34.襲来
2話目。
丸一日ベッドの中で寝て過ごすと、熱は下がった。
エルマは翌朝にはすっきり目覚めることができていた。
熱を出していた間のことはあまり覚えていないが、なぜかニーサのニコニコ顔が気になる。
「……わたし、もしかして、何か変な事を言っていたんですか?」
「いーえー! ちっとも、何一つ、変な事ではございませんでしたとも。それに、良いお知らせです。今夜辺り、片がついて戻ってこられそうだと、坊ちゃまからご連絡がありましたのよ」
なんだかはぐらかされたような気もするが、ユーグリークの帰還は何よりも嬉しい。
エルマはパッと顔を輝かせたが、直後考え込んだ。
(わたしの思い出した記憶のことは……やはり、ユーグリークさまにご相談するのが、一番いいのかしら。今、お父さま……ではなく、ゼーデンさまとキャロリンさまがどうしているのかも、お聞きしたいし……)
「……どうかなされました?」
「……! 大丈夫、何でもないの」
「今日はあたくし、買い物に出かける予定で……夕食までには戻りますので」
「そうだったわね。ゆっくり楽しんできて」
「エルマ様は、何かほしいものなどございませんの? お菓子やお洋服は?」
「じゅ、充分いつもいただいているから……」
「あら。なら、独断と偏見で何かお土産を買って参りますね!」
「気にしなくて良いのよ……!」
ニーサは軽く自分の不在中の事を話してから、いかにも嬉しそうに出かけていった。
そういえば、午後は執事のジョルジーも、通院で出かけると言っていただろうか。特に悪い所があるわけではない、定期的な健診だとか。
いつもの二人がいないなんて変な気がした一方、もしかして待ち合わせをしていたりするのかな……なんて少し考えてみたりもしてしまう。
エルマは病み上がりもあって、今日は一日部屋で大人しく刺繍をしているつもりだ。
フォルトラの鼻をもひもひさせてもらって和みたい気分もあったが、天馬は繊細な生き物と聞いているし、外に出るのはもう少し本調子になってからがいいような気がしていた。
ちょうどいい機会だ、いまいち進んでいなかったタペストリーを片付けてしまおう――と取り組んでいたエルマは、ふと作業の手を止めた際に、珍しい人が部屋の扉を開けて様子を窺っているのと目が合った。
「これはお嬢様、どうもすんません! そのう、わしは、お邪魔をするつもりでは……」
彼は普段は庭の手入れをしている男だ。帽子を取って胸に当てている。
散策中に言葉を交わすことはあっても、室内ではあまり姿を見かけたことがない。
しかもよく見れば、彼だけではなく、何人か集まっているようなのだ。
「気にしないで。ちょうど一息入れようかと思っていたところなの。どうかなさって? ジョルジーさんを探しているなら、もうしばらくは出かけているかも」
「はあ、そのう……実はですな。お嬢様に用事がある人というのがね、下に来ていてね」
「……わたしに?」
エルマはきょとんと目を丸くした。扉の前の使用人達はざわめきながら互いに顔を見合わせ、小突き合っている。
「なんだかねえ、坊ちゃまにもお世話になっていてね。どうしても話したいことがあるとかで……」
「でもお約束があったら、執事さんが皆にちゃんと言ってっぺ?」
「だけどさあ、追い返そうとしても動かないんだもんよ。あんなに強く言われちゃあ、やっぱりさあ……」
「いや、だからさ、皆。あたしはあの人、見たことがあるってば。ほら、一回来ただろう?」
「そうかあ?」
「……もしかして、恰幅の良い男性? それか、わたしと同じか少し下ぐらいの、プラチナブロンドが綺麗な女性?」
彼らの話を聞いているうちにピンときたエルマが口を挟むと、一斉に視線が向けられた。
「やっぱりあの女の人、エルマ様のお知り合いなんですか?」
「……キャロリンが来ているのね。お父――ゼーデンさまの姿は?」
「さあ? あの太ったおじさんですよね? 今日は女の人だけ」
「しゅっとした若い男の人なら、おつきにいましたがねえ。ありゃなんだろう。下男にも見えなかったがね?」
(……? いつもみたいに一緒ではなく、キャロリンだけが、他の人と来ているということなのかしら?)
ジョルジーかニーサがいれば彼らに任せたところだろうが、あいにく二人とも外出中だ。
それに、身内が屋敷の人間達を困らせているとなれば、エルマが出るしかあるまい。
「わかりました。わたし、話をしてみます」
エルマが言うと、案の定ほっとした空気が漂った。
やっぱりタルコーザ家が迷惑をかけているのだ。ならばエルマも、引っ込んでいるだけというわけにはいかないだろう。
(まずは、どういうつもりでやってきたのか聞いて、ユーグリークさまや皆の邪魔にならないようにしてもらって、それから……)
昨日の今日、とまだ尻込みする気持ちもあるが、この際思い切って思い出せない昔の事を聞いてみるのもいいかもしれない。
「お嬢様。その……お供というかね、見張りというか。そんだけはさせてください」
「あたしも。お話が聞かれたくなければ少し下がりますが、目に見える所にはいさせてください」
「おれも、そのう、体だけは大きいんで、あんまお客さんの前に出る綺麗な格好じゃないけど、あの……」
「ありがとう、皆。そうしていただけると、わたしも心強いわ」
キャロリンと二人きりで対峙するのは、正直今でもまだ怖かった。
だが、人目があるなら彼女もそんな大暴れはしないだろう。
昔からゼーデンもそうなのだ。エルマしかいない時は恐ろしくなっても、その他の人には愛想が良い。
エルマがやってきたのは、使用人達の共有スペースだ。
どうやらそこで押し問答をしていたらしい。
見覚えのある美しい姿が、椅子に腰掛けていた。
日に透けるような見事な金髪が目に入った時、きゅっと心臓がすくみ上がるのを感じた。
(……落ち着いて。大丈夫、いつもみたいに。屋敷の皆もいるし……)
深呼吸を繰り返し、すっと息を吸ったエルマに、空色の目が向けられた。
ぱっとキャロリンが立ち上がる。強い眼差しに射すくめられて一瞬ひるみかけたエルマだが、後ろに守るべき者がある彼女はけして引くことはなかった。
「……久しぶりね、キャロリン」
静かにエルマが言うと、美しき妹は大きく目を見開き――そしてぐんにゃりとゆがませた。
「そうね。姉さま――いいえ、エルマ」
「――! お嬢様、いけねえ! 下がって――」
キャロリンがゆがんだ笑みを浮かべたのが見えた瞬間、ぞっと全身の血の気が引く。
誰かがエルマの前に割って入った。
しかし関係ない。
パリン! と何かが割れる音がして、部屋の中にたちまち煙が立ちこめる。
それを吸い込んだものは、屈強な男も足の速い女も魔法の使えるものも――誰も彼も、あっという間に意識を失って倒れた。