20.君が俺を救ってくれたから
(か……完食してしまった……!)
エルマが気がついたのは、全ての品を胃に収め、ナプキンで口元を拭った瞬間だった。
品数は多いが、一つ一つが一口サイズであり、何よりどれも手が止まらなくなるおいしさだ。
完全に我を失っており、マナーとか遠慮とか、そういうものが全部吹き飛んでとにかく次の品を追いかけていた気がする。
(なんてはしたないことを……!)
「良かった、食べられない訳じゃないんだな」
「ユーグリークさま……ご、ごちそうさまでした。あの……!」
彼の方もきっちり全部食べきって、自分でポットから茶をつぎ足している。
「エルマもお代わりはいるか?」
「えっと、自分で……自分でやります……! ああっ、むしろわたしが、その……!」
「はは、大丈夫だ。他人に見せるような物じゃないが、私にもこれぐらいはできる。ミルクや砂糖は?」
「お、お構いなく……本当に、お構いなく……!」
「嫌だ。私は君を構い倒したいんだから」
「はうっ……!?」
そろそろ顔から湯気が出そうだ。あわあわしている間に、カップを取り上げられ、注がれてしまった。
先ほどのハーブティーと違い、今度は見慣れた茶色いお茶の色だ。
ただ、香りの時点で明らかに普段と格が違うことがわかってしまうが。
(……そういえば)
ふと、エルマはユーグリークに目を向ける。
彼は明らかに、エルマなどとは住む世界の違う上級貴族だ。
けれど先ほどポットを扱う手は、全く危なげなく、慣れている風ですらあった。
天上の世界のことを詳しくは知らないが、普通高位貴族ともなれば世話の類いは全て人にやってもらうことが当たり前――つまり自分でポットからつぎ足すなんてこと、しないように思うのだが。
「私が茶を足せるのが不思議か?」
「今、わたし、言葉に出ていました……!?」
「いいや。顔に書いてあった」
エルマがますます赤くなると、ユーグリークはくすりと笑う。けれどその後カップに落とした目には、どこか寂しげな色が見て取れた。
「前も話しただろう? 私の顔は、目にした人間から正気を奪ってしまうんだそうだ。本来、両親以外には見せられない。そうすると着替えや食事はある程度自分でできた方が、お互い都合が良くてね」
そういえば先ほどふっくらした侍女が、「坊ちゃまは身の回りのことはなんでもご自分でおやりになる」と言っていたことを思い出す。
ざっと見た屋敷の使用人が、総じて高めの年齢に見えたのも、もしかして彼の事情が関係しているのかもしれない。
「まあ、ただ。よくわからない相手との会食を断る理由としては、助かっているが」
エルマが少ししゅんとしたからだろうか、ユーグリークは冗談めかしてそう付け足した。
(わたしも割と、よくわからない相手なのでは……?)
首を傾げかけたエルマは、カップを置いたユーグリークがまっすぐな姿勢になったのを目の端でとらえた。
慌てて自分も向き直ると、銀色の目がエルマを見据える。
「さて……君のことについて、話そうか。……何があったか、聞いてもいいか?」
体は温まり、腹も満ちてすっかり落ち着いた。
しかし、この話題になると、とたんにずんと体が重くなるような心持ちだった。
エルマは俯く。
「……ユーグリークさまは、大げさです。あのくらい……いつものことで」
「じゃあ君は、いつもああやって泣かされているのか?」
「あれは……初めての事でしたけど。少し、驚いただけなんです。大丈夫。すぐに元に戻ります。わたし、今までだってそうやって……」
「エルマ。言っただろう? 君を困らせたいわけじゃない。ただ、力になりたいんだ」
「でも……」
「何が気になる? 何が足りない? 何が不安だ? 何に怯えている? 俺にできることはないか?」
低くかすれた声はくすぐったく響き、体の奥まで深く揺らされるような気がする。
エルマは膝の上で、ぎゅっとスカートを握りしめた。
「ユーグリークさまは、どうして――」
「……続けて」
「わたしは……わたしは、いらない子なんです。母を死なせてしまった、悪い娘で。それに、妹に比べて、何もかも劣っていて……だから、叩かれるのも、仕方ないことで」
エルマが言葉を切ると、沈黙が訪れる。
ぎり、と何かこすれるような音にエルマが目を上げると、ユーグリークが険しい顔をしている。
「ユーグリークさま……」
「君じゃない。君にそんなことを言わせるものに、私は今、怒っているんだ。……私自身を含めて」
申し訳なさが募った。と同時に、やはり疑問が膨らんでいく。
「――どうして」
「……何が?」
「なぜ、ユーグリークさまは……いつもわたしに、こんなに優しくしてくださるのでしょう。先ほど知らない相手とは食事をしたくない、というようなことを仰っていました。わたしたち、きっと……全然、知らない相手です」
「それは……私たちはもう、友達で」
「違います。その前からずっと……初めてお会いした時から、ずっと」
囁くような言葉を漏らし、エルマは両手の指を絡ませた。
「何を気にしているのかと、お尋ねになりましたね。わたし……わたしたち、本当に友達なのでしょうか。わたしはあなたと、まったく釣り合いません。あなたは素晴らしい人です。ラティーもいただいて、お風呂もいただいて、服も貸していただいて、お食事もいただいて――こんなに良くしていただいても、役立たずで無能なわたしには、何も返せない。何もできない! わたしができることなんて、せいぜい掃除や洗濯、料理に雑用、その程度で……それ以外は、何も、」
「仮に君の言っていることが事実なのだとしても」
エルマがそわそわと両手をすり合わせながら、下を向いて喋る言葉をユーグリークが遮った。
「俺はもう、充分君から貰っているよ。だから返しているのは、俺の方だ」
「……――」
「そうやってただ、君が隣にいて、見てくれる。俺は本当に、そのことに救われたし、今だって救われている。だから……だから今度は俺が君を助けたい。それだけなんだ」
わからなかった。理解できなかった。とても実感がない。
だが、目の前の男は、真剣に、誠意を持って一言一言語りかけてきている。
だからその言葉を否定することも、できなくて。
大きく見開かれたエルマの目をじっと見つめた男は、一度手元に目を落とし、考え込む仕草を見せた。
「でも、それは私の都合だな。君はそんなこと言われても、って思うかもしれない。やっぱり何もできていないのに、と。それなら……こういうのは、どうだろう?」