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22.ニンジンとキツネ

 スファルバーンが十歳にも満たない頃――まだ社交界デビュー前の貴族の子ども達が交流する機会があった。


 貴族はある程度育ってくると未婚の男女の交流に慎重になるが、そういった配慮が始まる前の年齢である。


 そしてそのような年頃で覇権を取るのは、頭が良く大人しいタイプの子より、発育が良くて元気なタイプの子だった。この子のことを仮に“ボス”とでも呼ぶことにしよう。


 ボスは集められた子ども達の中で年が上の方で、ずっしりした体格をしていた。そんな彼は集団の中で一際大人しく、それでいて目立つ髪色をしていた女の子に目を付けた。


「やーい、ニンジン女!」


 女の子は本を読むのが好きらしかったが、静かにしている彼女を他の子をけしかけて追い回す、スカートをめくろうとする、本を取り上げて追いかけてこいとからかう……連日、嫌がらせは続いた。


 今思えばボスは、気になった子だったからこそ、執拗なほどにちょっかいをかけていたのかもしれない。が、やられた当人からしたらたまったものではなかったはずだ。


 しかもたちの悪いことに、ボスは大人達の前では外面が良かった。子ども達のまとめ役と思われていたのだ。

 内気な女の子は両親にも、なかなか嫌な目に遭っていることを言い出せないようだった。


 そんなある日、ついに事件が起こる。

 ボスが乱暴に本を取り上げた際、ページが破れてしまったのだ。

 物を壊してさすがにばつが悪くなったのか、いじめっ子は女の子を置き去りに、取り巻き達と別の場所に走って行った。


 女の子は一人泣きながら、酷い有様になった本を見下ろしていたが――そこにまた別の子達がやってきた。

 ファントマジット兄弟である。


 ファントマジット兄弟が殊更孤独を好んでいたわけではないが、ベレルバーンは目つきが悪く(既に眼鏡で目元の印象を変える試みをしていたが、それでも祖父譲りの目元の特徴は頑固だった)、スファルバーンは鈍くさい。

 そのためセットで放置されがちで、兄弟側もそういった扱いには慣れていたのか、兄が弟を連れ回して遊んでいることが多かった。


 女の子と遭遇した時、ベレルバーンは特に興味がなさそうに通り過ぎようとしたが、スファルバーンは足を止める。


「なんだ、スファル」

「…………」


 思うに自分も似たような目に遭わされがちな身として、放っておきがたかったのだろう。かといって内気で愚鈍な弟は、自分から声をかけられる性格はしていない。

 ちらちらと横目に何か訴えかける目を向けられ、兄はため息を吐いた。


「ちょうど今日、糊を持ってきていたな。渡してやってみたらどうだ? そのぐらいならお前にだってできるだろう」


 この頃既に不出来な弟への見下しが定着しつつあった兄だが、一方でそんな不出来な身内は自分が面倒を見てやらねば、という家族意識もあったのだろう。なんだかんだ弟と行動を共にしていたし、珍しく何かしたそうな素振りをしていれば、このように助言を与えもした。


 スファルバーンは言われた通りに糊を女の子に渡した。というか、無言ですっ……と差し出した。

 ファントマジットの弟は声を出すと吃音で気持ち悪いと敬遠されたから、不審な目で見られようと無言を貫き通していたのである。


「…………」

「…………」


 女の子とスファルバーンの無言のにらみ合い、もとい見つめ合いが続いた。「これ、使って」の一言でもあれば彼女もすんなり受け取れたのかもしれないが、驚きと困惑でどうすればいいのかわからなくなっていたのだろう。


 最終的に、スファルバーンは半ば糊を投げつけるように女の子に押しつけ、そして逃げるように立ち去った。


 その翌日、弟は兄と別行動になった。


 本当は魔法伯一家で釣りに行く予定だったのだが、スファルバーンは熱を出したために、お留守番となったのだ。小さい頃の彼は病弱気質で、体調を傾ける日があるのは珍しいことではなかったのだ。


 だが幸か不幸か、熱は日が高くなる頃にはすっかりと引いていた。普段ならベッドで良い子に大人しくしているスファルバーンだが、その日は気にかかることがあったためか、こっそり寝室から抜け出す。


