過去編 後に大親友(仮)になる二人の出会い 中編
ユーグリークは入って早々の大立回りこそ繰り広げたものの、基本的には非常に模範的な生徒だった。元々彼は大人しすぎて気味悪がられるタイプの優等生である。
謹慎が明けてからは何事もなく日々淡々と講義に出席し、課題提出も欠かさない。
休み時間は一人静かに読書に励んでいる。
たまにこっそり、薄布の下から楽しそうに話す生徒達を見つめていることもある。
たぶんあれが父の希望する理想型なのだろう、とぼんやり彼は思考している。
しかし、自分があの輪の中に加われるイメージはちっとも湧いて来なかった。運良く声をかけてきてくれた物好きと親しくなったとて、ティリスのことを思い出す。
近づけたがゆえに傷つけるなんて、もう二度とごめんだ。
(独りになるな――か。だけど、独りの方が、誰も傷つかないじゃないか)
けれどかつてこの世の大罪、大災害として恐れられた無貌の魔女は、独りであったがゆえに力を暴走させたらしい。
近頃ユーグリークはそれが解せない。
誰とも関わらずにいれば、誰も傷つけようがないはずではないか?
近づこうとすれば、その分相手が遠ざかる。永久に届かない追いかけっこでもさせられている気分だ。
(まあ、今の俺は、追いかけてすらいないってことになるのかな……)
どこからどう見てもお一人様を満喫している自分を客観視して、少年はため息を漏らす。
過ごしやすい季節の昼は心地よく、彼はうとうと木にもたれかかったまままどろんで――そしてうっかり寝過ごした。
はっと気がついたときには既に午後の授業が始まっている。
ちょうど入学以降、ずっと張り続けていた気が緩んだのかもしれない。
とは言え、勉強の内容自体ならとっくにユーグリークは自宅の学習で完了していた。
特に今の時期の座学は基礎中心、知っている内容の復習だ。
課題と試験さえこなせるなら、極論講義によっては一度も顔を出さなくても単位は取得可能である。
つまり今から慌てて教室に駆け込むのも馬鹿らしい。
少し考えて、ユーグリークはその日の午後は自主休講にすることにした。
(……はからずも不良になってしまった)
彼は生来そつなく従順な気質である。規律の上に立つ者は、規律こそ自らを守るもの、そしてまた自らが守るものであると知っているからである。
しかし、思いがけない予定外は思春期の心を浮かれさせた。
ティリスの脱走は見送る方だったが、ふと走って空を切る感触を知りたくなる時もあった。
授業中の学校の屋外は静かなものだった。
外で実技の講義があれば賑やかだったかもしれないが、この時間はどうやら違うらしい。
さくさくと芝生を踏み分け、ユーグリークはそっと歩き出した。
図書室――に行くのもありだが、こんな特別な時間はせっかくだからいつもと違う事がしてみたい。
本人も周囲の人間も忘れがちだが、彼はまだ十代の子どもだった。
日頃より軽やかな足取りで外の散策を進める彼は、ふと何かの気配に気がついて足を止める。
薄布越しに目をそらすと、誰かがぽつんと座り込んでいた。着ているのはおそらく制服だ。となると自分同様、サボりの生徒だろうか。
普段のユーグリークであれば、迷わず人影を大回りに避けて自由の身を満喫していたところだったろう。
だが、その時は何かが違った。
なんとなく放っておけないような何かが、その生徒にはあった。
彼はしばし迷ってから、ゆっくり、静かに近づいていく。
数歩の距離になったところで、俯くようだった金髪の少年はふと顔を上げ、こちらに背を向けたまま声をかけてきた。
「何か用か?」
「……いや。むしろ君がここで何をしているのかと」
金髪の少年はふんと鼻を鳴らし、片手を上げて指差す。
「そこに池があるだろう。さっき持ち物を落としてな。まあなくても一応どうにかはできるんだが、不便ではあるし、なくしましたと言うとそれはそれで面倒なんだ。なので、どうしたものかとここで途方に暮れていた」
随分はきはきしているしゃべり方だ。なんとなく、もうちょっと自分と同じ大人しめの人物を連想していたユーグリークは、いささか面食らいながら目の前の水場に目を移す。
過ごしやすい季節の昼間時ではあるが、風が吹けば濡れた服はさぞ冷たかろう。
土属性の魔法使いなのだろうか、などと訝しみ、さらに池に近づいたユーグリークは何気なく相手の顔を見てはっと息を呑む。
金髪の少年の目は色が薄く、何より焦点が合っていない。領地でこういう人を見たことがある。使用人の祖母だとかで、地面を探るように杖を突きながら歩くのだ――。
「君は――ひょっとして、目が見えないのか?」
「うむ。眼鏡がごとき矯正具をかけてもどうにもならない程度には、この眼球はイカれているらしくてね。小さい頃に病気でやらかしたんだそうだ」
見知らぬ相手に感じた違和感の正体の一つがわかった。
何か他の人と違う雰囲気に見えたのは、それこそ異なる視点を持っていたからなのだろう。
ユーグリークと違って適当に制服を着崩しており、年は少し上ぐらいに見える。
確かに、見えていないのに水の中に落ちた物を拾えというのは難儀なことだろう。
ユーグリークはこっそり腕まくりしながら、何気なく聞いた。
「落とした持ち物ってなんだ?」
「歩行杖、授業用鞄、及びその中身全部」
「……うん?」
「歩行杖、授業用鞄、及びその中身全部。それを全部落っことした」
なんかやけに多くないか? というか、落としたら本人にとって致命的な物まで混じってないか? と思って首を傾げたら、よく聞こえる声でもう一度丁寧に落とし物リストを列挙された。
面食らっているユーグリークに、金髪の少年は歯すら見せている。
「何の冗談かと思うだろう? 冗談ではなさそうなんだなあ、これが」
「……池に落ちたのではなく、落とした?」
「ぼちゃんとやった。僕はよっぽどドジなんだろうなあ」
「…………本当に、君が落としたのか?」
「持ち物が手から離れたら落としたと表現するだろう?」
「その。俺が聞いているのは、何か嫌なことがあって故意に自分から放り投げたのだろうか、と……」
「さあ? 僕には勝手に手から離れていったように感じたが、もしかしたら僕の無意識の欲求を感じ取って持ち物達が気を利かせたのかもしれないな!」
たぶんこれは、ユーグリークの質問の意図を理解した上ではぐらかされている。というか、からかわれているような気がしてきた。
しかし見た目や言動は、実際に目が見えない人間の言動に見えるし、であれば杖なり介助人なり、何かしら出歩くための手助けは必要なはず。そして彼は今手ぶらなのである。
ユーグリーク少年は昔から今に至るまで、率直に言うとコミュニケーション能力が低い。
未知との遭遇に、基本模範生であるところの少年はそれなりに動揺していた。そのため困惑はそのまま失言につながった。
「もしかして、君はいじめられているのか?」
「もしかしなくても君って結構間抜けだろう、ユーグリーク=ジェルマーヌ」
明らかに言わなくていいことを先に滑らせたのはこちらだが、またも予想外の方向からの返しに、今度こそユーグリークは絶句する。
名前の方であれば、まだどうにかして知る方法はあるだろう。
だが、ここに来てからは誰にも名乗っていない姓を、なぜそうもたやすく。
金髪の少年は頬杖をつき、微笑みを深めた。
「入ってきて早々、先輩をボコボコにして謹慎処分を喰らう問題児が目立たないとでも? めしいだって知ってるさ。あの馬鹿のビービーわめく悲鳴なんて滅多に機会がない。実にいい見世物だったよ、氷冷の魔性様」