23.感謝と紹介
客人が出て行くまでは冷淡な目を窓に向けていたユーグリークだったが、馬車の姿が見えなくなると少々己を反省した。
元から他人に対して無愛想な所はあるが、あの親子を前にしていると不愉快しかこみ上げてこなくて、いつも以上に距離を置いた接し方をしてしまったように思う。
しかし、執事は主人のことを擁護した。屋敷の使用人達も皆、同じ思いだろう。
主人の連れてきた気弱そうな娘は、主が放っておけなくなるのも納得する庇護欲をそそるような人物に見えた。
一方、その家族は、出会ったその日に嫌いになるような人間達だった。
一応貴族の血を引いているとのことだが、あれではおそらく、魔法が使えないことと魔力がないことを同一視しているのだろう。いかにも浅慮な成り上がりの思考だった。
「ともかく……これでエルマにもう怪我をさせずに済むのかな。彼女は同席したがっていたが、外してもらって良かった。彼らと一緒にいて、エルマに何かいいことがあるとはとても思えない。……こんな風に考えてしまうのは、やはり下品かな」
「拙めも同じ思いです、閣下。しかし……ま、陰口はこの辺りにしておきましょうか。それにあのご息女は、確かになかなかお綺麗な方でした。始終比較されれば、お嬢様が自信をなくされるのも仕方のないことでしょうな」
エルマの妹らしい女は、華のある美人であり、自信に満ちたオーラに溢れていた。社交界でも目を引くだろう。ダンスの相手に不自由しなさそうだった。
しかしユーグリークは首を傾げる。
「そうなのか? 面倒な気配がしたからよく見てなかった」
「……坊ちゃまはあの程度であれば、見慣れていらっしゃると?」
「何の話だ。私はそもそも人の顔なんかじっくり見ない。一応覆面があるとは言え、うっかり虜にしたくないし、後で変な絡まれ方をするのにもこりごりだ」
「その点、お嬢様とは安心して見つめ合っていられると」
「うん? まあ、それは……そうだが……」
「お嬢様のお顔は好みであると」
「好み? 好みってなんだ? エルマは嫌いになる要素がないから、好きか嫌いかで言えば、好き……だとは、思うが……」
「…………」
「なぜ笑っている、ジョルジー。何がおかしい」
「いいえ、何も。さ、お嬢様がお待ちでしょう。行ってさしあげては」
いぶかしげな様子の主人を送り出した執事は、その背を見つめながら、遅まきの春の気配に微笑みを深めるのだった。
「本当に……ここで働いていいと、父が言ったのですか……!?」
「私が君に嘘をつくと思うか?」
思わず言葉が出てしまった、という様子のエルマは、ユーグリークの言葉に赤面する。
「申し訳ございません、わたし……!」
「驚いたんだろう? 気にしていないよ」
エルマは再度謝罪の言葉を口にしようとして、違うのではないかと気がついた。
「ありがとうございます。このご恩は、お約束通り、誠心誠意働いてお返しさせていただきます」
ピンと背を伸ばしてから頭を下げたエルマに、ユーグリークはため息を吐いた。
彼としては、エルマが幸福で、ついでに自分の側にいてくれればそれでもう満足なのだが、それではエルマが納得できない。
そこで、ここで働いてもらえないか、という提案をしてみた。
エルマはまず自分なんかが、と固辞しようとしたし、根気良く説得すると、今度は家の許しが出ない、と渋った。
だからわざわざタルコーザ親子を呼びつけて言質を取ったのである。
「……まあ、最初はそこからでいいのかな」
「でも……あの、本当に、刺繍をするだけでいいのですか? わたし、掃除に洗濯、料理もできますし、買い物やお使いも――ああ、でも、勝手をすると、かえってこちらの家の方にお邪魔なのでしょうか……」
「ええと……」
ユーグリークは答えに詰まった。
刺繍ならば、彼はエルマの腕を既に知っているし、貴婦人のたしなみの一つでもある。
屋敷の人間達の仕事ともあまり被らないから、いくらでも好きにしてもらっていいだろう。
だが料理や水仕事となると、明確に使用人の仕事になってくる。
一応エルマはユーグリークの客人なのだ。
しかし、では一日中針仕事をしていてくれ、というのも、確かに何か違う気がする。
「何かわからないことがあれば、なんでもジョルジーとニーサに聞いてみてくれ。私よりこの家の事に詳しいし、力になってくれるはずだ」
「かしこまりました。お二人のご指示に従います」
ユーグリークは嘆息した。
本当はずっとエルマについていたい気分だが、そろそろ関係者のこめかみに青筋が立つ頃だというのもわかっていた。
というか何ならもう、立っているんじゃなかろうか。勘が正しければ、明日の登城で来るだろう。
(まあ護衛の皆はともかく、護衛されている方は……これまで散々やらかしてきた過去があるんだから、お前が文句を言う義理はない、という気はするんだが……)
「なるべく早く帰ってくるよ」
「いえ……でも、大事なお仕事なんですよね? お邪魔をしては、申し訳がございません。わたしにはどうぞ構わず、心置きなく済ませてきてくださいませ」
「…………」
「あの……?」
「まあ、仕事は大事だよな。うん……」
この時はちょっと、エルマの認識と、自分の立場というものを恨めしく思ったユーグリークだった。
「さて……もうこんな時間か。寝る支度をしないとな」
「あの……!」
「どうかしたか?」
「いえ……」
ユーグリークはじっとエルマを見つめ、ふっと口元を緩めた。
「気兼ねなく、思っていることを言ってみてくれ。それが君の最初の仕事だ」
「……! え、ええと……ユーグリークさまは、もうお休みになられますか?」
「いや、もう少し起きている」
「それなら、ご一緒に……その、何というか……」
「今ベッドに行っても、眠れそうにない?」
「はい、お恥ずかしながら……お邪魔でなければ、もう少しこうしてお話させていただいても、構いませんか……?」
エルマにしてみれば、他人の家だし、初めて実家以外で過ごす夜になるのだろうか。緊張するのも仕方ないことだろう。
少し考えたユーグリークは、椅子から立ち上がった。
「それなら一緒に、フォルトラの様子を見に行くか?」
「……あの、真っ白な天馬ですか?」
「ああ。厩番にも見てもらっているが、いるときはなるべく自分で世話をしているんだ。フォルトラは特に、少し気難しいところがあるし。ちょうど夜の確認の時間だ」
「でも……天馬はとても希少で、気位の高い生き物とおうかがいしています。わたしなんかが、お供させていただいてよろしいのでしょうか……」
「君だから誘っているんだけどな」
エルマはなんと答えたものかわからず、恐縮して黙ってしまった。
けれどユーグリークはそれを責めることはない。
「君の言うとおり、私たちは知り合ったばかりでお互いのことを知らない。君の事も知りたいし、私の事も知ってほしい。駄目か?」
「だ、だめなどでは……けして……」
「では、お手をどうぞ、レディ。自慢の馬を紹介させてください」
彼は片手をエルマに差し出してきた。
あわあわと慌ててしまう彼女だが、自分が手を取らない限り引っ込まないと悟ると、おずおず重ねる。
「……ユーグリークさまの手は、大きいですね」
「エルマが小さいんだ」
くすり、とどちらからともなく漏れた笑い声が重なり、ささやかに夜を流れていく。
エルマは知りようもなかったが、ユーグリークがこうして声を上げて笑うのは、実はとても珍しいことなのだった。




