10.誘いと微笑み2
エルマは大人しく、気弱そうな従兄弟の思いもよらない言葉に、意図を量りかねて黙り込んだ。
スファルバーンは良くも悪くも、いわゆる男らしくない人物だった。
自信がなさそうにいつも下を向いて背は丸め気味、視線は揺れていることが多い。
喋り方もぼそぼそと籠もるようであり、緊張を紛らわせるための癖なのか、よく手を擦り合わせている。
そういった、あまり男性らしさを意識させない姿は、自然とエルマの緊張を和らげ、早めに打ち解けさせていた。
たぶんエルマは、弟ができたような気分だったのだろう。
どうやら嫌われてはいなさそうだったし、同年代の仲良くできる親族の存在は嬉しかった。
祖母と伯父も、波乱を起こした兄と異なり、従姉妹と順調に親睦を深めている弟の様子に安堵しているようだった。
けれどスファルバーンはエルマと同い年の十九歳、れっきとした成人男性でもあるのだ。
(このダンスの申し込みは、単に親族同士のお付き合いなの? 一曲目は、ユーグリークさまと踊るはず。けれどそれ以降も、わたしはファントマジット家の令嬢として、ユーグリークさまの婚約者として、社交界の方々に顔を覚えてもらう……いいえ、覚える必要がある。でも、わたしのような者は申し込んでくる相手がいないからと、気を利かせてくださっている……?)
エルマには依然、「自分がそんな風に思われるだなんて、あり得ないことだ」という強い意識がある――あったことを今自覚させられた、という方が正確だろうか。
けれど無邪気に首肯を返すには、スファルバーンの雰囲気は物々しい。
それに、ダンスが得意、好き――という風にも見えない。
(憎からず……少なくとも、嫌われていないのだろうとは思っていたわ。ベレルバーンさまがわたしを非難した時だって、止めようとしてくれていたもの。こうしてお茶に誘っていただいてもいるし……)
考えすぎだ。ありもしない下心を疑うだなんて、スファルバーンに失礼ではないか。
大体、保護者達だって何も言ってきていない。従兄弟に何か含みがあるなら、伯父はともかく、祖母が黙っているはずがないではないか。つい最近自己認識の甘さを痛感したばかりなのに、今度は自意識過剰ではないか?
そんな思考の一方で、相変わらずエルマの体は固まっている。
(だってわたし……ユーグリークさまの婚約者、なのに)
もしエルマがただファントマジット家の令嬢であっただけであれば、もう少し気楽に、もっと早く答えを返している。
けれど脳裏にちらつくのが、エルマ関連のこととなると割合すぐ口と手が出てくるようになる魔性の男の姿だ。
彼は敵意を向けてくる相手には当然いい顔をしないだろうが、好意を向けてくる相手にどんな態度を取るのか……。
(ジェルマーヌ公爵邸の皆には、ちょっとムッとしている程度に見えたけど、でもこれは……!)
エルマは理解した。
自分が今最も恐れているのは、目の前のスファルバーンというよりも、この事態を知ったユーグリークの反応なのだと。
魔性の男は顔も非常識だが、行動もなかなかに(少なくともエルマの)常識から逸脱している。
今までの経験からして、身も心も無事では済まないだろう――という確信がある。
(お、落ち着くのよ、わたし。まず……そう、まずは事実を確認して。わたしが妄想逞しすぎるだけなら、それでおしまい。でももし、本当の本当なら――)
穏便に、毅然と、お断りするのだ。それ以外の選択肢はない。
それなりに長い沈黙を経てしまったが、代わりに考えをまとめたエルマは、時間を紛らわせるためだろうか、カップに手をかけているスファルバーンに姿勢を正して切り出した。
「その、スファルバーンさま。黙ってしまって、申し訳ございませんでした。いまいち何を仰りたいのかわからないのですが、先ほどのお言葉は、わたしが舞踏会で壁の花になった時、助けていただけるということなのでしょうか?」
「あっ……ああ、あの、えっと」
もはやそのまま話題を流されるとでも思っていたのだろうか。
慌てた様子でカップを机に戻し、スファルバーンは再び落ち着かずに手を合わせている。
「む、むむしろ、オ、オレが、か、壁、だから、いつも。こ、今年はエルフェミアが、いる、なら、い、嫌な顔も、しし、しないかな、って。ごご、ごめんね……」
「あっ……いえ、そういうことだったのですね! わたしこそ申し訳ございません、失礼しました!」
エルマはかっと顔を赤くする。やはり自分の考えすぎだった上に、相手に恥をかかせてしまった。
スファルバーンは見るからに華やかな場所は苦手そうだ。
去年がデビューの年だったのだろうが、散々女性達にフラれた思い出でもあるのだろうか。なんとなく光景が目に浮かんでしまうのがまた痛々しい。
誰からも踊りを申し込まれない女性というのも辛い立場だろうが、誰にも申し込みに行けない――行っても女性に応じてもらえない男性というのも相当キツかろう。
「わ、わたしごときでお役に立てるのでしたら、どうぞ存分にお使い下さい……」
「あ、ありがと……」
スファルバーンはまた、笑い慣れていなさそうなぎこちない笑顔を作った。
己の失態を深く恥じ、ため息を吐いているエルマをじっと見つめる。
「で、でも。ゼロでも、ないよ」
「…………?」
「こ、公爵夫人、って……す、すごく、大変、だ、だよ。か、完璧に、全部、やり、通しても、い、いくらでも悪口、言われる」
きょとんとした顔のエルマが顔を上げると、従兄弟はさっと目を伏せた。
合わせたままの手に目を落とし、けれど彼は続ける。
「は、張り合うつもりは……ない、よ。だだ、だってオレ――役立たずのできそこない、だし」
どもり癖があるのに、その言葉だけは非常に流暢だった。
まるで何度でも繰り返してきたことがあるように。
――わたしは、役立たずの、できそこないだから。
気がつくとエルマは立ち上がっていた。血の気の失せた顔で従兄弟を見下ろしている。
スファルバーンは奇妙に静かだった。上目遣いにエルマを見つめる。
「でで、でも、ね。さ、さっきも、話した、だろう? ファントマジットは、き、君がずっと、い、いてくれた方が、とと、父様も、祖母様も、ほ、本当は……いいって、思ってる。に、兄様は、ああ、だけど……オ、オレは、いいよ……」
ぞわ、とエルマは肌が粟立つのを感じた。
胸の中にいくつもの感情が渦巻くが、どれも言葉にできない。
(……ああ、わたしもこんな顔をしていたの? それとも今も、しているの……?)




