんなにできた嫁が我が家に来てくれるとは……!」
エルマは固まり、ユーグリークはたぶん憮然としている。
なんだか急に威厳が霧散し始めた公爵の横を、ちょんちょんと妻がつついた。
「あなた、嫁呼ばわりはいけません。まだ婚約者ですから」
「嘘だろう、どう見ても花嫁衣装じゃないか。もう今日嫁いでくる見た目だよ、これは」
「デビュタントは皆こうでしょう。今日は彼女のお披露目会。しっかりなさって」
「でも陛下に今日ここで挙式していいかいって聞いたら、まず間違いなくいいよって――」
「いけません! あなたといいユーグリークといい、どうしてそううちの男共は堪え性がないの、はしたない!」
小声でぴしゃんと公爵夫人が言うと、「そっかあ……」と夫はうなだれている。
呆然としているエルマの横で、ユーグリークが片手をこめかみの辺りに当てた。
「どうしてそう、すぐに本性を晒してしまうのか……初日ぐらい、公爵夫妻らしさを保ってくれないか?」
ジェルマーヌ公爵家には各自に、エルマの想像斜め上の行動を取らねばならないノルマでもあるのだろうか。
急速にゆるゆるとした雰囲気を漂わせ始めた公爵だったが、息子の一言にふっと笑みを漏らすと一瞬でまた大貴族の表情を取り戻す。
一呼吸で空気がピリリと変わり、エルマは息を呑んだ。
「エルフェミア嬢、貴女が以前は全く異なる環境にいたというお話は伺っている。すぐに慣れろというのも無理な話だろうが、仮にうまくいかなかったとて何も問題ないよ。失敗は成功の母なのだからね」
その笑顔には、確かに力があった。見る者を圧倒し、従わせる力だ。ユーグリークの魔性の笑みとも違う――人を動かすことに慣れた者の、自負と矜持。
「どうぞ肩の力を抜き、楽しんでいきなさい」
「……! ありがとうございます……!」
エルマが慌てて頭を下げると、公爵家当主は微笑みを深めてから、エルマ達の背後に視線を向けた。
魔法伯家との会話の番なのだと知ったエルマがユーグリークと一緒に場を譲る。
「幻滅したか?」
「公爵閣下にですか? ……いいえ。とても素敵な方です。奥様もしっかりした方で……ユーグリークさまに似ていらっしゃる所もありますけど」
「そ、そうか……?」
「わたし、幸せ者ですね。こんなに素晴らしい方々のお家に行くのですから」
「う、うん。エルマが嫌じゃないなら、いいんだが……」
ほっとした様子のユーグリークに、エルマは身を寄せ、少しの間だけ目を閉じて楽しみだけに浸った。