19.宿無し野良猫
小柄で痩せぎすな侵入者は、体格だけ見れば子どもに近い。後ろ姿を遠目に見れば、銀髪の少女と思われた。しかし、顔が見えればげっそり生気がなく、目の下には隈が刻まれ、声はしわがれていた。こうなると、美しいかと思われた銀髪も、ぱっとしない老人の白髪に見えてくる。
更に近づいて見てみれば、顔立ちは幼くもないが、老けてもいない。目元の暗さをどうにかできれば、容姿は整っている方と言えそうだ。
これらの情報や印象をぱっと総合すると、年齢不詳――推定するに妙齢の女ではなかろうか、という印象に落ち着く。
なんにせよ、孤児院にはいささか浮いていた。薄汚れているが、よく見れば大分ヒラヒラした――労働や普段着というよりお出かけ用と言った方が近いであろう服もまた異様である。
「…………」
女がバタリと倒れ込むと、孤児院の女の子達がにわかに色めき立つ。
「きゃあ、ケティ!?」
「やだ、どうしよう!?」
「ポーラ、飲み水持ってきて! ツィーリはタオル!」
この場でも真っ先に動くのはシャーロットだ。号令を出された他の二人は、弾かれたように顔を上げ、動き出す。
ポーラは部屋を飛び出していき、ツィーリはベッドの敷き蒲団をひっくり返してタオルを引っ張り出してきた。どうやら乱雑に散らばっていたものは、全部その下に押し込めていたらしい。
「エルマ様は──お願い! ちょっとだけ見逃して!」
自分も加わるべきか見守るべきか、はたまた侵入者について対処すべきか──逡巡していたエルマにも、シャーロットから声がかかった。エルマは腰を浮かせかけていた状態でピタッと停止する。
これが暴漢や猛獣の類いであれば、少女達の意向を無視して直ちに声を上げる。しかし侵入者が妙な風体ではあるが痩せた女性であること、更に少女達の知り合いであろうことがエルマを留まらせる。
中腰も辛い、と思い出したエルマがすとんとまた空きベッドに座り直せば、シャーロットはほっとした顔になり、急いで知り合いを介抱する朋輩に加わる。
「ケティ、ケティ! 今度は何!?」
「うーん……」
「ツィーリ、あんまり叩くと良くないかも」
「あ、そっか、ごめん。ケティ、ねえ、ちょっと起きてったら!」
「助けてって何? どっか痛いの?」
「んー……ふわふわする……?」
ぺちぺち頬を叩かれた女はうっすら瞼を開いて返したが、どうも意識が朦朧としていてうわごとだ。その間にポーラが戻ってきた。コップに汲んできたかと思えば、どこから持ち出してきたのか水筒に入れているらしい。
「はい、お水!」
「ありがと! ケティ。ほら、飲んで!」
「口を開けるの。そう、あーん!」
三人がかりで口にあてがえば、女は最初されるがまま、そして飲み水を与えられていると気がつけば自ら、ごくごく熱心に喉を鳴らしている。
水分補給をすると多少人心地戻ったようで、顔色もややましになった。ぷはっと息を吐き出してから、またなんだかぼんやりした目でどこともつかない場所に目を向けている。
やはり孤児院の少女達よりは、年上だと思う。が……浮世離れしている、というのが一番合っているかもしれない。
「大丈夫? ひとまずは」
「うん。ありがと」
「ほら、クッキーも」
「ありがと、ありがと……」
シャーロットがむんずと顔を掴んで自分の方に向けさせると、女はにっこり笑った。妙に毒がなく人なつっこい笑い方だ。少女達がどこからか取り出してきたクッキーの袋を渡せば、幼子のように貪り食べている。
そしていったんの渇きと飢えを収めた彼女はようやく、見慣れた孤児達以外の存在に気がついたらしい。
「あの人、だぁれ?」
「あっ……うーん……」
「えっと……」
「うーんと……」
エルマを指さし、見知らぬ女は少女達に尋ねる。
が、シャーロットもさすがに歯切れが悪くなった。他の二人は言わずもがな。
様子を見守っていたエルマは、これが機であると見て立ち上がり、女に近づいた。
少女達に任せて大人しくしていたのは、見覚えのある髪色の女にエルマの方も用事があったためだ。
