3.人外と人間
しどろもどろ、必死になってなるべく正直に答えようとしていたエルマは、思いがけない言葉に虚をつかれた。
自分が綺麗かと、今この男は尋ねたのだろうか。
どう頑張っても悪口が浮かばない、完璧な美貌を持っている本人が。
(からかわれているのかしら?)
相変わらず彼は真顔だ。皮肉のような雰囲気も見られない。ただ純粋に、真面目一徹で発言している。
しかも更に、重ねて言ってきた。
「別に何を言われても怒らないから正直に教えてくれ。君の目に、私はどう映っているんだ?」
(正直に……)
エルマは途方に暮れかけたが、男は急かす様子もなく、ただ返事を待っているらしい。
最終的に、半ば根負けするように彼女は小さく唇を開いた。
「きれいな方だと、思います」
先ほどの繰り返し。言葉にするとなんとも陳腐で平凡だが、結局はそれが最も素直な感想だった。
彼は見たこともないほど綺麗な人だ。
すると、男はなんとも言えない表情になる。
「きれい」
エルマはびくりと肩をふるわせ、体を小さくした。
しかし、あくまで言葉を繰り返しただけ、怒っているのとは少し違うように見える。
かといって、喜んでいる風でもない。
恐る恐る、彼女は小さく問いかけた。
「そんな風に言われるのは、お嫌いですか?」
「好きではなかったが……今は、ちょっと違うかもしれない」
彼はまるで、初めて口にした食材の感想に迷っているような、たとえるならそんな顔をしていた。
しばし考えこむように瞳を揺らしてから、またエルマに目を向ける。
「……君の目から見て、私は人間に見えるか?」
奇妙な男だ。それに奇妙なことばかり聞いてくる。
(謎かけでもされているのかしら……)
話を遮られないのも、静かな言葉をかけられ続けるのも、いつもではありえないことで。
不安は拭えないのだが、不思議と答え続けてしまう。
エルマは彼の顔を見つめ、頭から爪先まで視線をさまよわせた。それからもう一度、淡く銀色に輝く目を見つめる。
「違うのですか? 角も牙も翼も尾も、ないように見えるのですが……」
尋常でない整い方をしてはいるが、人間かと言われるなら、間違いなく人間でしかない。
少なくともエルマにはそう見えたし、そう感じた。
すると、答えた瞬間、彼の表情がふわりとほころんだ。
「――そうか。それならきっと、俺は間違いなく人間なんだろう」
澄ました顔は、なにもかも凍らせてしまう氷のようだった。
一方、彼が一瞬だけ零した笑顔は、どんよりした雲間から待ちわびていた日が顔をのぞかせるような、温かい輝かしさがあった。
再び体が熱くなりそうになったエルマは、慌てて胸を押さえ、深呼吸する。
息を整えている間に、辺りを見回し、首を傾げた男が声を上げる。
「それで、君はこんなところで何をしていた? ここは有名な幽霊屋敷なんだろう? 遊びに来たという様子にも見えないが。まさか自分が噂の幽霊だとか、言い出さないだろうな」
「え? あ……えっと……」
最初よりいくらかうちとけたような雰囲気だ。
ひとまず不愉快にさせずには済んでいるらしいが、家の事を尋ねられるのはあまりよろしくない。
エルマは家族の所有物だ。勝手をするわけにいかない。
そもそも人と話すなんて、父が知ったら物の分をわきまえろ、とまた怒り出すことだろう。
だが、二人はこの場にいないし、ぐっすり眠りこけている。
(どうしよう……わたしはただ、なるべく大事にならないよう、そっと帰ってほしかっただけなのだけど……)
やはり姿を見せてしまったのが全ての失敗だった。いや、腹を鳴らしてしまったことか。
しかし過ぎたことを悔いてばかりいても、この場を乗り切れるわけではない。
視線をさまよわせていたエルマは、ふと男の手元に目をとめた。そこには先ほど剣で引き裂かれた、布の残骸が握られている。
これだ! とエルマの頭にあるアイディアが浮かんだ。
「あの、その布……」
「……これがどうかしたか?」
「破れたままでは、困るのではないでしょうか」
「まあ……困るは、困るんだが」
「わたし、すぐに直せます」
大きく息を吸い込み、心を奮い立たせて言えば、男は目を見張った。
それからふっと、いたずらっぽく口元に弧を描く。それだけで、またものすごい色気があふれだしてきて、エルマは思わず薄目になってしまう。
「ただの布ではないぞ。魔法が編まれている。それでもできると?」
「大丈夫です。……と、思います」
探るように見られ、プレッシャーでくらりとしそうになるのを、エルマはなんとか堪えた。
ぎゅっと両手を握りしめ、視線を足下に落としてしまうものの、言葉を続ける。
「あの……それで、ぶしつけかとは存じますが、お願いがあるのです」
「お願い?」
「はい。……その布をわたしが今ここで上手に直せたら。先ほど勝手にお話を聞いてしまったことも、ここでお会いしたことも、すべてなかったことに、していただけないでしょうか……」
タルコーザの所有物としての最善を考えるなら、「エルマと会ったことを忘れて帰ってもらう」以外の選択はない。
だが、理由もなく追い返すのは難しそうだ。
そこでエルマは、少しは腕に覚えがある技術を生かし、相手の問題を解決する――という提案を、解決の糸口にしてみようと考えた訳である。
男は無言だった。いや、唖然としている。口が開きっぱなしだ。
(やっぱり……わたしなんかが、余計なことを、)
早速後悔し、発言を撤回しようとしたエルマは、思いがけない物音に飛び上がった。
どきどきしながら男に目を向ければ、彼は口元を手で押さえているではないか!
(今……声を上げて、笑った……?)
「君は変わっていると、よく言われないか?」
「……申し訳、ございません」
しんと心が凍えたような感じだった。
お前には常識がない、どうして普通にできないんだ――エルマにとって、「変わっている」とは彼女を責める言葉だ。
急に態度をこわばらせた彼女に、男は微笑みを、困ったような表情に変えた。
言葉を探すのだが思うようにいかないらしく、最終的に気まずそうに目をそらし、手元の布を差し出してきた。
「その……とりあえず、やりたいと言うのなら、止めないから。本当に直せるなら……君のお願いも、考えてみよう」