23.ヘタレになるな、(社会的に)死ぬぞ
図らずも妻から従弟励まし係に大抜擢されてしまった男は、慣れないながら自分を頼る後輩の相談に応じようとしていた。
「どどどどどどど、どうし、しし、たい、か、ななななんて……」
気分転換を兼ねて室内から屋外に移動済みの男達を、夏の風が撫でる。
ファントマジット家の次男は冷や汗を浮かべているようだが、魔性の男は氷魔法の達人、夏の昼中、顔に布を被っている状態でも汗一つない。
スファルバーンがどもって考え込む仕草を見せたので、ユーグリークはいったん視線を適当な所に流した。
彼は愚鈍な男と判断されがちだったが、即時に気の利いた台詞を返すという形のコミュニケーションが苦手なだけで、けして何も考えていないわけではない。
ユーグリークも自分がさほどうまいことを言えるタイプではない自覚があったし、返答を待つのにいらつくこともない。
とはいえじっと見ていると相手を焦らせてしまうかもしれないので、話は聞いているが急かすつもりはない、という意思を態度で伝える。
やがて考えをまとめられたらしいスファルバーンが、再度口を開く。
「わ……わわ、わからなく、て」
「何が?」
「に、兄さんなら。か、かかかっこいいな、とか、わ、わかる……けど。な、なんでオレ? って……」
ユーグリークは思わず上方を仰いだ。ファントマジット領の空は今日も青い。
確かに聞いたエピソードでは、そもそも糊を渡すよう促したのはベレルバーンだし、その後いじめっ子にきっちり報復してわからせたのも兄の方だ。
糊を押しつけてボコボコにされて寝込んだだけなのに、何年もカードを贈ってこられると、釣り合っていないようで腑に落ちない。
そう言われれば、一理ある気もしてくる。一方で、「そうだよな、向こうがちょっと大袈裟すぎるよな」と返すのも違う気がする。
今度は魔性の男が考え込んだ。
スファルバーンはどこか期待と憧れに満ちた目でユーグリークを見つめてから、「そうだあまり見過ぎると良くないのだった」と思い出して俯き――を、交互に繰り返してちらちらこちらを見つめている。
「俺もご令嬢本人じゃないから、彼女自身の気持ちはわからないが。とにかく、糊を渡したのはお前の方だったんだろう?」
「は……い。そ、そそそう、です、けど……」
「彼女、昔は内気で、今みたいに他の人とうまく話せていなかったらしいな。それなら、自分を見てくれる人がいた、気にかけてくれる人がいたってことが……それだけのことが、本当に嬉しかったんじゃないのか。……俺も少しだけ、わかる気がするよ。ここはいていい場所なんだな、って思える気持ちが」
落ち着いたトーンの喋り方に、不意にぐっと優しい甘さが増す。
スファルバーンははっとしたが、そそくさ視線を下ろした。
目の前の男が誰との出会いのことを言っているかすぐにわかったし、その思い出を心に浮かべながら語る彼を直視するのは、少々まぶしさが過ぎたのである。
「お前が彼女に対して、どう感じればいいのか測りかねているのは理解した。で、話を戻すが、じゃあなんで釣りに誘ったんだ?」
「う」
空気が和んだ所で魔性の男がいよいよ本題に切り込む。油断しているところにジャブを入れられ、魔法伯家次男が胸を押さえた。
「正直に俺の印象を言うが、趣味に付き合ってくれと言う申し出は、その辺を散策しようより大分重たいぞ。というか、ある程度お互いの人となりを知っている関係性でできることだと思う。お前はヒーシュリンのご令嬢に対して、まだそこまで距離を詰められているようには見えないんだが」
「う、ううっ……」
「じゃあ距離を縮めたいから、思い切って勝負に出たのか? 今の話だとそうでもない。お前はまだ彼女のことがわかっていないし、彼女への自分の気持ちもわかっていない。だがこのまま平行線なのはモヤモヤするし、とりあえずなんとなく自分の得意分野に誘い込んでみた、とか」
