13.墓前の邂逅 4
「そういえば、エルフェミア=ジェルマーヌ。ご家族と暮らしていた家も、この近くなのでしょう?」
墓参りを終えた一行が帰路を歩み始めた折、思いついたように魔法伯夫人が口を開いた。
「そうね……屋敷を飛び出したあの子は、この町でひっそりシルウィーナと暮らしていたのだそうね」
「久しぶりの帰郷なのだし、もう少し寄り道をしていくかい?」
呼び水となったのか、祖母と伯父も声を上げる。
エルマはおぼろげに見覚えのある辺りの風景に目を細めてから、ユーグリークの方を振り返った。
「もちろん、いいよ。それにエルマの生まれ育った場所を、俺も見てみたい」
夫は妻の表情で希望を察し、当然のように快諾する。
「ボクは戻る。これ以上ここに用はない」
魔法伯家の面々にどうしようか、という空気が流れる中、真っ先に離脱の意思を示すのは、いつも通りのベレルバーンである。
長男の変わることのない「義務は果たすがベタベタはしない」という態度を受け、現当主はじっと傍らの小さな妻を見下ろす。
「私達もこの後、見回りがある……んだよね、モーリーン?」
「普段、あまりこの付近には直接来ないですから。この機会にやれることがたくさんあります」
「それはそう。ところで我々、喪服なんだけど――」
「服って仕事に支障を来すものでしょうか?」
「そうですね、支障はないですね……やるかあ、仕事……」
「はい」
ちょっぴりオフの予定を入れたそうな気配を醸した魔法伯当主だが、ばっさり妻から「公務があるでしょ」と切られていた。
別に魔法伯本人が格別遊び好きというわけではない、どちらかといえば彼もまた真面目な方の人間なのだが、趣味も仕事ですというような夫人に比べると、もう少し息を抜きたいのが本音なのだろう。
「モーリーン、ぎっくりやる前にちゃんと休みを入れるのよ」
「はい、義母上」
「返事は毎回威勢が良いんだけどなあ。頼みますよ奥様、あなたもそろそろ良いお年なんだから」
「でも動けるうちに動いておかないと」
「もっと良いお年の老婆は大人しく家に引っ込んでいますよ。かしましいことはどうぞ若い方達でなさって」
祖母もまた帰宅の意思を示す。
最後に口下手な次男がユーグリークに向き直った。
「あ、か、閣下……か、帰りの馬車、じゅ、準備……しま、す……」
「助かる、スファル」
そうして自然と、その場は解散の流れとなった。
新婚夫婦二人きりになると、ユーグリークはおもむろに、エルマにダンスの時のようなお辞儀をする。
「お手をどうぞ、レディ」
「まあ……ありがとうございます、閣下」
エルマもまた、今ではすっかり慣れ親しんだ淑女の礼で応じ、エスコートの腕を取った。
二人とも格好は喪服だが、空気の澄んだ田舎町を二人でのんびり歩いていると、穏やかな気持ちになってくる。
建物が密集している都合上、道幅は狭めだが、舗装はしっかりしている。田舎だともっと地面の土がむき出しだったり、敷き詰められた石がでこぼこしていたりなんてこともあるが、ここは歩きにくいことが全くなかった。
狭い路地を進んで行くと、またどこかから歌が聞こえてくる。
不意にユーグリークがふふっと笑い声を漏らした。
「なんですか?」
「いや。こういうことは、結婚してから初めてだなと思って」
「ああ……そう、二人でのお出かけは久しぶりかも」
エルマもふふっと笑った。
朝晩は一緒に過ごしているが、その分お出かけ――特にデートみたいなことは、夫婦になってからはしていなかったかもしれない。
婚約者時代は保護者の目を盗んで逢い引きにいそしんでいたものだから、なんだかちょっとおかしくなった。
ユーグリークがふう、と息を吐く。今度はため息のようだ。
「祭りにも――」
「え、なぁに? なんて言ったの?」
「買い物どころか、祭りにこっそり出かけるようなこともできなかった。いつも人目を避けて、出かける時は人のいない所にして。俺がこうだから……」
申し訳なさそうな声音に、エルマは目を瞠る。薄布で表情は隠れているが、随分と浮かない顔になっていそうだ。
見知らぬ土地に来たことで新婚ムードが増すかと思いきや、何か思うところでもできただろうのか。
「わたしさっき、お父さまとお母さまになんて言っていたか、覚えている?」
