後日談 乗馬の練習の約束
「エルマ、相談なんだが」
ある日、エルマの元にやってきたユーグリークがそんなことを言い出した。
エルマが作業の手を止めて首を傾げると、彼は机に紙を広げる。
「どれがいいと思う?」
「これは……えっと、鞍でしょうか……?」
「うん。前に言っただろう、二人乗り用を作ろうって」
言われてエルマはあっと口を開いた。
確かに戯れのようなやりとりをかわした記憶はある。
今までも何度かフォルトラには乗せてもらっている。
が、まさかそれが恒常的になるとまでは思っておらず、オロオロしている間にユーグリークは話を進めていく。
「まあ、ざっくりと分けると、二つデザイン案がある。エルマが前に乗るか、後ろに乗るか。今まではいつも前に乗せていたが、実はそれだと操縦が安定しない。ただ後ろに乗ってもらうことになると、今度はエルマが座りにくいんじゃないかと――」
「あの、待ってください。本当に二人乗り用の鞍を作るんですか!?」
「……もしかして、冗談だと思っていたのか? 俺はエルマの事にはいつも本気だぞ。それともエルマは俺とフォルトラに乗るのが好きではないのか?」
布の下の表情はたぶん安定の真顔だろう。
エルマはうっと言葉を詰まらせた。
「だって……でも、あの。その、わたしもご一緒させていただくのは楽しいですし、嬉しいですけれど……フォルトラの負担が大きすぎませんか?」
「エルマは軽いから大丈夫だ」
「ユーグリークさま? あの、わたしのことを大事にしてくださって、なるべく良い点を見てくださろうとするのはとてもありがたいのですけど、時には現実を見る必要があると思います。わたしは羽のように軽い何かではありません。一応、人一人分の重さがあります」
「まあ確かに、会ったばかりの頃よりは――」
ユーグリークはエルマの顔を見て言葉を切った。
「結婚したくない女から高確率で減点票を獲得できる話題を教えてやろう。体重と年齢だ。触れた時点でほぼほぼ嫌われる」
ふと、以前したり顔で大親友(仮)が述べていた言葉が頭をよぎった。
エルマの真顔というややレアな表情を前に、服の下でつっと冷や汗が流れる。
対人スキルの低さに自他共に定評のある男は、それでも最悪の回答を回避すべく、ちょっとの間に色々忙しく考えた。
「……エルマは軽いが、仮に以前より健康的になっていたとしても、フォルトラには問題ない」
「そう……なんでしょうか……?」
微妙そうに変化した表情からして、高得点とは行かずとも、及第点ギリギリあたりにはとどまった、というところだろうか。
それにフォルトラは天馬、通常の馬以上に力がある。
エルマを乗せた時に嫌がるとしたら、重さ自体の問題と言うより、重心がいつもと変わることで飛びにくくなることが原因だろう。
ついでに言うと、奴は子どもの頃から面倒を見ているユーグリークに信頼を置いているが、単純な好感度としては、エルマに対する方がおそらく高い。
自分相手だとちょこちょこと反抗することもあるが、エルマが乗ったら素直に言うことを聞くんじゃないかな……という気がしている。飼い主の勘だが。
話している間に、ユーグリークは前後の座る場所問題以外に検討事項があったことを思い出した。
「そうだ、エルマ。エルマは横乗りと普通乗り、どちらがいい?」
「……えっと?」
「長いスカートを穿いていると、鞍をまたげないだろう。だから横向きに乗る必要がある。ただ、この座り方だとやっぱり安定感は落ちるし、重心が偏るからフォルトラはあまり好まない」
言われてエルマは、今までユーグリークの前に乗っていた時は自然と横向きだったことに気がつく。
「……でも、あの。ドレスを着ていたら、またがることはできませんよね……」
「うん。そうすると、乗馬用の服も作る必要があるな」
「そ、そうなんですか……」
思っていた以上に大事になりそうな気配に、エルマは図案に目を落としてため息を吐く。
「でも、鞍まで作っていただけるのだとすると、わたし、馬に乗る練習をした方がよさそうですね。それにフォルトラのことを考えるなら、横乗りではなく普通乗りの練習をした方がいいのでしょう……」
そこで急に、ユーグリークが黙り込んだ。視線は下の方――エルマのスカートの辺りに固定されている。
「……あの。ユーグリークさま?」
「エルマは今後も馬に乗ってどこか自分で出かけたりしたいか?」
「えっ? いえ、あの……どちらかというと、その、たしなみ方を覚えたい、というところになるのでしょうか……」
実用的に普段から馬に乗りたいというよりは、フォルトラに乗せてもらえる機会が増えるならちゃんとした乗り方を覚えておきたい、という気持ちなのである。
意図が伝わったらしく、ユーグリークがほっと緊張を緩めた。
「そうか。なら俺とフォルトラと練習しよう」
「ユーグリークさまと? でも、お忙しいのに、そんな――」
「他の誰かに任せるつもりはない。まあ、時間は作るから、楽しみにしていてくれ。鞍はその後でもいいかな……」
ユーグリークはくるくると広げた紙を丸めた。
ただでさえ多忙な彼の時間を奪うようで申し訳なくなったエルマだが、彼は気にしていないどころか、むしろなんだか上機嫌な様子をしていた。
――なお、なぜユーグリークが自分で面倒を見ると言い出したり、嬉しそうな様子だったりしたのかは、普通乗り用の乗馬服のデザイン――結構太腿からお尻のラインが出るズボン――を見た時、初めて理解したエルマなのだった。
年内の番外編更新はこれが最後になると思います。
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