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18.再びの侵入者

 魔性の男は控えめに言って、一般人とは越えてきた修羅場の数が違う。が、彼の修羅場は基本的に自身に降りかかるものである。


 新婚旅行、兼妻の実家の里帰りの最中、夫婦の寝室に第三者が潜り込んで妻の服を剥ごうとしているタイプの修羅場は、歴戦の災厄経験者とても初めてだった。そして一瞬、全ての思考回路が停止して硬直することは避けられなかった。


「助けて、ユーグリークさまっ……!」


 しかし涙目の妻に助けを求められれば、頭が無になっていても反射的に体が動く。

 ベッドに大股で歩み寄り、襟首をひっつかんで侵入者を引き剥がした。


 雑に投げ飛ばされた侵入者は、器用に家具のないところに転がっていって立ち上がる。


「何する。ちょっとびっくり」


 真っ黒な肌に、紅い瞳を持つ、十代後半とおぼしき少年だった。ぶんぶんと首を振る所作は、人間というより犬猫のそれに近い。言葉遣いには幼児の舌足らずというか、異国人の片言というか、とにかく喋り慣れていないような不自然さを孕んでいる。


 実のところ、ユーグリークにも、何ならエルマにも――というかこの二人だからこそ、特徴的に過ぎる侵入者に心当たりはある。


「それが遺言で問題ないか」

「問題……ある。何故、遺言?」


 だが表情をなくしたユーグリークが真っ先に口にするのは、「なんでここに」「どうやって来た」等の台詞ではない。問答無用でとどめを刺しに行かず遺言を挟もうとする辺り、ギリギリ理性が残っているのか、やはり衝撃の余り行動がおかしくなっているのか。


 そんな、もはや激高を通り越して感情を失っている魔性の男を前にしても、侵入者の少年には全く危機感が見られなかった。常人ならば既に、魔性の男から放たれる殺意まみれの魔力に当てられ、良くて気絶、悪くて気が触れているところだ。


 だがあいにく、この少年は一般人ではない。というか人ですらない。


 ユーグリークは文字通り無心で妻の乱れた服を整えてあげながら、淡々と、そうあくまで淡々とした口調で語る。


「ではいかなる正当な理由があれば、人の妻の服を人の寝室で、夫以外の奴が剥ぐことが許されるのか。教えてくれ」

「ユーグリークさま、夫でも合意がなければ許されません……!」


 しれっと「俺は夫だからそういうことしても許されますけれども」という価値観を漏らした男を、妻が後ろから小突く。


 そして人間二人がわちゃつく様を、侵入者は不思議そうに紅い目を瞬かせて見つめる。


「理由……治療。治療、脱衣が必要。自分、人の文化、理解してる」

「脱がなくても治療はできますって、わたし、言いましたよね……!」

「どこからそんな偏った知識を仕入れてきた」

「あらゆるところ」

「この国のそんなにあらゆるところで、治療時の全身脱衣は義務化されているのですか? 患者が嫌がっても、医者は皆手始めに服を剥ぐんですか!?」

「否。しかし竜に脱ぐ脱がないの機微、判断できぬ。ので、ならば脱衣、早い」

「以前散々思い知らされた気でいましたけど、今改めて、わたし達って別種の生き物なんだと噛みしめています――あっ、駄目ですユーグリークさま、構えるのは駄目です。お気持ちはとても、でもその解決方法は駄目です……!」


 人外の目には一点の曇りもなく、言葉には何の悪気もなかった。ただし人間の常識もなかった。

 エルマはとうとう無言で冷気を放ちだした夫に、後ろからひしとすがりつく。体調を崩している妻に抱擁、というか取り押さえられて、ユーグリークの動きがピタリと止まる。


 魔性の男は豊富な修羅場経験者だが、大体の修羅場をかかってきた相手が正気に戻るまで迎撃を続けるというやり方によってなんとかしている。要は力でねじ伏せているのだ。

 この場合、相手は最初から正気なのだが、「駄目だこいつ、百発ぐらい氷漬けにしないと反省しない」とか考えたのであろう。


「一応、治療しようとしてくれたことは、本当らしいので――やり方は大分間違っていますけど……!」

「そう。自分、嘘つかない。人でないので」

「そもそもの話、なんで邪竜の分身体がこんなところをうろついているんだ」


 人外の態度は相変わらずだが、エルマの必死な説得と、時間経過によって多少頭が冷えてきたためか、ユーグリークがようやくの質問を口にする。


 一月程前、これまたジェルマーヌ次期公爵夫妻の結婚式、直前の出来事である。

 王国の北の果てに長らく封印されてきた邪竜が復活した。

 正確には、その分身体のうち一体が城を強襲し、これを公爵子息が撃ち倒した。


 そのゴタゴタのせいでうっかり結婚式が花婿不在になりかけたりもしたのだが――最終的に、王国は三体存在していた邪竜の分身のうち一体を倒し、残る二体を監視下に置くことに成功した。二体は城で、筆頭宮廷魔術師たる賢者に制されていたはずなのだが……何故か今、その片方が夫妻の目の前にいる。


「二番目は、危なくて外に出せぬ。三番目は、まあ……じじい、そう判断した。なので自分、来た」

「賢者さまが、あなたをここによこしたと……?」

「そう」

「老師! さすがに年で耄碌したか!? あの話の出来る二番目はまだわかるとして、このポンコツを解き放つのはどう考えても早計だろうが!」


 賢者様はかつては邪竜の討伐に参戦し、今の時代には失われた魔法を操る、知識、実力共にずば抜けた超凄腕の魔法使いである。

 放っておけば周囲の人間の正気をことごとく奪うユーグリークの魔性を押さえる魔法を作り、彼に布付きではあるが行動の自由を与えたのもかの老人である。


 そのため戦闘力では世界一と言っていいユーグリークとて、唯一無二の魔法使いを深く敬愛している。それでも叫ばずにはいられない。


 大声に耳を塞ぐポーズをした三番目は、小首を傾げて二人を見比べる。


「三番、学習した。だいじょぶ。できる」

「今までの何を以て俺達に大丈夫って言えるんだ。もうこの状況が大丈夫じゃない。お前は学習できる竜なんだろう、頼む、この感覚を学習してくれ……」

「だいじょぶ」


 精神的にどっと疲労したらしいユーグリークが肩を落としていると、いつの間にか少年がすぐ側までやってきている。害意がなく、また人の常識のない人外の距離感は独特だ。それゆえ一瞬反応が遅れた魔性の男の手を、そっと三番目は取っている。


「つがいもお前も、治療する。だいじょぶ」

「……俺?」

「だから自分、送られた」


 今度は魔性の男が目を丸くする一方、エルマがはっと息を呑んだ。

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