「……今が幸せだって」
「そうよ。それなのに、あなたと二人でいることが不満だと思うの?」
「いや。……あ、でも……」
「なぁに」
「睡眠不足の時はそうだったかも」
「それは確実に旦那さまのせいだわ! 反省なさって」
「善処する」
固い空気が少し柔らかくなった。エルマはユーグリークを小突いてから、目尻を下げる。
「それとも、あなたがしたいこと? もっと人の多い場所に行ってみたいの?」
「……ん」
エルマは思わず足を止めた。
あの人見知りでエルマさえいればいい、という男から、こんなに人前に出ることに前向きな言葉が出てこようとは。
エルマがユーグリークとずっと密着しているのは、必ずしも新婚を楽しむためだけではない。
未だ顔の布が手放せないユーグリークが万が一を起こした時、素早くフォローするためでもある。
結婚式の時はほんの一瞬だったが、手を握って集中していれば、ユーグリークの魔性の力を抑えていられる時間は更に長くなってきている。
エルマ自身の手応えでは、公爵家の侍女や執事に、成長後の彼と対面させてあげられる日もそう遠くはないと感じていた。
ただ、ユーグリークはまだ、今までより他人と距離を近づけることに躊躇を見せている。
エルマは彼の準備が整うまで、気長に待つつもりだった。
(でも……もしかしたら、わたしが思っているより早く、その日はやってくるのかもしれない)
腕を取っていた手が自然と離れ、両手同士でつながれ直す。指を絡ませ、夫婦は見つめ合う。
「……怖いな。君と一緒にいると、したいことがどんどん増えていく……きりがない」
「大丈夫。わたしが連れて行くわ。あなたの行きたい場所、どこへでも」
更に距離が近づく――かに思われたのだが、急にバタバタと騒がしくなり、はっと二人で顔を上げる。
籠を抱えた子ども達が、路地に走り込んできたのだ。見知らぬ大人達――特に顔を布で隠している男の方を見て、あちらも息を呑むのが目に入る。
「こんにちは。それは薫衣草?」
エルマが柔らかく声を掛けると、女の子が顔を真っ赤にしてこくこく頷いた。すると横からばっと日焼けした手を突き出し、男の子が前に出てくる。
「なんだよ、よそ者。俺たちに何か用か!」
「ごめんなさいね、お邪魔だったかしら。わたし、昔この辺りに住んでいたのだけど……久しぶりに戻ってきたの。うちでも薫衣草の花冠を飾ったな、って懐かしく思ったから、つい声を掛けたくなってしまって」
エルマが穏やかに話していると、子ども達の警戒が徐々に解けていく。が、やっぱりユーグリークには胡乱な目を投げかけていた。
彼は慌てず騒がず、成り行きを見守っている。
もう少し前なら、万が一があっても目が合わないように、明後日の方に顔を向けているなり下を向いているなりしていただろう。
だが今は布越しではあるが、子ども達を見ている。傍らにエルマがいるからこその、僅かな、けれど確実な変化なのだった。
「……その服、墓参り?」
「ええ、そう」
最終的に、たぶん新種の喪服なんだろう、と彼らは結論づけた模様だ。一緒にいるエルマがどこからどう見ても人畜無害なお姉さんだったから、それで信用を勝ち取ったというのが正しいかもしれない。
子ども達でひそひそ何かやりとりした後、最初にエルマに挨拶されて顔を赤くしていた子がそっと寄ってきた。
「くれるの? わたし達に?」
「…………」
女の子は収穫したばかりの薫衣草を一束、エルマにぱっと押しつけると、返す勢いで逃げていく。
「あっ、おいっ、なんだよ、お前が渡すって言ったんだろ!?」
「ちょっと逃げることないでしょ、待ってってばー!」
ばらばらと小さな足音が慌ただしく遠ざかっていく。
静寂が戻ってから、エルマはユーグリークに笑みを向けた。
「また、貰い物をしてしまいました」
「今のは大丈夫な貰い物だ。……少年の方から貰っていたら、駄目な方だったが」
「もう……」
前に「エルマは人から物を押しつけられすぎた」とか述べていたことのある男だが、今回の分は見逃すことにしたらしい。
それでもちゃっかり年下相手に嫉妬心を覗かせてくる所は、相変わらずだ。
「あと少し、先に行って良い? もうすぐだったと思うの」
「良いよ。でも何があるんだ?」
「――わたし達の住んでいた家」