12.お披露目とダンス1
祖母に笑みの重要さを教わり、スファルバーン=ファントマジットと和解して間もなく、ついにエルマの社交界デビューの日がやってきた。
その日、ファントマジット邸にはいつもの使用人だけでなく、ジェルマーヌ公爵邸から送られてきた侍女ニーサの姿があった。
もちろん、婚約者ユーグリークの好意である。
「ニーサさんがお手伝いに来てくださるのですか……!?」
「うん。魔法伯家さえ、いいと言ってくれるなら、だけどな」
「でも、公爵邸のご準備もあるでしょう……?」
「母上か? 本邸から連れてきた連中で充分だそうだ。というより元々、毎年顔見せだけしている自分より、今年初めての君の方が何かと不足が多くて大変だろう、うちでできることはないか――なんて言い出したぐらいだしな」
ジェルマーヌ公爵邸でも色々と面倒を見てもらい、気心知れた侍女に手伝ってもらえるなら、エルマとしては願ったり叶ったりという所だ。
早速祖母と伯父に相談し、快諾を貰ってきた。
「うちも普段は男所帯で、女の子のデビューに人が足りているとは言いにくいもの。公爵邸の侍女様がいらっしゃるなんて心強いわ」
「妻がいればあれこれやってもらえただろうが、風邪の次はぎっくり腰だそうだからな……。今年はどうも運が悪い」
「働き虫なんだもの、また連日徹夜でもしたのでは? 誰か見張り係を残しておいた方が良かったかしらねえ」
魔法伯親子はそんな風に話していた。
……どうも魔法伯夫人との顔合わせは、まだ先に延びそうである。
さて、そういった経緯でニーサは元気よく指示を飛ばし、自らも忙しそうに行ったり来たりを繰り返している。
エルマは大人しく、そしてお行儀良く着付けに協力していた。
一応どちらの小物がいいかなど聞かれれば答えるが、慣れている人にお任せする方が良いように思う。あと単純に、殺気立っている人に余計な刺激を与えたくなかった。
「とっても綺麗に仕上がりましたよ、エルマ様!」
鬼のような顔でああでもないこうでもないと唸っていた侍女だったが、ようやく満足する出来まで仕上がったらしい。
閉じていた目を開けると、全身が映る大きな鏡の前まで案内された。
「わあ……!」
感嘆のため息が漏れてしまう。
今日着ていくのは真っ白なドレスだ。それに白く大きな羽飾りのついたヴェールを頭に飾る。
城にデビューの挨拶にやってきた娘が一目でわかるように、そういった装いをすることが決められているのだとか。
「すごいわ。わたし、お姫さまにでもなったみたい……」
「エルマ様はもうとっくにお姫様ですよ。うちの坊ちゃまがメロメロなんですから。満足していただいたようでよかったこと!」
思わずエルマが滑らせた言葉に、侍女は嬉しそうに頷く。
普段無駄口を叩かないメイドなども「お綺麗です、お嬢様」と言ってくれるので、エルマははにかんでいる。
「でもわたし、もう十八歳を越えてしまっているけれど、それでも白いドレスを着ていっていいのかしら……?」
「都合が悪くて成人の年には出てこられなかった方もいらっしゃいますし、あえてデビューを遅らせるということもありますから。大丈夫です、エルマ様はうちの鉄壁坊ちゃまを見事射止めたお方ですのよ! そんじょそこらの令嬢もどきに負けるはずがありません。自信をお持ちになって!」
エルマが少し心配になって聞いてみれば、鼻息荒く侍女が返した。
令嬢の勝ち負けって何なのかしら……と引きつった顔になっていると、また別の人の気配が加わる。
「まあ、エルフェミア――素晴らしいわ!」
覗きに来たのは祖母だった。彼女自身は地味な色合いのドレスだが、それでも結い上げた髪、あしらわれた装飾品などには、普段より気合いを感じさせる。
「少し残念ね、こんなに可愛い孫を見せびらかせるのに、もうお相手が決まっているだなんて。あなたを前に右往左往する殿方を見てみたかったわ」
「そ……そんな人がいるでしょうか……?」
ユーグリークが自分を好きになってくれたのは、彼の顔を直視できることがきっかけだ。逆に言えば、そうでもなければ、自分が目立つようなことはないだろう、というのがエルマの考えである。きっと自分より綺麗な人も可愛い人も、いくらでもいる。
祖母は侍女と顔を見合わせ、ため息を吐く。
「ま、仕方のないことだけど……いい、エルフェミア? わたくしも気をつけますが、もし知り合いとはぐれてしまうようなことがあれば、人のいない方にはけして向かわないように」
