46.あなたを最も愛している
ユーグリークはしばし固まった。
エルマは焦らず、彼を待つ。
顔を見た瞬間、帰れと言われるのではないか……ここに来るまでの間は、そんな不安もあった。
だがやっぱり、彼はエルマの話をきちんと聞いてくれようとするのだ。最初から今に至るまで、ずっと。
「エルマ、私は……」
「はい」
「私は……だけど、君と一緒にいられない」
「それはもしかして、キャロリンが関係していることですか?」
びく、と彼の体が震えた。エルマはゆっくり、深呼吸してから続ける。
「……わたし、あの子に会いました。別人のようだった。あなたがわたしから急に距離を取り出したのも、同じ頃。あの日、わたしは途中で気絶して……あの後キャロリンは、あなたの顔を見たのですね」
「……そうだ。そこまでわかっていて、何故会いに来た?」
ユーグリークの声が途端に固くなる。
エルマはパッと口を開いたが、まだ言葉がまとまりきらない。すると今度は、ユーグリークが低い声を絞り出した。
「私は魔性の男だ。比喩ではなく、実際に。私の顔を見た人間は、頭がおかしくなって、正気を失う。……化け物なんだ」
「でも……キャロリンのことは、事故で」
「違う! あの時、自分で布を取ったんだ。君を侮辱した――君が卑怯な手で私を誘惑したんだろうとでも言いたげな言葉が、どうしても許せなかった。狂ってしまえばいい……いっそそのまま死んでも構わないと、本気で思った!」
血を吐くような言葉だった。聞いているだけで胸が痛む。
「……私は魔性だ。人を不幸にしかできない男だ。君が……あまりにも、当たり前のように笑ってくれるから、忘れかけていた。だが――」
「私は君にふさわしくない……ですか?」
「ああ」
「馬鹿にしないでください!」
エルマは叫んだ。きょとんと目を丸くしたユーグリークに、思わず立ち上がった彼女は勢いのまま先を続ける。
「何が……何ですか、それは。あなたにふさわしくないのは、わたしの方です。だからハンカチだって渡せなかった。ご迷惑にしかならないってわかっていたから、でも、想っているぐらいはと――」
「エ、エルマ……? あの――」
「あなたより綺麗な人なんていないのに! あなたより優しい人なんていないのに! あなたより素敵な人なんて、この世にいないのに!! 嫌われたのなら、諦められます。もういらないなら、そう言われたら身を引きます。指輪だって、返せと言われたら、あなたのものですもの、そうします。でも、こんな……こんな……!」
あまりにも悔しくて、エルマの両目から涙がほろほろこぼれ落ちてきていた。
彼の広い胸に叩く手を何度も振り下ろすと、ぺちぺち音が鳴った。
されるがままになっていたユーグリークは、おろおろ両手をさまよわせ、ちょうど手にしたハンカチを差し出した。
エルマはますますきっと眼をつり上げる。
「これはユーグリークさまに差し上げたんですっ! わたしで汚さないでください!」
「いや……しかし私の物なら、なおさら今使うべきだと思うんだが……」
「ばか! ユーグリークさまのばか! おおばかものっ!」
「その……うん、きっとそれは事実だが……でも、顔は拭こう……ああ、どうしてこうなるんだ。いつも泣かせてばかりだ。参ったな……」
やだやだと常になく駄々をこねるエルマをなんとかなだめすかし、ユーグリークは彼女の顔を拭った。
それでもまだ鼻が赤く、ぐすぐすと鳴らしている。
「エルマ……困るよ。本当に困る。俺が君を嫌いになれるわけないじゃないか。だけど……」
「わたしだって同じです。分からず屋のユーグリークさまは、いっぱい困ってしまえばいいのだわ」
「……駄目だ。君のことになると、俺は駄目なんだ。他のことなら我慢できるし、諦められる。だけど君が傷つけられるのは……耐えられない。自分が抑えられなくなる」
「わたしのせいと言うなら、なおさらお側を離れるわけにいきません。あなたが獣になってしまうというなら、わたしがそれを引き止めてみせる。今度は気絶なんて失態は犯しません。あなたの罪は、わたしの罪でもある」
「俺は恨みも買っている。背負わせたくない。大事にしたい、誰よりも幸せにしたいと思っているのに、こうやってすぐ泣かせてしまう……」
「ユーグリークさまなら本望です。ユーグリークさまだからすぐに泣くんです。あなたが何より大事だから、心が簡単に動くの。他の人なら、こうはなりません」
自然とエルマはユーグリークの膝の上に座り込んでいた。
彼は愛しい壊れ物を扱うように、エルマの顔を包む。
エルマの指が伸びて、彼の顔を隠す邪魔な物を取りのけた。
銀色の目が揺れ動いている。泣きぼくろまではっきり見える距離だ。
「もう一度言います、ユーグリークさま。お慕いしています。お邪魔で、嫌いならそう仰って。でも、そうじゃないなら、わたしはあなたを諦められない。ずっと好きです。ずっとずっと、あなただけ……」
「後悔するぞ。俺は……こう、色々、不得手で。君が俺のものじゃない、そうなるべきじゃないと思っていたから、抑えてきたんだ。だけど君がそんなことを言うなら……自重が外れる。俺は君が思っているよりたぶん、ずっと駄目な奴だぞ。君は絶対に後悔する」
「しません。だって、あなたの側にいられないなら、誰もいらないもの。あなたを失うより重たい後悔なんてないわ」
ユーグリークはエルマの手を取った。ぎゅっと握りしめ、エルマ以外の人間であれば幻惑されて自分を失う魅惑の目で、彼女をまっすぐのぞき込む。
「そこまで言うなら、エルマ……エルフェミア=ファントマジット。俺も君を愛している。好きだ。ずっと側にいてほしい。いや、もう、君がいやだって言ったって二度と離すものか。魔性をここまで虜にした責任を取ってもらう」
怖くなるほど美しい男の情熱的な言葉に、エルマは微笑みで応じた。
そうして自然と、あるべきものを収めるところに――二人は互いの体に腕を回し、唇を重ねた。