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44.月明かり

 ファントマジット家は温かくエルマを――エルフェミアを迎え入れた。


 祖父は既に他界しており、当主は伯父が継いでいる。


 伯父はエルマと会ってからすぐ、まだ仕事の残っている領地に帰るとのことだったが、エルマが本格的な社交界デビューなどをする際は都度、こちらに来るつもりらしい。

 ファントマジット家は男系らしく、女の子は初めてだとニコニコ喜んでいた。

 今はまだ領地にいる従兄弟達とも、いずれ折を見て顔を合わせるとのこと。


 領地には本邸の他に祖母が暮らしている館があり、いずれそこにエルマを招きたいと祖母は話した。


「一人暮らしにはね、少し広すぎて。でも、今年はこのまま王都こちらにいるつもり。お屋敷は変わってしまったけれど、気持ちが追いつかないうちに見知らぬ土地に連れて行かれてしまうより、あなたも少しは慣れやすいのではないかしら」


 この人も、エルマの事を随分と考えてくれる人物のようだった。


 ――あるいはそういう人だとわかったから、ユーグリークはエルマをこの家に任せることにしたのだろうか?


(閣下――ヴァーリスさまは、わたしにファントマジットのことを尋ねられた。ということは、家にいらしたあの時には既に、わたしが何者か予想がついていたのね。それならきっと、ご友人のユーグリークさまも……)


 我が儘とは、エルマがファントマジット家の探している娘とわかっていて、ずっと自分の手元に置いていた――そういうことなのだろうか。


 ならばそのままでよかった。エルマはちっとも構わなかったのに。


 本物の家族に会えて――しかも今度は優しく、温かく接してくれる人達で、嬉しくないわけではない。



「エルフェミア。お出かけでもする?」

「いえ……すみません、あまり体の調子がよくなくて」


 祖母もエルマの元気がないことは察しているのだろう。

 度々気晴らしの提案をしてくれるのだが、いまいちどれも楽しめない。


 優しさをうまく受け取れない自分に罪悪感も覚えるが、顔を曇らせるとすぐ、老婦人はすぐ優しい声をかけてくれた。


「いいのよ。だってまだわたくしたち、赤の他人ですもの。急に馴れ馴れしい方が不自然よね。わたくしもね、孫を可愛がりたいけれど、いまいちまだ方法がつかめていなくて。嫌なことがあったらすぐに言ってね? 望むことも。わたくしにできることなら、なんでも手伝わせてちょうだい。アーレスとシルウィーナに何もしてあげられなかった分、あなたを幸せにしたいの」



 彼らはまだ、エルマにとって他人なのだ。

 祖母とも伯父とも屋敷の他の人間達とも、互いに気をつかいあっている。


 この一月半――もうすぐ二月にさしかかるほどの時間、ユーグリークの方がずっと、エルマと多くの時間を過ごしてきた。


 けれどよく考えてみれば、十九年間の中の、たった二月に満たぬ時間に過ぎない。


 そしてこの先ファントマジットの令嬢として生きていくのなら、一瞬の出来事として、いずれは忘れ去られていくのだろうか。


 ファントマジットの令嬢として祖母達と過ごすうち、今更ながらユーグリークの立場も改めて知ることになった。離れてみてようやく、世間からの彼の姿がわかったとも言える。


 彼はジェルマーヌ公爵家――王族の傍系にあたる由緒正しい貴族の嫡男であり、王太子ヴァーリス(これも結構な驚き情報だったのだが)の近衛騎士だ。


 将来は公爵領を治めることになるだろうが、ヴァーリスが側に置きたがるのと、あのやんちゃに過ぎる男の首根っこを押さえに行ける貴重な人材として周りが重宝しているため、長く城勤めを続けているらしい。


 ファントマジットも古い家柄なのだが、領地は可もなく不可もなく、魔法伯の名の通り、“加護戻し”の力を細々とつないできたことぐらいしか特色がない。


 度々王女の降嫁先としても選ばれる公爵家は、やはり格が違うのだ。

 漠然と知っていた、住む世界が違う感覚に、ようやく実態が追いついた。


 最初から手の届かない人。

 そもそもエルマがあの家にいられたこと自体が、奇跡のようなもの。

 一時本当に幸せだった。だからいつ放り出されても、感謝こそすれ、恨むことはけしてない。



 ……頭ではわかっている。理屈では納得している。

 だが、どうしても気持ちが追いつかない。エルマの心はずっと、このまま割り切ってしまいたくない、と叫び続けている。



 深夜、ふと目が冴えた。

 未だに慣れない自分に与えられた寝室で、そっとベッドから抜け出し、灯りを付けて引き出しを開ける。


 そこにはジェルマーヌ公爵邸からごっそり持ってこられたエルマの持ち物があった。


 ――そして、うっかり返し損ねた、指輪も。


 そのぐらい急だった。まるでだまし討ちみたいな別れ方だった。


(……でも、もうあの人が誰かはわかっている。指輪なら、正式に送り届けてもらえばいい。それでわたしたちはおしまい。だけど――)


 ぎゅ、と握りしめる。


 あの日彼がこれをエルマに握らせなければ、何も始まらなかった。

 領主としての資格を失っていたのに、身分を偽装してキャロリンを玉の輿に乗せるつもりだったらしいゼーデンは、どのみちどこかで破綻を迎えたかもしれない。


 だが、そうなったとして、あの家にいたままでは、エルマはきっと昔の自分を思い出せなかった。

 ファントマジットとのつながりも忘れていたままだっただろう。


 エルマの幸せは、全部ユーグリークがくれた。

 彼がいたから、今のエルマがある。


 静かにカーテンを引いて、夜の月を見上げた。


 闇を照らす、優しい月明かり。


(やっぱり、このまま終われない。終わるのだとしても、こんな終わり方は、いや!)


 もし、変わる前のエルマだったなら、大人しく諦めたことだろう。自分の分を悟って身を引いたことだろう。


 相手はジェルマーヌ公爵家の嫡男で、王太子の右腕で、近衛騎士様だ。


 エルマにはつい最近、ファントマジットの令嬢の身分と加護戻しの特技という長所ができたが、きっと彼の持つあれこれに比べたら些細に過ぎないことなのだろう。


 だが、もうそれらは好意を否定する理由にならない。


「分不相応。不釣り合い。立場が違い過ぎて、本来想うことすら許されないのだとしても、わたしがあの方をお慕いしている真実は偽れない――偽りたくない!」


 いつか、キャロリンに言った言葉がもう一度するりと口から滑り出た。


 なんだかひどくさっぱりした気分だった。眠れぬだけの夜が変わっていく。


 エルマは大急ぎで机に向かうと、指輪を握りしめたまま、考え事を始めた。

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