38.魔性
「勝敗は決した。程なくして騎士団も到着するだろう。大人しく連行されろ。ゼーデン=タルコーザは既に確保されている。横領、身分偽造、違法売買――よくもまあ暴れてくれたものだ。恐喝や暴行、詐欺もきりがない。君も、男を次々に誘惑する程度ならまだしも……いささかやり過ぎたようだな」
ちら、とユーグリークが一瞥を送るのは、フォルトラが踏み抜いて粉々にした香炉だ。
一度程度なら頭がぼーっとするぐらいで済むだろうが、繰り返し吸っていると依存性が高まり、やがて完全な廃人にしてしまう。そんな麻薬だった。
屋敷の人間やエルマの様子といい、小屋の内外にいたならず者達といい、何も知りませんでした、全部パパが悪いんです、で貫き通すにはあまりに悪質である。
だがキャロリン=タルコーザは父親同様、なかなか諦めの悪い人物のようだった。
土埃で薄汚れた顔に、ゆがんだ笑みを浮かべる。
「いいの? あなたは、あたしたちの援助者……あたしたちに裁きが下るなら、そっちだってただじゃすまないわ!」
「ご心配どうも。その点については問題ない。君たちが少しばかり、私に協力してくれていた――それだけの話だ。おかげで芋づる式に怪しい奴を押さえられて、ヴァーリスが踊り出しそうな勢いだったよ。ご苦労だったな」
「ぐ……あ、あたしはエルマの妹よ! 身内を罪人にしていいわけ!?」
「親戚ではあるが、実の姉妹ではない。正式な養子縁組もしていないな、ただ幼いエルマを追い詰めて洗脳しただけだ。むしろ君たちは、事あるごとに彼女を虐待してきた。エルマが君たちに縁も恩も感じる義理はないし、尽くさねばならない義務も何一つとして存在しない。……もっとも、彼女自身は優しいから、心を痛める事はあるかもしれないが」
キャロリンはぎり、と奥歯を噛みしめた。
力でも権力でも、そしてどうやら情報でも、この男には勝てなかったらしい。
せめて当てつけにエルマを男達に犯させてやろうと思ったのに、それも失敗だ。
だがこのままで終われるものか。
「納得できないわ……あたしがこうなったのは全部、エルマのせいよ! エルマさえ――いいえ、シルウィーナがタルコーザに帰ってさえこなければ、あたしたちはずっと幸せでいられたのに!」
「彼女の行いはむしろ正当だった。ゼーデン=タルコーザの不適格告発――それが正当と認められたから、君の父親はタルコーザの領主としての地位を失ったんだ」
「……知らないわよ、そんなこと! やっぱり、おかしいんだってば! 世界が間違っているのよ。だってあたしが――このあたしが、エルマに負ける要素って何一つないでしょ!? あたしの方が、綺麗で、魔力があって、必要とされていて……幸せじゃなきゃ、おかしいのよ! なのになんでいつも、エルマばかり。エルマばっかり! そいつはあたしより劣っているの! だから不幸じゃなきゃいけないの! ねえ、待ちなさいよ――」
ユーグリークはため息を吐き出すと背を向け、ベッドの上のエルマを抱えようとしていた。
もはや相手にすらされないと悟ったキャロリン=タルコーザは、下品な哄笑を上げる。
「わかったわよ。そいつ、そんなにお貴族様をくわえこむのが上手だったってことね。そうとしか考えられない。世間知らずの坊ちゃまが、初めての女に間違ったんだわ!」
あまりに酷いエルマへの侮辱が聞き捨てならなかったのだろうか。ユーグリークの動きが止まった。
なんとか傷を残したくて必死なキャロリンは、危機感を覚えることもなく、むしろ相手に反応ありと思い、ますます饒舌になっていく。
「だってあたし、社交界で聞いたもの。あんた、誰からも相手にされたことなかったんでしょ? 綺麗すぎて誤解を招くからなんて噂もあったけど、あまりに醜いから恥ずかしくて人前に出せないって方が本当なんでしょ? それを何よ、エルマに慰めてでももらったの? いかにもあの子が得意そうなことね。舞い上がったんでしょ? なでなでされてうれちかったでちゅか? なんてみっともないのかしら。自分が――」
「……それほど言うなら、確かめてみるか?」
「――え?」
男がゆっくりとキャロリンに向かって体を向けた。あんなに注意を引きたくてまくしたてていたキャロリンなのに、息が止まる。
「たとえ誰が彼女のことをあしざまに言おうが、関係ない。私にとって、彼女は世界でたった一人だ。……そう思っていたが、気が変わったよ」
「――あ、え」
キャロリンの舌は、喉は凍り付いたようになってしまって、うまく言葉が返せない。
体中に悪寒が走って、ガタガタと歯が鳴り出す。
男が一歩一歩近づいてきた。
後ずさろうとするが、気がつくと足が凍りづけになっている。
ぶぶぶ、と彼の愛馬が不安そうに鼻を鳴らした。
ユーグリークの手が――ため息を吐き出したくなるほど美しい形をしたそれが、ゆっくりと頭に向かっていき、そして彼は閉ざされた布を暴く。
月の光のような銀髪が風に揺れた。
傷も染みもない肌は陶器のように滑らかで、どこもかしこも均整が取れすぎている。
押し殺した激情が揺れる銀色の瞳に、キャロリンの目は吸い寄せられた。見たくないのに、のぞき込んでしまう。
聞いたことのない楽器の音が聞こえ、かいだことのない香りが鼻をくすぐる。
この世ではない場所に、連れて行かれる。
行ってはいけないと本能でわかるのに、止められない。
頭の中が銀色になる。
「さあ、なんだった? もう一度同じ事を言ってもらおうか。……この顔をその目に焼き付けた後で、できるものならな」
女は魅入られたようにまじまじと男の顔をのぞき込んでいた。
耳にいたいほどの沈黙が流れ――やがて甲高い絶叫が一つ上がった。




