25.仕立てと刺繍
どうしてこうなったんだろう――エルマは呆然としていた。
朝(昼)食を終えたエルマは、さあいよいよ仕事――いやその前に服を、と侍女に声をかけてみる。
心得顔になった彼女は食卓を片付けた後、ネグリジェのままのエルマを衣装部屋に連れてきた。
ここまでは、まあ、いい。
若干の疑問を覚えないでもなかったが、着替えを衣装部屋で行う事はまだわかる。
ついでにエルマがユーグリークから頼まれた大きな仕事の一つが裁縫だ。
着替えるついでに職場の説明でもされるのだろうかと、エルマは予想していたのだ。
しかし、衣装部屋でエルマを待っていたのは、見知らぬ女性だった。
派手すぎず、けれど地味でもなく、品良い仕事人でありながら目も引くような――そんな衣装と化粧で武装したご婦人は、どう見ても屋敷の使用人ではなかった。
獲物を狙う肉食獣の目でさっと見た目を確認した後、にっこりと微笑んだ。
「ミセス・ハルニア。この方で間違いない?」
「ええ。遠慮なくやってしまってください」
女二人の会話に、エルマは目を点にする。
――そして怒濤の採寸劇は始まった。
「背筋をまっすぐ!」
「腕を上げる!」
「下げる!」
「おどおどしないっ」
「泣かないの!!」
さながら、いきなり戦場に投げ込まれた新兵の気持ちであった。
きびきび動くご婦人に巻き尺を巻き付けられたり、あれやこれや言われるまま必死に一つ一つの指示に従っている間に、いつの間にかネグリジェが、紺色のワンピースに変わっていた。
デコルテや腕の部分はレースのような柄になっており、使用人の服にしては少し派手なような気もする。
「ま、お若い方にはやはり紺色がよく似合いますこと! 年寄りにはもう着られない色でねえ、羨ましいわ」
「に、ニーサさま……!」
「それからあたくしにさまは不要です、エルマ様。どうぞ呼び捨てで」
「ニーサ……さん……これは一体……!?」
「だって坊ちゃまも仰っていたでしょう? 次はちゃんとした服を用意するって」
「き、昨日のお仕着せは……!?」
侍女は上品で優雅な笑みを作った。
時に沈黙とは言の葉以上に雄弁である。
あれはこの家では――というか、この家のエルマには、本来許されない格好だったんだな、と悟った。
「ちょうどよい試作服があって良かったこと。はい、しゃんとする!」
パシーン! と背を叩かれ、エルマは慌てて背を伸ばした。
じっと鏡を見つめた婦人は、ふう、と一息吐き出す。
「いかがかしら、ミセス・ハルニア?」
「地味すぎず、派手すぎず。手元は邪魔にならないように、襟元は上品に――注文通りですわ。いえ、注文以上」
「それは良かった。では残りはお約束通り、後日納品いたします。今後ともごひいきに」
「はい、それはもう、ぜひ」
女二人はニコニコ笑い合ったが、エルマにはなんだか邪悪な企みの現場――あるいは肉食獣同士が牙をむきだし合っているような、そんな幻覚が見えた。
「あの……こちらが作業服、ということでしょうか……?」
「ひとまずは、お昼用のお洋服になります」
「……ひとまず? お昼用?」
「はい」
侍女はまた微笑んだ。なのでエルマはそれ以上、追及しないことにした。
「あの……わたしはこのお部屋で、縫い物をすればいいのでしょうか……?」
「ここが使いやすければこちらで。触ってみたい物がありましたらお気軽にお尋ねくださいまし。さ、それよりも、本日は忙しいので! 次に参りますわよ!」
侍女はエルマの手を引き、別の部屋に移動する。
今度こそきっと作業場に連れて行かれるのだな、と思っていたエルマは、化粧台の前に座らされて、ん? と思う。
鏡越しに、また見知らぬ女性達の姿が映り込んだ。
「あ、あの……ニーサさん……?」
「御髪を整えた後、お化粧をするだけですので、楽になさってくださいな。あたくしもできますけれど、やはり本職の方が一番ですからね」
値踏みするようにエルマをじっと見つめた女性達が、「お任せになって!」「生まれ変わらせてさしあげます」とギラギラした目で腕まくりしている。
(これも……これもわたしの仕事なのですか、ユーグリークさま……!?)
