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29.時計と検証

 エルマは困惑してヴァーリスを見つめた。


「わたし、時計なんて直すどころか、ろくに触ったこともないです」

「そうかい? たぶん関係ないから大丈夫だ」

「それに……えっと、刺繍はできますとお答えしたはずです。なぜ時計が……?」

「ふむ、段階を飛ばしすぎたかな。それでは君の縫った物を見せてもらいたい」


 ふっと顔を上げると、侍女がエルマに向かって口だけで「嫌ならお断りしてもいいんですからね!」と言ってきている。その横で執事も渋い顔を男に向けていた。


 しかし、ユーグリークの友人を名乗る彼はどう見ても上級貴族だ。

 というか、漏れ聞こえている単語や今までの情報から推測するに……城の関係者、さらに「で」から始まって「か」で終わるような身分の人間である。


 なぜか本人はその辺を隠したがっているようだが、いずれにせよエルマ風情が雑に扱っていいとも思えない。


(刺繍を見せる程度なら……)


「ニーサさん。持ってきていただけますか?」

「……。よろしいのですか?」

「大した物ではないので、期待されすぎると困りますが……見せるだけなら」

「かしこまりました」


 ため息を吐いた侍女が下がると、男はちらっと目を向けてからエルマに視線を戻す。


「不思議な接し方をしているね、君たち」

「……そうですか?」


 彼はふっと笑みを深めると、急に顔を横に向けた。


「ジョルジーはどう思う?」

「……拙からはなんとも」

「まあそう言うな。“お嬢様”は嫌味のない言葉なんだろう? お前に認められているなんてなかなかだぞ」


 エルマがいまいち男の意図がわからず困惑していると、執事が渋々口を開いた。


「お嬢様は、階下の人間も階上の人間と同じく見ていらっしゃいます。その上で……いえ、だからこそでしょうか。我々の領域を侵さないことを考えてくださる」

「ああ、なるほどね。対等だからこそしっかり線引きもすると。他には? まだあるんだろう、悪口じゃないんだから話せ話せ」

「…………。お嬢様は……所作と文字に、品がおありです。しゃべり方にも……お人柄が表れているのでしょう」

「見る方のことはわからないが、そうだね、エルマはとてもいい声をしている。静かで愛らしく、けれど情熱も垣間見える。いや本当に、あの二人の親族とは思えないぐらいだ。ユーグが夢中になるのもわかるよ」

「まったくもって」


 これは相当恥ずかしい事を言われているのでは……! と体を小さくしていたエルマは、一瞬聞き流しかけてからはっと目を見開く。


「あの……ジョルジーさんはともかく、ディヤンドール閣下は――」

「失礼いたします。お持ちしました」

「ん。こっちに」


 ちょうど聞こうとしたタイミングで、ニーサがエルマの縫い物達を持って戻ってきてしまった。


 言葉を切ったエルマの前で、男は侍女から受け取った物を広げ、なぞって感触を確かめているらしい。


「これはハンカチ? 何を縫ったのかな」

「花模様です」

「花か。これが花ね。こちらは?」

「タペストリーを作ってみようと……それはまだ作りかけです。完成したら、お屋敷のお庭になる予定です」

「なるほど。だからここがつるつるしているのか。これは? なんだか形が違うな。リボン?」

「それは匂い袋で……」


 しばらく、ヴァーリスが手に取った物について聞いては、エルマが説明する時間が続いた。

 一通り確かめたヴァーリスは、侍女に返す。


「よくできている。が、語弊を恐れずに言うならただの刺繍だね」

「ええと……はい、そうだと思います……?」


 やはり期待外れだったのだろうか、とエルマは思うが、がっかりしているのとはまた異なる雰囲気に見えた。


「ユーグは刺繍に力が宿るだろうと考えたのかな。あるいは……まあ、無意識だったのかもしれない。あいつは鈍いが馬鹿じゃない。ただし大分臆病だ。世話の焼ける男だよ、全く」

「あの……?」

「さて、というわけで、大体思った通りなことが検証できた。では時計を直してくれ」

「今の流れでどうしてそこに戻ってくるのですか……!?」


 ヴァーリスはユーグリークのことを口にして苦笑していたかと思えば、再度机上に放置されていた懐中時計を押してくる。

 しかしエルマの中では、両者はまるでつながらない。


「まあまあまあ。いや、確かに説明は省いているが、実際やってみる方が手っ取り早い気がするんだ。どうせ今色々言っても、なんか信じてもらえない気がするし。ほら、手に取るだけでいいから」

「手に取る……それだけで構いませんか?」

「うん。別に何も起こらなくても、僕が顰蹙ひんしゅくを買ってユーグを始めとした色んな男達に殴られるだけだから大丈夫だよ」


 それって本当に大丈夫なんだろうか……と思いはするものの、エルマはそっと時計に触れた。


 両手に置いてじっと眺めてみるが、すごく高価そうな懐中時計であることしかわからない。

 蓋に描かれているのは星だろうか。

 開いてみると、金色の文字盤が深い青色の背景に浮かんでいた。

 同じく金色の針は沈黙したまま、時を止めている。


(…………?)


 ふと、何か違和感を覚えた。

 エルマの指が、時計の針をなぞる。


(この部分。ここじゃない。もっと深い場所……)


 爪先で確かめると、穴のような物を感知する。


 それは目に見える物ではない。時計はピカピカに磨き上げられていて、傷一つない。

 だが、裂けている――何か切れているところがあって、これが針を引っかけて進めない理由なのだ、とエルマにはわかった。


(それなら、ここを……)


 針がなくても、糸は見える。

 指先で触れれば、それを動かす事ができた。

 絡まったほつれをほどいて、ならし、あるべき場所に導いていく。


(ゆがみよ、戻れ。あるべき姿を取り戻せ……)


 無意識のうちに、エルマは鼻歌を口ずさんでいる。

 しんと静まりかえった客間に、歌だけが流れていく。


 そこに、ドタバタと騒がしい音がした。誰かが勢いよく部屋を開け放つ。


「ヴァーリス、お前という奴は――!」


 呼ばれた客人は、さっと口元に指を当てた。屋敷の主に「静かにしろ」と言いたげな表情をしてから、自分の正面に体の向きを戻す。


 文句を阻まれたユーグリークは、エルマの歌を耳にしてはっと息を呑んだ。

 吸い寄せられるように、時計を優しく撫でる彼女の手元に、そして横顔に目が向けられる。


 視力のないヴァーリスにはわからないだろうが、ユーグリークにははっきり見て取ることができた。

 暗がりの中で、エルマの瞳が淡いスミレ色に輝いていたことを。



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