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30.ファントマジット

 こち、こち、と時が動き出す音がする。

 エルマの手の中で、懐中時計の針が進み始めていた。

 部屋の誰もが息を呑み、その様子に魅入られている。


 ぼんやり輝いていたエルマの瞳の光はいつの間にか消え、彼女の目は地味な焦げ茶色に戻っていた。


「――ユーグリークさま!?」


 瞬きしたエルマは、この時間、いつもなら仕事中のはずの彼の姿に慌てる。

 しかし彼は黙り込んだまま動かない。


 一方、ヴァーリスがエルマに向かって手を出し、ちょいちょいと催促するような仕草をした。


「時計を渡してもらえるかな、エルマ」

「あ……。えっと、どうぞ……」


 返された懐中時計を耳元に当て、客人は針の鳴る音を確かめている。


 一方、エルマは何が何だかわからない状態だ。


 何かが見えた。自分のするべきことがわかった。後は無我夢中で――気がつけば全て終わっており、時計は時を刻み始めていた。


 しかし、動かしたのが自分だと言われてもいまいち実感がない。なんだか夢の中にいたような感覚で、今も少しふわふわしている。


「――あの、わたし……」

「ところで参考までに、エルマ。もう一つ聞いておきたい」


 懐中時計の蓋を閉じたヴァーリスの薄青色の目が、鋭くエルマを見据えた――ような気がした。


「君はファントマジットを知っているか?」

「ヴァーリス!」

「閣下」

「坊ちゃま! エルマ様を驚かせないでくださいませ」


 とがめるような声を上げたのはユーグリークだった。

 それを即座に、執事と侍女がたしなめる。

 発端のヴァーリスは静かにエルマの方を向いたままだった。


 エルマはびくりと体を震わせるが、ユーグリークは何か迷うような素振りを見せた後、立ち尽くすのみである。

 しばし彼の様子を見ていたエルマだが、大丈夫そうだろうか、と感じると、客人に向かってゆるくかぶりを振った。


「いいえ。聞き覚えがないものです。何でしょうか……?」

「……そうか。ありがとう。知りたいことは全部わかったよ」


 客人はくっと口角をつり上げた。


 この時エルマは、目の前の男を怖いと感じた。


(最初からつかみ所のない人だったけれど、なんだかそれ以上に……)


「さて、ユーグ。話をしようか。どうせお前も僕に言いたいことが色々あるだろう。他の者は席を外してくれ」

「……そうだな。ジョルジー、呼ぶまで待っていてくれ。ニーサ、エルマを部屋に連れて行ってもらえるか?」

「かしこまりました」

「承知いたしました」


 ユーグリークとヴァーリスは、引き続きここで話すつもりらしい。

 しかし、今までのユーグリークならエルマに「部屋に戻っていてくれないか」と声をかけてくれたはずなのに、ニーサに命じるだけなんて……なんだか様子がおかしい。


(お留守番の間に好き勝手してしまったから、怒らせてしまったのかしら……)