 他の子達がよく遊ぶ森に行くと、すぐに目的の女の子は見つかった。燃える炎のような髪色は目だって見つけやすい。


「……あ」


 今日の彼女は、本は持ってきておらず、女の子達で集まって、草花を編んでいたようだった。赤い髪の子がスファルバーンに気がつくと、他の子達も顔を上げる。


「なあに? どうかした?」

「あら、あの子……」

「お兄さんはどうしたの? いつも一緒にいるじゃない」

「置いて行かれちゃったの? こっちに来る?」


 女の子達はけして非好意的な態度ではなかったが、兄がいないこともあり、スファルバーンは声を出せなかった。だが、女の子が一人でない現場を見られたことで、少し安心できたのかもしれない。踵を返し、部屋に戻ろうとした。


「キツネだ、追え!」


 その時、いじめっ子の声がとどろいた。キツネ狩りに見立て、キツネ役の子どもを皆で追い回す追いかけっこの始まりだ。


 普通の追いかけっこと違う所は、逃げる役が一人で追い立てる役が複数であること、そして狩りの主導者――この場合、ボスが許さない限り、キツネ役に交代はないことだ。

 要するに私刑リンチである。


 ボスはここぞとばかりに、お気に入りと不用意な接近をした気に食わないひょろガキを指さした。ひょっとすると昨日、女の子に糊を渡していたところも見られていたのかもしれない。


 悲惨さを多くは語るまい。スファルバーンは運動上手な子どもではなかった。だが狩人達は、獲物に追いついても追い立てることをやめなかった。なまじ温室育ちがゆえに、盛り上がってくると加減がわからない。

 小突き回し、蹴飛ばして無理矢理に走らせ、最後は泥の中に突き飛ばした。


 さすがに女の子の誰かが大人を呼びに行ったから、手遅れにはならずに済んだ。

 無数の打ち身と擦り傷切り傷、そこに泥だらけの状態で見つかったスファルバーンは、熱を出して床に伏せった。


 そしてここまで大事になってようやく、大人達に状況が伝わった。

 慌てて謝罪にやってくる親、お見舞いにやってくる子ども――慌ただしく日々が過ぎ、ファントマジット一家は自領に戻ることとなった。

 この経験は、元々内向的なスファルバーンがますます人見知りを加速させる原因の一つになったのだった。


 なお余談であるが、ボスもまた後日無数の打ち身擦り傷切り傷と泥だらけの状態で見つかった。そして何故かすっかりと眼鏡恐怖症になっていた。


 察しの良い人間なら容易に何が起きたのか推理可能であろう。

 そしてこのような兄貴分気質が、スファルバーンがどれだけ無能と罵られようと邪険に扱われようと、「兄さん兄さん」と懐いて離れようとしない所以だったのである。


 なおこれも余談であるが、ボスの親御様からそれとなく魔法伯に話があったところ、


「いやしかし良かったですね、私が決闘相手なら彼は今頃魚の餌になっていたかもしれません。興味深い話があってですね、なんでもさる地方では水葬ならぬ魚葬というものが――」


 と当主が爽やかに珍魚のグロテスクな蘊蓄を語り始めたため、ボスもボスの親御様も二度とこの話は掘り返すまいと誓ったらしい。ついでに一部の界隈に「ファントマジットは絶対に怒らせるな、魚に襲われるぞ」との言説が広まったらしい。



 ◇◇◇



「……つまりその時の本を破られて泣いていた女の子が、ネリサリア=ヒーシュリンだったと」

「た、たぶん……?」

「それは……その。何というか…………そうだったんだな」


 根気強く口下手なスファルバーンから話を聞き終えたユーグリークは、口を開いたが肝心のコメントに詰まり、なんとも微妙な相槌が結びの言葉となった。


 しかし話を聞いた後であれば、スファルバーンもネリサリアも、お互いにすぐ「あの時の」と言い出さなかった理由がわかるような気がする。


 スファルバーンがかっこよくいじめっ子を退けたとか、庇った末に名誉の傷を受けたとかいう話だったのなら、もうちょっと切り出しやすかったはずだ。ベレルバーンがすぐ思い出したものの、「当事者スファルが思い出したくないなら自分は何も言わない」と言うスタンスだったのも納得である。


「しかしそれならば、ヒーシュリンのご令嬢はお前に恩義というか……罪悪感というか。ずっと心残りだったというのも、わかる気がするな」

「そ、そそ、そうでしょうか……」

「それで、スファルはどうしたいんだ?」

「オ……オレ? オオオオレですか!?」


 ぎょっとした顔になってわたつきだしたスファルバーンに、ユーグリークは当惑の雰囲気になった。


「いや、だって……そもそも、ネリサリア=ヒーシュリン側からお前への好意は割と明らかだったんだろう。それで、お前は彼女をどう思っているのかと、そういう話だったじゃないか」



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