過去編 凍てつく心閉ざして6
ティリスは母と同じ騎士になることを目指していた。
正式な騎士となるには最低三年間、学校ないし養成所で教育と研修を受け、国家試験に合格する必要がある。ストレートに騎士を目指すなら、十五歳から騎士学校に通って受験し、卒業と共に就職するのが最も一般的な道ということになる。
活動的で正義感の強い性格は、職業適性として申し分ない。
基礎教育にも不安はなかった。何しろ公爵家の家庭教師という教師がついていたのである。
乗馬がうまかったのは、先にも述べた通り。
ティリスの未来については本人も誰も心配はしていなかったが、母モスコーバ夫人だけは少し違った。
親とは往々にして、子どもの未来のためには自分以上に貪欲になる生き物である。
同じ条件の男女が候補に挙がるのであれば、騎士という職業には当然男性が望ましい――そのような考えは公言される機会こそ減ったものの、今でも人々の間に根深く存在している。
騎士になるだけであれば十五歳からの入学で問題ないだろうが、より先を――騎士になった後のキャリアを考えるのであれば、今のうちから学校に行っておく方が選択肢が広がるのではないか。
母の熱心な説得は、まず大人達に、次いで本人にも響いた。
かくてティリス=モスコーバは十二で入学する運びとなった。
王都の騎士学校は全寮制だ。日頃から集団行動に自然と馴染むことができる。
三年早く計画が前倒しになったことを、ユーグリークは当然少し残念に思ったが、ティリスの未来を思って祝福した。
元々彼は両親が心配するほど大人びていて、聞き分けの良い子どもである。
それがティリスには少し不満だったらしい。
その日、モスコーバ家の弟は別の用事があるとかで外していた。
あるいはもしかすると、姉に気をつかった結果だったのかもしれない。
いや、おそらく屋敷中の人間達がその日はティリスのことを考えていた。
つまみ食いをしても料理番は怒らず、少女がこっそりポニーを連れ出して遠乗りに出かけても厩番は見逃し、そしてユーグリークが「呼んでくる」と一人で後を追っても、誰もついていく野暮を起こそうとはしなかった。
だからユーグリークは、ポニーを草原に放してぷらぷらと木の上で足を揺らすティリスを一人で見つけた。
呼んでも降りてこないので、自分もポニーから下りてその辺にはなしてやり、木にもたれかかるようにして座り込み、持ってきた本を広げる。
しばらくユーグリークがページをめくる音だけが響いていた。
そのうち、少女の高い声が上から降ってくる。
「ユーグリーク様って、実はあたしのこと嫌いなの?」
驚いて彼が見上げると、お下げ髪の少女はわかりやすくむくれた顔になっている。
この頃からずっと、いまいちこの手の機微に疎いユーグリーク=ジェルマーヌは、相手の不機嫌の理由が特に思いつかずに首を傾げた。
「どうして? 俺が何か嫌なことをしてしまった?」
「嫌なことっていうか……ちょっと冷たくない? あたし、もうすぐ王都に行っちゃうんですけど」
「でも、ずっと会えないってわけじゃない。長期休暇には戻ってこられるんだし」
「こんな風に過ごせるのはこれで最後かもよ?」
ピンとこない、という風情の彼を見て、ティリスはいらいら首を振り、木から飛び降りた。
ユーグリークから本を取り上げてしまい、彼の覆面をのぞき込む。
彼が人と、特に顔を近づけないようにしているのはティリスも重々承知していたことのはずだ。
思いがけない彼女の行動にユーグリークはのけぞって、ガン! と音を立てて木に後頭部をぶつけた。
しかしティリスはやはりいつもと異なり、彼を案ずるより先に自分の不満の方を口にする。
「あたし、本より魅力ないの?」
「全然、そんなことは……」
「じゃあなんで、行かないでとか、一度も言わないのよ!」
「ティリスの未来を考えたら、今から騎士学校に入る方がいい。それに、俺が一人でどうこう言っても、変わらないだろうし……」
「なんでよ! 変わるかもしれないじゃない!!」
ユーグリークは頭を押さえたまま、地団駄を踏むティリスを見上げた。
「……変わる方が困る。そういうものじゃない?」
半ば独り言のように呟いた彼の言葉に、少女ははっとする。
しばし気まずい沈黙が流れた後、彼女はまたきっと眼をつり上げた。
「待って。変じゃない。変わる事の方が嫌なら、あたしとわかれたくないって思わないの?」
「それは……だから別に、もう一生会えないわけじゃ――」
「ユーグリーク様。あたしは十二になったわ。騎士学校を卒業する頃には十八歳。成人の年」
今度はユーグリークの方がはっと顔を上げたようだった。
いつもは明るい少女が真剣な表情をして黙ると、たった二歳とは言え年上の貫禄がにじみ出るように思わせる。
「あたしはあなたの遊び相手――子ども時代だけの。もう、こんな時間は二度と来ない。だからって騎士学校に行きたくない訳じゃないわよ。母さんや皆、それにあんたの言うとおり。あたしは女で、騎士はまだまだ女より男の方がいいって思われてる仕事だもの。でもあんた、全然寂しいように見えないから。あたしは少し、ううん、大分悲しい気持ちになっているわけ」
「寂しくないわけじゃないよ。ただ……」
「わかってる。弟の方はまだ残るし、別にあんたのことを冷血漢呼ばわりしようなんて思ってない。……わかってるわよ。あたしがまだまだ子どもなだけだってことぐらい。それでも、なんだか、とても……」
きゅっと唇を噛みしめて俯く少女に、ユーグリークはおろおろとした。
ティリスがまっすぐに思った事をぶつける姿はまぶしかったが、時折自分がどう返したらいいのかわからなくなる。
自分としては精一杯のつもりでも、顔が見えない事で余計に何を考えているのか伝わっていないのかもしれない、と感じる事もあった。
「……ティリス。別に、これが最期にはならないと思う。けれど確かに、俺たちの最後にはなるのかもしれない。俺……何かできることはあるかな」
「なあに? 例えばあたしが今から遠乗りに行ったら、見逃してくれるの?」
「今日だけは誰にも行き先を言わないよ」
ユーグリークは普段、ティリスのお転婆の数々について、進んで大人に言いつけにまではいかないが、尋ねられれば特に拘りなく悪巧みを全て教えてしまう。
だが今日は、黙っていると言う。
笑みを戻すかに見えたティリスが、また真顔になった。
「じゃあ、ユーグリーク様。お願いしてもいい?」
「俺にできることなら」
「ええ、当然。無理なら聞かなかったことにしてくれればいいの」
ティリスは目の高さを合わせるように自分も腰を下ろし、じっとユーグリークの顔を見た。
「一度で良い。一瞬でいいから……あなたの顔を、あたしに見せてくれない?」




