過去編 凍てつく心閉ざして1
大体エルマと出会うまでのユーグリーク過去編です。
そんなに長くはならないと思います。
ジェルマーヌ公爵夫妻に待望の男児が誕生したのは、二人が結婚して十五年経ってのことだった。
最初の子は二年目に生まれた。母親そっくりの可愛らしい女の子である。
両親は長子の誕生を喜びつつ、一方で二人目三人目への期待を募らせた。
しかし全く後が続かない。
跡継ぎに恵まれないことは、他のことで欠点のないジェルマーヌ夫妻の長年の悩み事であった。
当然のように愛妾を持つ提案もなされたが、公爵は頑として首を縦に振ろうとしなかった。
とは言え、人がいつまでも生きていられない以上、引き継ぎは考えなければならない。
これはもう諦めて親戚から養子を迎えるしか……と覚悟を決めようとした直後、夫妻は待望の次子を得た。
無事に二度目のお産を終え、男の子だとわかった二人の喜びようと言ったらなかった。
特に公爵当主ルドリークと来たら、はしゃぐあまり雪の降り積もる真白い庭を走り回り、付き人達をハラハラさせた程だ。
翌日、案の定風邪を引き、一週間以上赤ん坊と面会謝絶になって半べそをかいたのは、有名な笑い話である。
雪の日に生まれた銀色の男の子を、夫妻も周囲もよく可愛がった。
何せ赤子の頃から傑出した美貌の持ち主だったのだ。
美男美女で有名な夫妻だったが、両親のいいとこ取りをした上、更に磨きがかかっていた。
おまけに彼は、常に銀色の光を瞳に宿していた。
魔力のある人間は、魔法の使用時に体内の魔力量増加に伴い、瞳を輝かせる。
つまり日頃から目が淡く輝いているというのは、それだけで高い魔力量を有することの証明になる。
体内の魔力量と、魔法使いとしての優秀さは、必ずしも相関する訳ではない。
エネルギー源があることと、そのエネルギー源の出力変換に長けているかは、別の才能になるからだ。
とは言え、常に瞳が輝くほどの魔力量を有しているならば、ある程度の活躍が期待できる。
仮に魔法使いの才能に恵まれずとも、子孫に力を継がせることはできるだろう。
だが、思いがけぬ弟の誕生を、一家の中心を奪われてしまう形となる姉は果たして歓迎できるのだろうか。
両親のそんなささやかな唯一の懸念も、全く問題にならなかった。
というのもジェルマーヌ公爵家長女は、品行方正優等生の顔の下で、密かに意中の相手を作っていたのである。
相手は隣国貴族の子息だ。ジェルマーヌ公爵家と同程度の格で、結婚相手としては申し分ない。随分昔に一度だけ会っただけの関係なのに、飽きもせず手紙を重ね、恋に興味の芽生える年頃にはすっかり熱烈な愛の言葉を交わす仲になっていた。
もし公爵家が一人娘のみのままであったなら、両親は隣国に娘を嫁がせることに諸手を挙げて賛成とは行かなかっただろう。
相手は嫡男だった。しかも一人っ子で替えが効かない。結婚したらあちらの国に娘を渡さなければならない。
親戚筋から迎えた養子と娘が結ばれるのが最も公爵家にとっての安泰、そうでなくともせめて国内の誰かにしてほしい――というのが正直な気持ちだったはずだ。
誰にも文句のつけようのない跡継ぎが産まれた後なら、長女にも多少恋愛の自由が利くようになる。
というわけで、長女にとって弟に皆の興味が移ることはむしろ願ってもないことで、何の他意もなく心を込めて可愛がったのだった。
数年間は、ジェルマーヌ公爵家は愛と平和に満ちていた。
しかし数年後、徐々に空気が変わり始める。
ユーグリークと名付けられた銀色の男児は、時折熱など出して周囲をやきもきさせつつ、大方は健やかに成長し、ますます美貌に磨きをかけていった。
よちよち歩きの息子の背を見つめながら、まず母親が最初の不安を零す。
「こんなに可愛くて……大丈夫なのかしら」
「何が? 確かにユーグリークは親の贔屓目を抜いても綺麗な子だが」
「そう、綺麗すぎるのです。……そう思いませんか?」
「女の子ならともかく、男の子だぞ? 強面でも美男子でも困らないだろう」
大体において楽天家の夫がのほほんと答えるので、母もため息を零しつつ過保護なのだと自分に言い聞かせた。
それから少しして、いつも弟の遊び相手をしていた長女がそっと母親に近づいてきた。
「お母さま、私ね……」
「どうかしたの?」
「こんなこと、言ってはいけないのかもしれないけど……ユーグリークが怖いの」
「怖い? 何か嫌なことでもされたの? 虫をくっつけられたとか?」
「違うのよ! あの子は本当にいい子よ、私の方が気をつかってもらっているくらい。賢い子ね、大人のこざかしい嘘なんてすぐ見抜いてしまうの。ただ……」
「――ただ?」
「あの子の顔をずっと見ていると、だんだんおかしな気分になってくるみたいで。私が私でなくなるような……ううん、私も知らない私が出てきてしまうような。それが怖いの。いつかあの子を、この手で傷つけてしまいそうで」
長女の真面目に語る言葉を、母はとても気にすることではないと一蹴できなかった。
ちょうど彼女の成人、及びそれに伴う随分と早い結婚が近づいたため、姉弟の別れは自然に訪れた。
ユーグリークは優しい姉がいなくなることを寂しがっていたが、駄々をこねる事もなく快く送り出した。
円満に別れのキスを頬と額にかわす姉弟の姿を見て、誰より安心したのは母親だ。
後にして思えば、二人の年が離れていたこと、姉がさっさと嫁入りで家を出てしまったことは、おそらくジェルマーヌの姉弟にとってこれ以上ないほどの幸運であった。
もし仮に年が近かったり、もっと家にいる時間が長かったのなら――ユーグリークの特異性に大人達が気がつく前に、取り返しのつかないことが起きていたかもしれない。