「エルマ様……」
「わたしはエルマ。あなたは?」
シャーロットが不安そうな声を上げるが、エルマはにっこりいつもの社交界の笑みを浮かべ、問いかける。身元不明の女はこてりと首を傾げた。
「名前? えっとね……ケティ、だよ」
「そう。……ケティ。あなた、ダンという名前の子をご存知?」
髪の色、整った顔立ちに感じる既視感――エルマは尋ねる前から、この侵入者の正体を確信していた。とはいえ、女からの答えはいささか予想外であった。
「うん。ダンはあたしの子」
「――――」
あっさりと、そしてけろりと、女は答えた。そこには驚きも、不安も、罪悪感もない。
さすがに言葉を失うエルマだが、女の子達も固まった後、ざわめき出す。
「えっ、子ども?」
「あんた……子持ちなの!?」
「……? 言ってなかったっけ……?」
「いやだって……ええー!?」
「年上なのはわかってたけど!」
「えっえっ、なんでエルマ様がそのことを知って――」
混乱する少女達をよそに、女――ケティは妙に落ち着き払ったものだ。しかし冷静であるというより、心ここにあらず、という表現の方が適している。彼女の目は常に、その場のものを通してはいるが、また別の何かに焦点を合わせているような感じがあった。ぽやーっとさまよっていた視線が、合点がいったようにすうっと止まる。女の口元は弧を描いた。
「そう……ダン、公爵家に行ったんだ。よかった」
エルマもまた、妙に冷静だった。ここに至るまでにそれなりの修羅場をくぐり抜けてきたためだろうか、昔なら呆然としたような状況でも動ける。どこか別の場所から客観視して、自分という人形を操作しているような感覚。
「ダンをうちによこしたのは、あなたね?」
「うーん……」
問われるまま答え続けてきた女が、初めて沈黙し、困ったような顔をした。
少女達は固唾を呑み、二人のやりとりを見守っている。物腰柔らかなはずのエルマから発せられる緊張感に気圧されているらしい。
答えが鈍くなると悟ると、エルマはすぐに問いを変えた。
「ユーグリークさまと会ったことがあるのでしょう? だから名前を出したのでは?」
「会ったこと……ない」
「ない? ……名前だけ知っていたと、いうこと?」
「だって、お兄ちゃんが――」
その時、バタバタと廊下から物音がした。するとぱっと顔を上げた女は入ってきた窓に飛びつき――いや止める間もなくそこから飛び出す。
「ケティ!」
女の子達が悲鳴を上げ、エルマも慌てて窓に駆け寄る。
するとにゅっと女の顔が窓枠から覗いた。
「ありがと。あと、ダンをよろしく」
最初の一言は孤児院の少女達に、そして次の一言はエルマに対して向けられた。
自分の用事が済むと、女は壁の出っ張りに手足を引っかけ、するすると器用に下りて、あっという間に姿を消してしまった。
残された屋内の人物達が呆然と窓を見ていると、背後の扉が開く。
「ああ、若奥様! こんな所に……どうかなされました? うちの跳ねっ返り達が何か失礼を?」
ドタバタの音を聞きつけたか、あるいはエルマがいつまでも少女達の部屋から出てこないことを不審に思ってか、院長が様子を見に来たらしい。
「あの……」
「えっと……」
「何でもありません! ちょっと野良猫が紛れ込んで、ばたついただけ」
きっぱり声を上げたのはシャーロットだ。
思わず彼女を見たエルマは、視線で「お願い!」と訴えられかけたのを悟る。
「そ……そうです、あの、エルマ様がお部屋に来ているときに、ちょうど猫が」
「び、びっくりしちゃって。バタバタして。それだけ!」
ポーラとツィーリも次々言って、ちらちらエルマに不安げな眼差しを投げかけてくる。
ふう、と大きくため息を吐き、公爵家の若奥様は胡乱な目を向けてくる院長に向き直った。
「ええ、そう。ちょっと猫が。それより先生、お願いがあるのですけど」
「はい? ええ、なんでしょう?」
「――この子達、公爵家にメイド見習いとして来てもらうことは可能でしょうか?」