「はい、お祖母さま」
「迷ってしまったら、その場にとどまって、通りがかった人に迎えを――閣下を呼んでもらいなさい、牽制になりますから。案内してあげる、なんて優しく言われてもノコノコついていっては駄目よ。男性はもちろんだけど、女性に見える人もね」
「は、はい……?」
「デビュタントに大概の人は好意的だし、ジェルマーヌの名を出せば早々馬鹿なことをする人もいないとは思いますが、世の中上にも下にもきりがありません。どうしようもない手合いにあったら、まずは――」
「え、えっと、あの……!」
「奥様、奥様。あまり脅しつけてもお嬢様が萎縮されるだけかと」
侍女がそっと止めると、祖母はピタリと止まり、頬の辺りに手を当てた。
「まあ……老人はすぐ長話をしたがる、悪い癖だわ。でも、元々可愛いとは思っていたけれど、本当に愛らしいのだもの。急に心配がこみ上げてきて……」
「わかります。わかりますとも、奥様。なんて可憐なんでしょう! 引く手あまた間違いなしですわ」
「そうよね? うちの子は可愛いわよね?」
「そうですとも!!」
エルマは途方に暮れかけ、こういうときこそ笑みだ! と思い出して早速実践しているのだが、この場合あまり効果的ではない気がしてきていた。
けれど比較的すぐ、魔法伯が「母さん、そろそろ出ないと遅刻しますよ!」と呼びに来てくれたので、とりあえずその場を逃れることができたのだった。
その後も、
「娘を嫁にやらねばならない父親の気持ちが少しだけ理解できた気がするよ……」
と伯父に涙ぐまれたり、
「エ、エエエ、エルフェミア、い、いい、いいと、おお、思うよ、すすすすごく!」
と従兄弟にどもりつつの称賛を貰ったりしてから、馬車に乗り込む。
身内の反応は贔屓目が多分にあるだろうから、皆大袈裟に言っているのだろう。
それにしても、少なくとも全く見られない――というような状態にはなっていなさそうで、ほっとする。
ファントマジット一家が城に到着すると、先に来ていたらしいユーグリークが出迎えにやってくる。
今日は礼服の方の彼だ。
いつもの騎士服もキリッとしているが、改めてめかしこんでいる姿を見ると、本当に惚れ惚れしてしまう程かっこいい。
「…………」
「…………」
エルマとユーグリークはお互い見つめ合ったまま黙り込んだ。
邪魔がなければそのままずっと二人して立ち尽くしていたのだろうが、「えへんえへん!」とわざとらしく魔法伯がした咳払いで時が動き出す。
「お久しぶりです、閣下」
「こちらこそ、ご無沙汰している。魔法伯夫人もお元気そうで何より」
「ええ、ありがとう。閣下もご機嫌麗しゅう」
「…………。そちらは、エルマの従兄弟殿、だっただろうか」
「……は、はは、初めまし、て……? ス、スファルバーン=ファ、ファントマジット、でです……」
「……………………」
「ユーグリークさま? スファルバーンさまがどうかしましたか?」
「いや、うん。何でもない。これからよろしく、ファントマジット卿」
「お、お見知りおきを、閣下……」
スファルバーン相手の時だけちょっとした緊張が走ったようには見えたが(そして握手したスファルバーンが痛そうな顔をしたような気もしたのだが)、概ねつつがなくファントマジット一家と無難な挨拶を済ませたユーグリークが、改めてエルマに向き直る。
「エルマ……」
「はい、ユーグリークさま……」
「今日は俺たちの結婚式だったのか……?」
「…………。えっと?」
どうやらそれが本日の装いに対する第一感想らしかった。
きょとんと目を丸くしたエルマはしばらく考え込んでから、首を傾げる。
「ち、違うと思います……」
「何故だ……どうしてまだ結婚していないんだ……?」
「こ、婚約者ですから……? あの、もしかして、そんなに変でしたか……?」
「違う、エルマ。似合っている。すごく似合っている。美しい。素晴らしい。完璧だ。世界一美人だ」
「きょ、恐縮です……!」
想定と大分異なるリアクションに不安な顔になったエルマは、ちゃんと喜ばれているのだとわかると嬉しそうに目尻を下げた。
するとユーグリークはエルマの手を引きながら、至って真面目な声で零す。
「なんで俺はこの後どうでもいい有象無象に、わざわざエルマを紹介してやらないといけないんだろうな……」
エルマはなんと答えたものかわからず、嬉しいような恥ずかしいようなこそばゆい気持ちのまま、彼と一緒に歩を進めた。