9.誘いと微笑み1
祖母と二人きりだった頃はまったりとした空気に包まれていたファントマジット邸だが、魔法伯当主がやってくるとまた雰囲気が変わった。
祖母とエルマだけの頃は、執事が一人、メイドが一人という少数精鋭でひっそりと日々を過ごしていたのだが、本家の当主が滞在するとなれば当然本家の使用人達も随伴する。
随分知らない人間が増えたし、男性比率も上がった。
伯父も、従兄弟のスファルバーンも、エルマに好意的ではあるが、祖母に比べるとどうしても緊張する。
特にスファルバーンは、性格は大人しめだろうが、独特の喋り方をするため、普通に会話するより気合いを入れて聞き取りをする必要があるのだ。
相手に悪気がないのもわかるが、こちらがどうしても構えてしまうのも事実である。
エルマは食事にかける時間が長くなったし、食べる量もちょっと減った。
それでもけして、ただ疲れるだけの無為な会話時間ではない。
たとえばファントマジット家について、改めて色々と解説してもらう機会があった。
そもそも魔法伯という称号は、公侯伯子男の爵位とは意味合いが異なる。
公から男爵位の貴族称号は、国王に認められた領主であることを意味するのだ。
この五種類の貴族は、必ず領地と領民を管理している。
逆にそれらを失えば、爵位持ちの貴族とは認められない。
例えばエルマの母方の叔父、ゼーデン=タルコーザは、タルコーザの名前と領地を受け継いだ貴族だった。
しかし、まともな経営を行わず、著しく領内の経済治安……その他諸々を悪化させた結果、「貴族を名乗る資格なし!」と判断され、爵位と財産を没収された。
この場合、貴族のタルコーザはもうただの平民のタルコーザ、ということになるわけだ。
一方、魔法伯という名は、固有の魔法を継ぐ血に与えられるものであり、必ずしも領地を必要としない。
というよりそもそも、平民にも関わらず特有の魔法で功績を挙げた者を王が貴族に召し上げようとした所、「領地管理とかめんどくさいので嫌です、俺は魔法のことだけ考えていたいんだ!」とごねるので、「そんなお前は今日から魔法伯だ、名前だけでも持っていけ!」と無理矢理押しつけた――という辺りが始まりなのだそうだ。
とは言え、魔法伯の称号は王侯貴族にとって魅力的であるため、誕生すれば平民のまま遊ばせてなぞおかず、競って取り込みに行く。
そして首尾良く魔法伯の人間を迎え入れられたなら、爵位より優先して魔法伯を名乗るようになる。
だからファントマジット家の場合、“加護戻し”の力を受け継ぐ魔法伯家でもあるが、ファントマジット領を管理する伯爵位を受け継ぐ貴族でもあるのだ。
……なかなか頭が痛くなりそうな、ややこしい話である。
だが、ファントマジット家が魔法伯家であり伯爵家であることにこそ、長兄ベレルバーンが頑なな態度を示した理由がある、ともう一人の従兄弟は更に教えてくれた。
この国では、男子の年長者を優先し、貴族位を継承する。
これはあくまで優先であり、絶対ではない。
体調や素行の問題など、年長者より年少者の方がふさわしいと判断されれば弟が継ぐこともある。
先代魔法伯の子息は二人いた。
兄トーラスバーン――現当主は、幼い頃から性格にも健康にも特に問題なく、魔法も無難に使える優等生だった。
何の不自由もなく、次の領主になるだろうと思われていた。
弟アーレスバーンが生まれるまでは。
父の代から“加護戻し”の才能を発現できず、「魔法伯ではなく今やただの伯爵家」という陰口に苦渋を呑まされていた先代にとって、次男の誕生は悲願成就に近かった。
せっかくの先祖返りが病弱であったことが、ますます執着を増長させた。
もしアーレスバーンに生来の体の弱さがなかったら、先代は次男に爵位を譲っていただろう。
彼こそ“真の魔法伯”だったのだから。
大事に生を保護されていたアーレスバーンは、けれど親の期待を裏切り、メイド風情に恋をして屋敷を出て行った。
ファントマジット家は再び、魔法伯を騙る伯爵家に戻ったのだ。
そして当代の二人の息子達もまた、“加護戻し”の力は受け継がなかった。
「に、にに、兄さんは、ね。じ、自分が、当主様、に、にに、なった、ら。ま、“魔法伯”を……もう、お、終わら、せる、つつ……つもりだったの、かな、って。そもそも、と、父様が、ひ、引き継いだの、すす、すごく、い、嫌だった、みたい……」
曰く、三代連続で固有魔法が発現しなかった場合、魔法伯の称号は返上できる。
三代目まで才能に恵まれなければ、四代目以降に引き継がれる可能性はかなり低くなるから、だそうだ。
当人達自身、華々しい名前だけ持って実態を伴わないとなれば、惨めな気持ちになるだろう。
先々代、先代は加護戻しの才能がなかった。
弟には力があったと言え、当代自身もまた凡庸な魔法使いの系譜となる。
もし彼が望めば、魔法伯家からただの伯爵家に戻ることもできただろう。
「伯父さまは、お父さまのことをまだ家族と思ってくださっていたから、魔法伯の名を継いだのかしら……」
エルマがぽつりと呟けば、こくこくと従兄弟は頷いた。
(どうしてわたしが――お父さまが敵意を向けられるのかは、わかった。わたし達の存在が――継いだもの自体が、ベレルバーンさまにとっては目障りなものだったのね。けれど……)
あちらの――ファントマジット家の事情は掴めてきた。それに対して自分がどう対応するのか……その前に、どう感じているのかまとめるのも、今はまだ難しそうだが。
「ありがとうございます、スファルバーンさま。お兄さまがわたしを嫌うのは……辛いけれど。でも、何もわからないより、理由が少しわかった方が、すっきりしたみたい」
礼を述べれば、従兄弟は嬉しそうににへっと笑った。エルマは少しの間じっとその顔を見てから、あ、と口を開く。
(そうか。この、素直に嬉しさをぶつけてくる感じ……ユーグリークさまと、ちょっとだけ似ているのだわ。そわそわしながら周りをうろついてくるような所も、そうかも)
少しだけ従兄弟に対してのわだかまりが取れたような気持ちだった。
スファルバーンはなおも手を擦らせ、手をさまよわせていたが、大きく息を吸い、ぎゅっと両手を合わせる。
「あ、あの、あのさ、エルフェミア。お、お披露目の……ぶ、ぶぶ、舞踏会、だけど」
「はい。何でしょうか?」
「オレと……お、踊る、つもり。ない?」
エルマは予想だにしなかった言葉にパチパチと瞬きし、意味がわかると凍り付いた。




