7.息抜きとおねだり 前編
祖母はいい気分転換になるだろうと、ユーグリークの招待を快諾した。
伯父も快く、楽しんでおいでと送り出してくれる。
指定されたのはいつもの公爵邸とは異なり、郊外の開けた場所だった。
冬だから草木の緑は控えめだが、空気が澄んでいて気持ちいい。
年越しから新年にかけては家族と共に過ごす人が多く、ファントマジット家も例外ではない。
久々にジェルマーヌ邸の面々と顔を合わせてみたかった気もするが、屋敷には現在、ユーグリークだけでなく、彼の両親も滞在している。
その分見知らぬ人も増えているし、そこにエルマを迎えようとなると、父公爵への紹介も当然必要になってくるだろう。
緊張せず楽しい気持ちだけ抱いて出かけられるのだと思うと、悪くない。
一体公爵家側でどんなやりとりをして今回の場を勝ち取ってきたのかは謎だが、もしかしたら祖母が何か公爵夫人に言ってくれたのだろうか。
従兄弟の件はショックだったが、それでユーグリークと会えるきっかけができたのかもしれないと考えると、なかなか複雑な気持ちだ。
馬車から降りたエルマは、出迎えに来たユーグリークの傍らに立つ女性を見て、ぱっと顔を輝かせる。
「ニーサさん!」
「新年のお慶びを申し上げます、お嬢様」
ふっくらした中年の侍女は、ジェルマーヌ公爵邸の使用人達の中でも最も気心知れた相手だ。
「まあまあ、またお綺麗になられまして」
「伯父さまにも言われたわ。皆わたしをおだてるのが上手ね」
「本当のことを言っているだけですよ」
女二人でくすくす笑い合っていると、横からぬっと手が伸びてきて、エルマを侍女から引き剥がす。
「俺よりニーサか?」
覆面をしていても、ムッとした表情をしているのが目に浮かぶようだ。魔性の男はなかなか嫉妬深い。
まあ、今回はエルマが真っ先に目に入った侍女を優先してしまったのが悪い。
「ユーグリークさまも、こんにち――ではなくて、えっと、新年おめでとうございます!」
「…………? あ。そうか――ええと、新年おめでとう、エルマ」
エルマは最初に出てきそうになった言葉をすんでの所で飲み込んで、急ぎ定型句を述べる。
一瞬戸惑うように間を置いたユーグリークも、意図をすぐに悟り、慌てて応じる。
秘密の逢い引きはあくまで秘密。表向きはこれが新年初めましてなのに、危うく頭からすこんと飛ばしかけていた。
そわそわした雰囲気が主人とその婚約者の間に流れると、侍女は何か察したような顔になり、肩をすくめた。
「坊ちゃま、オイタは程々にしませんと、また奥様が怖いですよ」
「……わかってる。この前身に染みた」
まあ、エルマが公爵邸に滞在していた時に共に時を過ごした使用人達は、もれなく全員坊ちゃまとその恋人の味方である。
保護者に告げ口するようなことはしないだろう。
しかしこの、会えるとなると途端に浮かれてしまう心は、もっと意識して自制せねば。
肩から羽織ってきたケープも、軽率だったかもしれない……エルマはそんな風に反省しているのだが、彼女が早速新年の贈り物を身につけていると気がついたユーグリークは、あっという間に機嫌を直していた。魔性の男は単純でもある。
「新年お慶び申し上げます、閣下」
「魔法伯夫人、失礼を。ご挨拶が遅れました。新年お祝い申し上げます」
後からゆったりと馬車から出てきたエルマの祖母と挨拶を終えると、ユーグリークは早速エルマに手を差し出してくる。
「……手袋」
「エルマだってケープを着てきてる。両想いだ。……まあ、その、さっき挨拶のことを忘れていたのは、悪かったが」
「うっ……でも、あの、わたし、そういえば、今日はユーグリークさまに確認しないといけないことがあるんです」
「何だ? 何でも聞いてくれ」
「指輪に位置探査機能があるって、どういうことですか?」
「どこで聞いた、ヴァーリス――いや母上か、母上だな!?」
「今質問しているのはわたしですよ、ユーグリークさま!」
エスコートから囁き声で喧嘩もどきを始める若者二人を見つめながら、
「若いっていいわねえ」
「はい。こちらまで心が潤うような気分でございます」
と見守る保護者達であった。
「それにしても、何かあったのか、エルマ? この前より元気がない」
フォルトラの運動を一通り終えると、ニーサがお昼の場を準備してくれた。
「今日は特別ですよ」と声をかけた祖母が他の人間を引き連れていなくなると、ユーグリークは布を取りながらそう尋ねてくる。
二人分のお茶を準備していたエルマは、うっと詰まった。
「……そう見えますか?」
「俺の勘違いなら、それでいいんだが」
ユーグリークは早速一つ目のサンドイッチを手に取って頬張る。
エルマも一つ目を手に取ったが、彼に比べると進みが遅い。向こうはあっという間に二つ片付け、三つ目に手を伸ばした所で未だ一つ目を手にしたままのエルマに眉を顰めた。
「やっぱり調子が良くないのか?」
「ええと……その」
せっかく婚約者と一緒にいて、保護者から二人きりの場まで用意してもらったのに、いまいち元気がない理由は明白だ。
けれどエルマが口ごもるのは、今話している相手がユーグリークその人だからである。
大貴族ジェルマーヌ家の嫡男。
王太子ヴァーリスの右腕にして護衛騎士筆頭。
圧倒的な魔力保有量と、それを統制する腕。
魔法が禁じられている場面での単純な強さ。
“氷冷の魔性”とは、けして布の下の美貌のことのみを示す言葉ではない。それは孤高であり常勝である、彼の力に対する畏怖だった。
ユーグリークには力がある。
彼はけしてそれにおごることはなく、むしろ自分の過剰な力で他人が傷つくことを忌避する性格だ。
けれどエルマが絡むと彼も変わる。
かつてエルマを虐げていたうちの一人は、エルマに対しての侮辱が怒りを買い、結果ユーグリークに正気を奪われた。
エルマのことになると己を抑えられない。だから傷つけてしまう前に別れよう。
そんな風に身を引こうとした彼を、自分があなたの鞘になるからと引き止めて、今の関係がある。
(従兄弟にわたしが認められていないことは……慎重に説明しないと)
それこそ例えばエルマが、「酷い目に遭わされた相手がいるからやっつけてほしい」とでも言えば、彼はその通りにするだろう。
だが、それではいけない。
ヴァーリスにユーグリークともう一度会いたい、仲を取り持ってほしいとお願いした時、
「君がもしユーグの力を濫用することに何の罪悪感も感じない、あるいはそれより自分の気持ちよさを優先させる人間なら、僕もただユーグリークを茶化しているだけではいられなくなるな」
と釘を刺された言葉が耳に蘇る。
「……その。自分の力不足を、痛感したのです」
じっと銀色の視線を注がれているのを感じながら、エルマはそっと喋り出す。
「力不足?」
「わたし……自分が何か、偉いものにもうなっているような、そんな風におごっていたような気がします。わたしは今までのわたしのままなのに……」
「また誰か、君のことを悪く言ったのか」
「そうではなく……いえ、そうじゃないと言うのも違うのですけど。あの……」
エルマは考える。
違うのだ、ユーグリークに怒ってほしいわけではない。だが自分が今悲しい気持ちであることも確かだ。
どう伝えればいいのだろう?
「な、慰めて、いただきたいな、と……」