21.招待と邂逅
その日の晩、豪華な二頭立ての馬車がジェルマーヌ公爵邸の前にやってきた。
着飾った男女が降りると、ずらりと並んだ使用人達と執事が客人二名を出迎える。
「ようこそいらっしゃいました。わざわざご足労いただき、感謝いたします」
「こちらこそ、お招きいただきまして――」
タルコーザ一家の父、ゼーデンは曖昧な笑みで応じ、挨拶の言葉を濁した。
相手は使用人、つまり貴族の血を引くれっきとした主人たる自分たちより、本来格下のはずだ。
しかし、侍女達のエプロンのレース、従僕達のスーツの新品のような綺麗さ、そして屋敷の広さ等を見れば、横柄な態度は得策ではないと考えられた。
ゼーデン=タルコーザは、家では絶対的な君主だが、外では下手に出ることを厭わない男でもあった。
加えて、上下や距離感を嗅ぎ分ける力はそれなりにある。
これで案外ごますりはうまく、だからこそ今まで世の中を渡ってこれた。
(どういった経緯かは知らないが、キャロリンをパーティーに送り込む前に、とんだ大物がかかった。ジェルマーヌ――公爵位の貴族! しかも確か、王都で近衛をしている跡継ぎはまだ独身だったはず。この機を逃がすわけにはいかない)
ちらりと横目に見るのは、大事な商品でもあり、厄介ごとの種でもある娘だ。
豪邸の様子にきらきらと目を輝かせているものの、ツンと顎を張り、澄まし顔で青い目にありありと侮りを浮かべていた。
見た目といい高慢さといい、本当に母親そっくりだ。
美しさと保有魔力は文句のつけようがないが、内面は扱いづらくて仕方ない。
さっきだって、雨で外出できないことに苛立ち、もうできあがっているはずの衣装を取りに行くとごねだした。
エルマがいないと矛先を逸らす相手がおらず、ゼーデンはうんざりしながら外出することになった。
しかし、店で着付けまで済ませて帰ってくれば、屋敷に見慣れぬ貴族からの使いがやってきていたではないか!
(キャロリンの我が儘が、今回は良い方向に働いてくれた。おかげでエルマがいなくても晩餐に出かけられる。しかし、まったく、あのぐずめは……一体どこをほっつき歩いているのか)
「閣下はお忙しいお方でして、後ほどご挨拶にうかがいます。お客様、まずはお食事を」
帰ったらどういたぶってやろう、と考え始めたゼーデンを、執事が屋敷に招き入れる。
(素晴らしい。広く、由緒正しく、全てが一級品。これぞ富豪! これぞ貴族! ワタシもすぐに、このような生活が……)
こみ上げる欲望を愛想笑いで押し殺し、ゼーデンは晩餐に応じた。
キャロリンと一緒に美食を堪能し尽くし、お代わりまで貰う。
執事自ら給仕役になっていることといい、よほど自分たちは優遇されているのだろう。
いきなりパーティーに出るのではなく、まずはキャロリンの絵姿を配ったり噂話を流したりと策を弄した甲斐があった。
(公爵夫人か……身分も財も期待以上だ。キャロリンの性格上、すぐに愛想を尽かされるかもしれないが、跡継ぎ――いや既成事実さえ得られれば、後はこちらのもの)
食後の一服も当然のように用意されており、ゼーデンはすっかり悦に入っていた。
そこに主人がやってくる知らせを告げられ、キャロリンと共に立ち上がる。
(ま、大貴族と言っても、会ったこともない娘の美貌に参る程度の男だ。いつも通りおだて上げてなだめすかせば――)
しかし、愛想笑いは当人を前にすると凍り付いた。
顔を布で隠した男が部屋に入ってきた瞬間、明らかに温度が変わった――ように、少なくとも感じられる。
実際、夜用の服で肌の露出の多いキャロリンが、鳥肌を立て、歯を鳴らしそうになっていた。
身分の高さを示す勲章をいくつもつけた軍服を身に纏った男は、随分と背が高い。
ゼーデンもキャロリンも見上げる必要があり、低く冷ややかな声が降ってきた。
「ようこそ、タルコーザ卿。私がこの館の主、ユーグリーク=ジェルマーヌだ」
(なんだ、この男は……!?)
