19.休憩と軽食
客間の机に、午後の茶を楽しむための準備が整えられていく。
侍女が手際よくあれこれ並べるのを見つめていたエルマは、はっとした。
エルマは給仕を受ける側ではなく、する側のはずだ。
「あの、わたし、やります……!」
「これがあたくしたちの今日のお仕事ですの。ね、ジョルジー?」
「坊ちゃまがお連れした方なら当家のお客様です。むしろ坊ちゃまが乱暴なご招待をした分、満足していただかねばなりますまい」
しかし、侍女にも執事にもそう言われてしまうと、大人しく座っているしかない。ユーグリークが柔らかく笑った。
「エルマ、言っただろう。ここでは誰も君を傷つけない。安心してもてなされてくれ」
「そうそう。坊ちゃま以外年寄り揃いの館ですから、たまにこんな刺激的な日がある方がいいぐらい。さ、召し上がれ」
エルマは固まった。
というのも、目の前にずらりと鎮座する食器のどれから手を付けて良いのか、わからなかったからだ。
三段重ねの皿の他に、スコーンにジャムとクリーム、はちみつ、おそらく前菜と思われる物に小さなスープ、チョコレート……。
なんてカラフルで美味しそうなのだろう。
(うちの晩ご飯より豪華かも……少なくとも、お昼ご飯よりは確実にこちらの方が……)
貴族が午後、昼食と夕食の間、お茶と共に軽食を嗜む習慣があることは知っている。
それを真似て、父と妹におやつを出したこともあった。
しかし本場のアフタヌーンティーは今初めてお目にかかったし、自分が食べる側になるなど、今までのエルマには論外だった。
恐る恐るユーグリークの方を見てみると、彼はナプキンを慣れた手で使った後、食べ物よりもまず飲み物に手を付けているらしい。
それにしても相変わらず飲みにくそうだ。
じーっと見つめている目をふっとそらした際、自分もまた給仕の二人から見つめられていたことに気がついた。
しまった、出された物をなんとかしないとまずい。
エルマは慌てて自分もナプキンを使い、カップを口に運ぶ。
「……!」
「ハーブティーは初めて? これはカルマイアと言います。リラックス効果がございますのよ」
知っているのと異なる風味にエルマが目を丸くしていると、侍女がそんな風に解説してくれた。
慣れ親しんでいる普段のお茶よりも大分色が薄く、黄色く見える程だ。少し苦みがあって、良い香りがする。
エルマがほーっと手の中のハーブティーを見つめている間に、侍女と執事は姿勢を正し、主人の方を向く。
「坊ちゃま、我々はいかがいたします」
「エルマときちんと話がしたい。また呼ぶまで、下がっていてくれないか」
「かしこまりました」
「お茶のおかわりはいつご用意いたしましょうか?」
「こちらから頼むまで持ってこなくていい」
それを聞くと、ぱっと侍女が手で口元を覆う。きらきらと目を輝かせた彼女は、エルマを熱のこもった目で見つめ、それからまたユーグリークを見つめる。
「坊ちゃま。では、やはりこの方は――」
「ニーサ」
「――失礼いたしました。閣下、お客様。ごゆるりとご堪能くださいまし」
しかし執事に窘められると、彼女は途端に公私を切り替える。
一礼して部屋を出て行く。
「ジョルジー。告げ口するなよ」
「事と次第によります。では」
「おいっ――」
執事がいなくなる直前に声をかけたユーグリークだが、扉を閉められてしまうとため息を吐き出す。
「これは明日、覚悟した方がよさそうだ」
「…………」
残されてしまったエルマはそわそわユーグリークを見つめるが、彼が布を上げる気配がすると、慌ててまたカップに手を伸ばす。
お茶で沈黙をごまかしていると、彼がはーっと大きく息を吐き出した。
「こうやって人と食べるのなんて、いつ以来だろうな! 何が食べたい? というか、エルマは何が好きなんだ?」
「おっ……おおお、お構いなく……! というより、本当にこれは、その……わたしが口にしてよいものなのでしょうか……?」
「むしろ君の方が食べるべき――いや、その、今が悪いと言いたいわけじゃないんだ。だがやっぱり、もう少し食べても罰は当たらないように思う」
どうもうっすら感じていたことだが、この男、何が何でもエルマを肥えさせたいらしい。
別に痩せたくて痩せている訳ではないのだが、直球に太れと言われると……なんだろうか、この度しがたい気持ち。
「エルマ? 食べたくないのか?」
「あのっ……お、お作法が、わからなくて……」
「ああ。私と君しかいないんだから、気にしなくていいのに」
「気に……気にしますっ……!」
「そうか? なら私の真似をしてみるか?」
ユーグリークは慣れ親しんだ所作でカトラリーを手にし、まずは前菜に手を付けた。
エルマはおっかなびっくりナイフとフォークを手にする。
(お父さまやキャロリンさまによそうのは慣れているけど、こんな風にかしこまって食べるのは……うう、手が震える……!)
おかげで時折カタカタと音を立ててしまうのだが、ユーグリークの目は優しい。
叱責が全く飛んでこないのも、これはこれでものすごくやりづらいのだなと、エルマは今日学んだ。
なんとか苦労して一品目を口に運んだ瞬間、彼女は目を丸くする。
魚の切り身に野菜が添えられていた、おそらく料理としてはシンプルなものだ。
それなのにどうしてこんなに舌の上でとろけていくような食感になるのだろう。
体がびっくりしているのを感じる。頬が落ちそうな程、と美味な物に対して形容する理由が今わかった。
「おいしいか?」
ユーグリークに問われ、思わずコクコクと無言のまま何度も頷いてしまった。
彼は次に、スープカップに手を伸ばす。エルマも真似をしておっかなびっくりスープを口元に運び、今度はぎゅっと目を閉じた。
喉から全身に染み通っていくような、優しい味に包まれる。
「…………」
エルマはいつの間にか、無心になって皿の上を追いかけていた。
ユーグリークは彼女が食べ終わるのを見計らってから、案内するように次の皿に手を伸ばす。
するとエルマは一生懸命彼の真似をして、口に含む度に無言で感動を表している。
「君は本当に、可愛いな……」
ユーグリークが目を細めて思わず言葉を漏らす。
しかしエルマは美食の群れにすっかり夢中になっていて、見守る彼は更に笑みを深めるのだった。