「ユーグリークさま……」

「…………」


 エルマが呼びかけると、彼はこちらを向いた。しかし、黙り込んだままだ。

 エルマもまた、言葉を失ってしまった。

 お帰りが早くて嬉しいとか、お友達が来ていらっしゃいますとか、金色の天馬を見ましたとか――いくらでもあるはずなのに。


「ユーグ。僕が悪いとしても、その態度は彼女に冷たいぞ」


 相変わらず一番緊張感のない男が大きくため息を吐くと、屋敷の主ははっと顔を上げた。

 エルマに向き直って、何かこう、手振りで説明を行おうとし――結局だらりと両手を下ろし、ぽつりと呟いた。


「……君に、怒っているわけじゃない。ただ……後で、話す」


 エルマはじっと彼を見上げたが、いつまでもこの場にぐずぐずして客人の邪魔をするべきではない。

 未練はあるものの、客人に礼をして退出した。


「お待ちしています、ユーグリークさま。お待ちしていますからね……!」


 こみ上げる心細さのせいだろうか、出て行く前に、思わず念押しをしてしまった。


 扉が閉まるまで、ユーグリークの目がじっと追いかけてくる気配がした。

 何も、言葉はくれないのに。



「まあ、まずは一発殴られておく所なのかな。顔と頭と急所以外で頼む」


 客用の豪奢なソファにどっかり腰掛けたままのヴァーリスが言うと、ユーグリークは無言でつかつか歩いて行く。

 ヴァーリスの正面まで来るとぐっと胸ぐらをつかみ上げて立たせ、腹に手刀をたたき込んだ。ぐふっ、と客人が呻く。


「今のはいい一撃だっ……。ただ、あのな、おいっ……僕は今、急所以外でって言ったよな……急所以外、って――!」

「それだけわめく元気があるなら充分だ。俺が本気で急所に入れたらまず喋れない。知っていると思うが?」

「ありがたいことに、知識として知っているだけなんだな、これが……。日頃の行いというものだよ、大いに学んでくれたまえ……」

「じゃあ体験講習を受けるか? 今ここで」

「結構だよ……うえ、じわじわ後引くな、これ……」


 ユーグリークは冷たく言い放ってヴァーリスをソファーの上に投げ捨てると、自分は立ったまま彼を見下ろす。

 腹を押さえてしばし黙り込んでいた客人だが、少し時間を置くと回復したらしく、若干顔色の悪くなった顔を上げた。


「ちなみにこれは従者に偽装を施した分か。それともロゼインを連れ出した分か」

「勝手にエルマに近づいた分に決まっているだろうが」

「ってことはあと何発も残ってるのか。ケチめ……」

「今伸びられると困るから、デザートに取っておいてやる。いい加減反省しろ。……そんなことより」


 ユーグリークは客人を睨み付けたが、ヴァーリスはのんびりと手探りに杖を取り戻し、座り直していた。

 うっすら開いた瞳から向けられた薄青色の目は、自分の前に向いている。


「どうして勝手にエルマを試したのか、かな。逆にこちらが聞きたいぞ、ユーグリーク=ジェルマーヌ。なぜこの一月、彼女にただの刺繍しかさせなかった。加護戻しは手先を多少器用にする程度の力ではない」


 覆面の下からは答えが返ってこなかった。

 立ち尽くしたままの彼の音をしばし聞いて、客人は大きく息を吐く。


「ま、加護を付与されている物なんて、大体が貴重品だ。しかも壊れ物だなんて、そう都合良くホイホイ見つからない。第一加護戻し自体、希少すぎてどんな物かよくわからないから、的確に試しようがない。そんな言い分もね、一応通せない訳ではないよ。だけどね、違うだろう。僕らならそんなもの、いくらでもどうにでもなる。そして、お前なら、僕と同じ事ぐらいは思いつけるはずだ。……ならなぜ、何もしなかった?」

「…………」


 ユーグリークは拳を握りしめて俯いたまま、石像のように固まってしまっていた。

 ヴァーリスは首を傾げる。厳しい表情が今度は困ったような顔になっていた。


「ユーグ。何を恐れることがある? お前はジェルマーヌ公爵家の嫡男だ。この僕の右腕だ。望んで手に入れられない物なんかない。彼女に加護戻しの力があろうが――何者であるかが変わろうが、些細なことだろう。むしろ都合が良いんじゃないか?」

「……そうは思えない」


 ようやくユーグリークは一声漏らした。友が促すように見守っていると、ぽつ、ぽつ、と小さく弱々しい言葉が続く。


「ヴァーリス。人は容易に変わる。俺は……エルマが変わってしまうかもしれないことが、怖かった。彼女は素晴らしい人だから……俺の手の届かない所に行ってしまう事が」

「…………。ハア!? いや、お前ね……!」

「だけど確かに、それは俺のエゴだ。エルマの幸せを考えた結論じゃない。……脱走と独断行動についてはまだ許していないが、俺が意識すらできていなかった傲慢さを自覚させてくれたことは感謝する。エルマには充分、幸せをもらった。もう、手放すべきなんだろうな……」

「やだ……僕の大親友暗すぎぃ……何なのその全力の後ろ向きは。あのなあ! 別に僕はそういう方向で話をしようと思った訳じゃないんだが――いやもう駄目だなこれ、こういう時のお前に何言っても駄目だわ、よく知ってる。別の日にしよう」


 ヴァーリスは顔を両手で覆った後、ぱん! と気を取り直すように音を立てて頬を叩いた。


「加護戻しについては、今日検証した通り。エルマにはその力がある。それで、ファントマジットは――僕はひとまず様子を見る。可能性は非常に高いと思うが、十年以上ぬか喜びに終わっているからな。例のお父さまとやらに確かめるのが先だろう。――で、そのタルコーザについてだが」


 若干ふぬけたようだったユーグリークの様子が、一転して鋭くなった。

 ヴァーリスもまた、苦笑いを引っ込め、真顔になっている。


「いやあ、泳がせていたら、面白いぐらいに色々出てくるな。一週間程度は一応様子を見ていたようだが、今ではすっかり油断して……叩けば埃が出るって奴を実感しているよ。全く嬉しくないけどな!」

「そうか。……なら、そろそろだな」

「うむ、近々。……ま、だから。お前はこの件に片がついてから、彼女との今後を考えればいいさ。くれぐれも、焦って早まるなよ」


 いつも軽薄でちっとも年上らしさを感じさせない男だが、この時は優しい大人の声で友に語って聞かせた。

 ユーグリークは困ったように瞬きをし、そっと目を伏せるのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱり特殊能力だったのかー。 加護持ちのアーティファクトを直すとは…
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