20.一夏の思い出計画
さて、思わぬ横槍が入ったことで慌ただしくなったが、エルマは両親の墓前に結婚の報告をするために魔法伯領に里帰りした。この夏最大の任務は、一応果たされたと言えよう。
後はのんびりと故郷で過ごしてから公爵邸に向かう予定……であったのだが、黒染の魔女の件がある以上、何の憂いもなくバカンス、とは難しそうだ。
だが夏の楽しみが一切合切消えたわけではない。
むしろ魔法伯領にはまだ、これを残して夏を終わらせる訳にいかない重大イベントが残っている。
「それでいよいよデート、なんですね?」
「デ、デートと言うには大袈裟な……」
「でもお出かけの約束をしたのでしょう? ついに二人きりで!」
「え、ええ……そうだけど」
青く澄んだ空の下、木陰で令嬢達がのんびりと涼をとっている。
木の枝などから吊り下げるタイプの椅子に身を任せていると、時間を忘れてゆったりと過ごすことができる。
気心知れた女友達同士、靴を脱いで裸足で風や芝生を楽しむ等、思う存分羽を伸ばしていた。
ファントマジットの年上女性陣が若者達に厳しいわけではないが、近しい間の人間しかいないからこそ生まれる気安さは得がたいものである。
当初予定では、この時間もユーグリークと過ごす予定だった。が、先日「ひっつきすぎで妻が体調不良」とズバリ指摘されたことが、新婚熱愛派だった夫にもそれなりに効いたらしい。
「イチャイチャは用法用量を守りながら」とのフレーズを合い言葉に、泣く泣く、という風情ではあるものの、ユーグリークは妻に自分と離れる時間と空間の確保を心がけるようになっていた。
だからエルマはこうして今、友と二人でリフレッシュを楽しんでいる。
「今度はね」
「はい……!」
「釣りに行くことになったの」
「…………。釣り」
椅子から腰が浮かびかけるぐらい前のめりに聞いていたエルマだったのだが、どっかりと背を預ける格好に戻った。直前まで悪くない流れだったのに、何故そう色気のない方に向かうのか。
そう、ファントマジット一の奥手令息の婚活――これもまた今夏の重大ミッションである。
周囲の全面的な支援の割に、相変わらず事態は一進一退といった様子らしい。
とはいえ、後退ばかりしているのなら、さすがにエルマも現魔法伯夫人も先代魔法伯夫人も、ここまでお節介は焼かない。
スファルバーンもネリサリアに興味を示している様子はあるのだ。釣り場、つまり趣味の空間に誘っているのなら、間違いなく脈はある。エルマの従弟は何の気もない相手を、自らの癒やしたる魚の楽園に招き入れられるほど器用な男ではない。が。
(いくら自分の得意分野とはいえ、いきなり釣り場は……大分危険なのでは……?)
何時間も座り込むこととか、魚の餌が大体令嬢の天敵であることとか、釣れる生き物は物によっては結構形がグロテスクだとか、無事釣り上げたとても食べるための処理をしなければいけないだとか――ぱっと思いつくだけでも、令嬢ウケするとは言いがたい趣味だ。何なら令嬢避けされる部類ではなかろうか。
エルマは恐る恐る、ネリサリアに探りを入れる。
「ネリーさまはその……釣りはお好きなのですか……?」
「わたくし? ええ、もちろん! わたくしの櫂捌き、ご覧になったでしょう? ボート釣りも自信あるのよ。だから釣果を競って、負けた方が勝った方のお願いを聞きましょう、ということにしたの」
一瞬、無知ゆえに今は期待に胸を膨らませていられるが、当日になったら幻滅してしまうのではと心配したが、杞憂だったらしい。何ならエルマよりよっぽど詳しそうだ。どうも最初に抱いていた印象より、大分アクティブなご趣味をお持ちなネリサリア=ヒーシュリンなのである。
それよりうっかり聞き流しかけた釣果の報酬について、エルマはまた椅子から体を起こす。
「お願いを……!?」
「ええ。わたくしの方は決めてあるもの」
ネリサリアはさらりと言うが、横顔はなんだか凄みがある。エルマは思わずごくっとつばを飲んだ。
(つまり……釣りでスファルさまに勝ったら、ついに告白する、とか……!?)
それにしてはどうにも友の様子が静かすぎるというか、甘い雰囲気には見えないというか。
あれ? とエルマが首を傾げていると、風に揺れる赤い髪をそっと押さえ、ネリサリアはにっこり微笑んだ。
「勝ったらわたくしは昔言えなかったお礼を言う。それで終わり」
「……え?」
「最後の夏ですもの。後悔なく良い思い出を作って過ごしたいわ」
「え、あの……?」
おかしい。ファントマジットの女達は一丸となって令嬢の恋を応援するつもりだったのだが、肝心の令嬢がなんだか不穏なことを言い始めている。
ふう、とネリサリアは息を吐き出した。
「エルマさま、意外な顔をしていらっしゃるけど、考えてみて。わたくしの方が年上なのよ」
スファルバーンはエルマと同い年だ。今年二十歳である。
一方、ネリサリアはエルマの二つ上……二十二歳である。
思わず指折り算数をしてから、エルマは信じられない顔でネリサリアを見てしまう。
「たった二歳差ですよね!?」
「それでもわたくしの方が年増だわ。おまけにこうやって領地まで押しかけて……この上その先まで進んだら、明らかにやり過ぎでしょう」
「えっ、でも、あの、その」
確かに、上流階級では年上の社交的な男が年下の内向的な女をリードするのが理想像ではある。
とはいえ、ネリサリアがここまでスファルバーンとの付き合いを、婚姻前提ではなく、一夏の思い出モードに割り切っているなんて。
模範的な淑女らしさが羨ましい友人だが、今回はその貴人の規範行動が、あまり望ましくない結果に向かっているような気がした。