自分たちは招かれてきたのだ。
先ほどの豪華な食事といい、使用人達のもてなしといい、人のあら探しが得意なゼーデンとて文句のつけようがなかった。
ならばなぜ、その主催者の態度がこのように穏やかでない雰囲気なのだ?
顔が隠れていてわからないが、とても歓迎されている様子ではないことぐらい、すぐに察せられた。
「こ――これはこれは……ゼーデン=タルコーザです。こちらは娘のキャロリン。もうご存知ですかな?」
「こんばんは、ユーグリーク様」
娘は花のような笑みを浮かべた。空気の読めなさのおかげで、父のように臆さずに済んでいるのだろうか。
しかし、男は冷え切った手でぐっとゼーデンの手を痛みが出るほど握りしめた後、差し出されたキャロリンの手を取ろうともしない。
こういうときは普通、手の甲に挨拶の口づけを贈り、世辞の一つでも言うものではないのだろうか?
「この顔は、昔任務中に怪我を負い、それ以来衆目に晒さぬようにしている。理解してほしい」
「は、はあ……」
「気にしませんわ。殿方の勲章ですもの」
キャロリンはまばゆい美貌の持ち主で、しかも今はプロに着飾ってもらった状態だ。
少女時代から、笑いかけた男は皆、自分にのぼせ上がることが当たり前であると思っている。
それなのに、目の前の男はなんだかいつもと違う。
優雅に微笑む女の口の端が、ひくりと震えた。
「それで……そのぅ。うちの娘を気に入っていただけたと――」
「ご息女のエルマ殿に、困っているところを助けていただいた。今夜はその礼と、相談がしたくて呼んだ」
タルコーザの父と妹の顔から、愛想笑いが消えた。
片方は驚愕し、片方は真顔になる。
「――エルマ、ですか?」
「エルマ=タルコーザ。そう名前を聞いている。つぎはぎの服を着て、茶色の目と髪をしている。人違いか、聞き間違いか?」
「いえ――それは確かに、うちのエルマに間違いないが……その。助けた、とは?」
「知人を訪ねる途中だったのだが、服を破いてしまってな。たまたまその場にいあわせた彼女が直してくれた」
「……はあ。それだけ……ですか?」
「それだけ?」
「と、とんでもない! 何も言っておりませんですぞ、はは」
ゼーデンはにちゃ、と口角をなんとか上げた。
この覆面の男に面と向かって逆らうのはまずいと、本能が察知したのだ。
一方で、混乱しながらも、悪知恵を巡らせようとしている。
(てっきりキャロリンの噂を聞きつけたのかと思っていたが、違うのか。エルマ……服を直しただと? 馬鹿な、たかがその程度。いや、待てよ。もしやこの男が――)
「あのぅ、ひょっとして、先日ラティーをくださったのも……?」
「ああ。私だ」
「――! ああ、あれ! とても美味しかったです。ありがとうございました」
「これ、キャロリン!」
出しゃばるな、と父は娘を制する。全く、エルマから受け取ったラティーを台無しにしておいて、大した娘だ。しかし相手が悪い、変な刺激を与えたくない。
が、何の問題もなかった。
男はどうやら、最初からキャロリンを全く相手にしていない。文字通り眼中にないのだろう。
さすがに自分が意図的に無視をされているとわかったのだろうか。キャロリンの顔から血の気が失せた。
ゼーデンは冷や汗を滝のように流しながら、揉み手で相手の顔を窺う。
「そのう……それで、なんでしたか……礼はともかく、相談とは……?」
「単刀直入に言えば、私はエルマの裁縫の腕を気に入った。家で働いてもらいたい」