後日談 婚約者達の日々1
氷冷の魔性と名高い男は、かつて残業上等、呼ばれればいつでも王太子の側に侍るような仕事ぶりだった。しかし最近の彼は、一応の主人に何か言われる度に、
「それは俺でないと駄目なのか」
と一言目に確認し、
「緊急度が高いのか」
と二言目に念押しし、
「そうか。なら俺は必要ないということだな。帰る」
と三言目に宣言して華麗な定時帰り(何なら早退)を決めるようになっている。
「なんだあの浮かれ頭は、全く以てけしからん」
などとヴァーリスはブーブー言っているが、そもそも彼は公爵家の令息、それも次期当主の嫡男なのだ。
「まあ、領地のことは担当各位が現役ですので、何とでもなります。それより愚息のことは是非こき使っていただきたく……いえ、あの、ヴァーリス様以外にも友達を作ってほしいというか……下手に領地に戻すと、これ幸いとばかりに本格的な引きこもりになりそうな予感が……」
という現公爵の親心に基づき王城に置きっぱなしにされていたわけだが、そろそろ本来の形に戻るべき時が来たということなのだろう。
第一、仮にユーグリークの急な変化に何か思うところがあったとしても、そもそも上級貴族なので気軽に話しかけづらい。
しかも彼は常に布で顔を隠していて、表情が見えない。性格は真面目ではあるが、逆に冗談が通じないということでもある。
そこに長身やら、低い声やらが条件に加わることで更に威圧感が増し、苦手意識を抱いている者は多い。
加えて、彼は武闘大会に出れば必ず優勝するからと、出場禁止が申し渡されているほどの実力者だ。
よほどのアホでなければ、そんな男をあえて不機嫌にしようと試みることはない。
そして唯一その可能性があるヴァーリスは内部事情を知っているため、文句は散々言えど、あえて赤の他人に情報漏洩して親友を困らせるようなこともしなかった。
というわけで、最近早く帰りたい理由ができたユーグリークは誰にも邪魔される事なく、急いで館に戻ってきた。
今日は婚約者が遊びに来ている日だ。なおさら晩餐に余裕を持って戻りたい理由がある。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「エルマは?」
「今日はニーサと買い物に。帰っていらしてからは、刺繍をなさっております」
屋敷の人間達に様子を聞き出すと、ユーグリークは足早にいつも彼女が作業をしている部屋に向かう。
エルマ――エルフェミア=ファントマジットは、衝撃的な出会いから紆余曲折を経て、晴れてユーグリーク=ジェルマーヌの婚約者となった。今の彼女の右手の薬指には、ユーグリークが贈った指輪が輝いている。
とは言え、まだ正式に発表をした訳ではない。
更に付け加えると、互いの家族への正式な紹介すら済ませていない。
それなのになぜ未婚の令嬢が独身男の屋敷に堂々と通えているのかと言えば、これはファントマジット先代魔法伯夫人の寛容な御心による。
ユーグリークからエルマとの交際を申し込まれた現ファントマジット当主は、
「なるほど、実にありがたいことです。しかしこちらも考えること、用意することございますし、しばしお時間をいただきたく――」
などと当初言おうとした。
何しろエルマは先日ファントマジット家に迎えられたばかりだし、相手は超大物貴族だ。
もう少し落ち着いてから話を進めたい、慎重になりたいというのは、もっともすぎる道理でもあった。
しかし、正式な手続きと関係を保ちましょうということになれば、未婚の男女が軽々しく会うわけにはいかない。
せっかく想いが通じ合った所なのに、また離れ離れの日々になるのか――若者二人は、口には出さずとも、お互いにかなりしゅんとした。
そこに異を唱えたのが先代魔法伯夫人、つまりはエルマの祖母である。
「まあ、お前! 今から二人を引き離そうだなんて、オーグと同じ愚を犯すつもり?」
彼女はそんな風に息子をたしなめた。
ちなみにオーグとは、オーグバーン=ファントマジット――夫人の夫であった、先代魔法伯の名前である。
彼は身分違いの恋を追いかけて家を出た息子アーレスバーンを勘当し、その死後は母親から孫を取り上げようとした。
その結果、孫は消息不明となり、つい最近まで生存を絶望視されていたのだ。
ファントマジット家のトラウマを掘り返されては、現当主も両想いの男女の恋愛に対して後ろ向きなことは言いづらい。
「それにね、エルフェミアはあちらの家で、とてもよくしていただいていたようですよ。遊びに行くぐらい、いいじゃありませんか。ね?」
――と、いうわけで、エルマとユーグリークは度々、互いの家に遊びに行ったりお呼ばれに行ったりしている。
今日も晩餐までは一緒にいられるのだろう。
扉の前まで来ると、耳慣れた彼女の歌声が聞こえてきた。
ユーグリークがそっと室内に入ると、真剣な表情で針を刺しているエルマの様子が目に入ってくる。
気がついたニーサが立ち上がって会釈したので、ユーグリークは手で外に出るよう合図した。
侍女は「まったくもう」という顔をしたものの、自分の作業道具を手早くまとめて撤収する。
エルマが気がついた様子はない。また深く作業に入り込んでいるのだろう。
加護戻しをしているわけではないが、熱中すると周りのことが目に入らなくなるのだ。
ユーグリークがニーサと入れ替わってじっと見つめても、気がつかず熱心に縫い物を続ける。
布を上げて目をこらしてみると、どうやら白い天馬を縫っているらしい。
せっかくの贈り物を汚してしまった、と悲しむ彼女に、それなら二枚目をくれれば問題ないんじゃないか、と提案のふりをしておねだりをしたのは、記憶に新しい。
自分への贈り物が目の前で作られていく様子に、ユーグリークはふっと目尻を下げる。
胸に切なさと、温かさを感じる。これが愛おしいという感情なのだと、他ならぬ彼女が教えてくれた。
エルマの瞳はほんのわずかに紫色を帯び始めている。
ファントマジットの血を引く者は、魔法を使うときと、心が強く動かされたときに瞳がスミレ色に変わるのだと言う。
真正面からじっと変わっていく様をのぞき込むのも好きだが、こうして一歩引いて、横顔を眺めているのもとても楽しい。
ユーグリークは頬杖をつき、じっと彼女の作業が終わるのを待った。
初めて会った時を思いだすと、ますます笑みが深まるのだった。