「う、うぐ、ぐうっ」
「しかし釣り場で自分から過去の話を切り出すつもりはない。ただ相手の出方を見て、ひたすら待つ。――お前、それはな。ヒーシュリンのご令嬢がどうにもならないと諦めるのも、仕方ない。エルマがあんなに怒るわけだよ」
「ふ、ふぐぅっ……!」
スファルバーンはよろめいた。物理的には何も起こっていないはずだが、気持ちは既に何度も殴打された後である。
ユーグリークはすっと近づき、従弟の肩に手を置いた。ぽん、と励ましたようでもあり、打ちひしがれてうずくまるのを阻止したようでもある。
「お前の大好きな釣りだって、時には待つだけじゃなく、合わせることも必要なんだろう」
「ううううう」
「少なくとも、興味がないわけじゃないんだろう。な?」
ここに集いし男達は、どこぞの王太子とは違って、どうでもいい相手に心にもない台詞は吐けない連中である。醸し出される同族意識に、ついに次男の本音がそっと顔を覗かせた。
「か……」
「うん」
「かか、可愛い、し……」
「……うん」
「き……きききき、綺麗、だし……」
「…………。うん」
「な、なんでか、わ、わからない、け、けど。ず、ずずずずっと、き、気にしてくれてる、ら、らし、らしい、し……」
「……………………」
「か……可愛いし……」
ユーグリークはすっと目を遠くし、ふーっと長く息を吐き出した。
客観的立場となることでようやく、(そうか、だから俺は各所方面から半笑いを向けられたのか……)等と、なにがしか思い至ることでもあったのかもしれない。
ともあれ、憎からずな想いは本人の口から引き出すことができた。
これをそのままご令嬢の前でも吐露できれば悪いようにはならないのでは、と思うが、しかしそれも難しそうだ。
自らが動いて失敗に終わるのと、傍観して終わるのであれば、後者の方がまだダメージが少ない。
スファルバーンは最近でこそ頑張りが認められるようになってきたが、失敗し続けた経験の方が圧倒的に多い。だから知らず知らず、失敗すること前提の立ち回りになってしまうのかもしれない。
自分も過去、激しい後ろ向き姿勢になった経験のある男は、けれどだからこそ、深呼吸して後輩を諭した。
「スファル。俺はお前に、逃げるなとは言えない。男だって怖いものは怖いし、ぶつかってお互い致命傷を負う予測ができたら、それを避けるのは悪いことなのか? とも思う。ただ――」
「……た、ただ?」
「きっとな、ヒーシュリンのご令嬢は優しいから、お前が引こうと立ち向かおうと、許してくれる。だけどな……ファントマジットのご夫人方はどうだろうか。お前がヒーシュリンのご令嬢に誠実な態度を示してもうまくいかなければ優しくしてくれると思うが、現状のままでは……」
スファルバーンの顔から表情が消えた。
彼の脳裏に、今まで世間の荒波から守ってくれた優しい保護者達の顔が浮かび、次にそれが反転する仮の未来が浮かぶ。
ファントマジットの女達は賢くて品があるから、露骨な嫌がらせや暴力はあるまい。
だが「フラれるのが怖いから、思わせぶりな態度を取りながらキープしようとした」男には、きっと一生口をきいてくれなくなることだろう。
そして、家族と喧嘩した時フランクに家出できる兄と違い、弟には伝手がない。唯一身を寄せられる公爵家にはエルマがいる。従妹もまた、親友をヘタレの極みで幻滅させた男に対して、二度と好意的な態度は取ってくれまい。
「彼女らを激怒させるより、ヒーシュリンのご令嬢と向き合った方が、全然怖くないと思う……」
ファントマジットの男児は、今こそやらねばやられる時であることを理解し、神妙な顔で頷いた。