エルマは悲鳴を飲み込み、翻弄されるしかなかった。
結局その日はずっとそんな調子で、働くというか、一日中弄られていた。
はっと気がつけばもう窓の外は暗くなっており、「今日、何もしてない……!?」とエルマは大いに焦った。
なんとかニーサに頼み込み、ようやく刺繍道具を手にすることができた時は思わずほっとして道具を抱きしめてしまった。
「あの……そういえば、こちらに持ち込んだ物は……」
エルマの服はつぎはぎだらけだし、ポケットに入れていた物もどれも使い古して年季の入った物だ。
もう捨てられてしまっているだろうか、と思って尋ねてみれば、意外にもニーサは慣れ親しんだ裁縫道具を持ってきてくれた。
「入れ物の方は今綺麗にしているところですが」
と、仮の小物入れまで用意してもらって、エルマは感激する。
「服の方は……さすがに、捨ててしまっていますよね、もう……」
「洗濯して、補修中ですの。お嬢様の持ち物ですもの、許可なく捨てるなと坊ちゃまから仰せつかっておりますので」
エルマは目を丸くした。すぐに、じん、と心が温かくなるのを感じる。
あんな、この家に住んでいるような人間から見ればどう見てもぼろきれにしか見えないだろう物にまで、エルマの意思を尊重しようとしてくれているのか。
(あなたからいつも、わたしはたくさんのものをいただいている……)
今日は目が回るような一日で、正直早速分不相応を身に受けてめげかけていた部分もあった。
しかし、泣き言を言っている場合ではない。
これだけ色々と考えてもらっているようなのだ。ならばエルマも、自分なんかが、とうずくまるより、何ができるだろう、と一歩でも前に進むべきなのではないか。
さしあたっては、刺繍である。
「……ところで、刺繍とお聞きしていますが。何を縫えばいいのでしょう?」
「そう、ですねえ……ハンカチの柄を縫うことなど、できますか?」
「はい。どんなデザインがいいのでしょう?」
「あたくしも、エルマ様のお好きな物を作らせるようにとしかうかがっていなくて……けれどこれでは、確かに発注が雑すぎますわねえ。こちらから何か指定した方が、やりやすいですか?」
「そうですね。一から全部自分で、と言われると……わたしも、そういうことは、あまりしたことがなくて」
「では、ユーグリークさまへお贈りするハンカチを縫ってくださいな」
侍女の言葉に、エルマは少し考え込むような顔をしてから、淡く微笑みを浮かべた。
「かしこまりました」
「――マ。エルマ!」
ぷつ、と糸を断ったエルマははっと顔を上げた。
見事な軍服に覆面を被った男が立っている幻覚が見えて、首を傾げる。
「……わたし、とうとう幻を見るまで疲れてしまったのかしら。今日ずっと、お会いしたいと思っていたから……」
「そうか? なら両思いだな。私もエルマに会いたくて、最大限のパフォーマンスを発揮して戻ってきたから。まあ、それでもこの時間にはなってしまったんだが……ヴァーリスが本当にしつこくてな……」
ぽーっとしていたエルマだが、おや? と首を傾げる。
幻ならば、応答なんてしてくるのだろうか。
「あの……本物のユーグリークさまでいらっしゃいますか……?」
「うん。本物だ。でもエルマも見違えた。少し声をかけるか迷ってしまったほどだ。髪も服もすごく綺麗だな。とても似合っている」
エルマはパチパチ目を瞬かせてから、かーっと顔を赤くする。
「きょっ……恐縮です。それと……先ほどのたわごとは、聞かなかったことに……」
「そんな薄情なことを言ってくれるな。別に嘘ではないんだろう? 悪口でもなかった。なぜなかったことにしなければならないんだ?」
「う、うぅ……ううう……!」
「ずっと縫い物に集中していて、夕食の知らせにも全然反応しなかったとニーサが言っていた。そんなに一生懸命、何を縫っていたんだ?」
「だ、だめです。まだ完成していないから、見てはだめです……!」
慌てて背にハンカチを隠すと、ユーグリークはふっと笑い声を零した。
「一段落したなら、ちょうどいい。夕ご飯を食べないか?」
「ご一緒させていただいて、よろしいのですか……?」
「もちろんだ」
エルマはぱっと顔を輝かせ、刺繍セットを片付けようとし、ユーグリークにそわそわと目を向ける。
自分が近くにいると片付けがしにくいのだと悟った彼は、「それでは、また夕食の席で」といったん部屋を出る。
エルマも自分も、着替えの必要があるからだ。
入り口で待っていた侍女のところで一度足を止める。
「ニーサ。今日エルマはずっと、刺繍をしていたのか?」
「お洋服など整えさせていただいた後……二時間ほどでしょうかね」
「その間、何か変わったことは起きなかったか? たとえば……縫っている間、エルマの目が別の色に変わる、とか」
侍女は虚をつかれたように黙り込んだ後、ううん、とうなった。
「特にそのような事は……エルマ様の目は、焦げ茶色ですよね? ずっと見ていたとか、お顔をのぞき込んだというわけではありませんが、他の色になったようには……」
「……そうか。わかった、ありがとう。今後も頼む」
「かしこまりました、閣下」




