10.墓前の邂逅 1
◇◇◇
別邸で寛いだ翌日は、改めて魔法伯家本邸に招待される。
魔法伯家の令嬢として客をもてなしたり客としてもてなされた機会はあったが、次期公爵夫人として正式に他家と交流するのは、これが初めてになると言っていい。
「……今更ながら、ちょっと緊張してきました」
「なんでだ。実家に帰るんだろう」
「あまりそんな感じではないので……」
道行きの馬車内、両頬を押さえてエルマが言うと、ユーグリークはふふっと笑った。
父の実家であるファントマジット魔法伯家、その当代主人は四人家族である。
伯父のトーラスバーン、義理の伯母のモーリーン、従兄弟のベレルバーンとスファルバーン。
エルマの祖母であり、トーラスバーンの母親である先代魔法伯夫人は、普段はこの一家とは別の場所、それこそ別邸などでのんびりしているらしい。
今回は孫夫婦に別邸を貸したのと、本邸にお客様を招く都合上、引退した先代夫人とて主催戦力としてあれこれ働かされているようだが。
「結婚した孫と結婚するかもしれない孫をまとめて面倒が見られるなんて」
と本人は生き生きしていたが。
……思い出したらまた、別の意味でちょっと不安が込み上げてきて、そっとお腹を押さえるエルマである。
(ネリーさま、本当に大丈夫かしら……?)
今頃本邸で年上の夫人達に揉まれているだろう友のことを思う。
とはいえ、では新婚夫妻の別邸に招くというのも何か違うし……初めての旅行が夫婦水入らずじゃなくなったら、ユーグリークは確実にまた「新婚なのに(以下省略)」と真顔で説くに違いない。
いや愛していないわけではないのだが、エルマは離れていても大丈夫だが、ユーグリークは割と密着していないと安心できない、この距離感の差なのである。
実際今も馬車の中で、結構ぴったり密着している。結婚後毎晩あれだけ密着しているのに足りないとでも言うのだろうか。
「ユーグリークさま、あの……」
「エルマを充填しているんだ。これは必要なことなんだ」
目を見ただけで先に言い訳を始めたのは、これまで何度も似たようなやりとりを繰り返してきた結果である。
エルマは(わたしって充填できるものなのでしょうか)との言葉を飲み込み、ふっ……と青い空に視線を流した。
正直に言ってしまうと、季節もあって、ちょっと暑い。服だって動きやすく風通しのいいものにしているのに。
しかしエルマが距離の見直しを考え始めたところで、握られた手がひんやりしてきた。
“氷冷の魔性”の氷魔法は、威力が強力な上に応用力も高く、そして地味に器用なのである。
ここに王太子がいたら、
「新妻と夏にいちゃつきたいからって、そんなことに魔法使う!?」
と突っ込みを入れてくれたことだろう。そして、
「世界一有用な使い方だろうが!」
と新婚モード全開な男に言い返されたことだろう。
まあ殺し合いに使うよりはよっぽど平和ではある。
……ともあれ、夫が地味な配慮をしてくれるおかげで、エルマは気温に妨げられることなく考え事をしたり風景を楽しんだりできる。
広大な薫衣草の畑を進んで行くと、次第に道が上向きに変わる。
人里は畑より高い場所にあり、建物が密集している。
「……なるほど。街自体が城みたいなものなのだな」
次第に見えてきた魔法伯領主の居城に、隣のユーグリークがそんな感想を口にしている。
街に入ると道は細く、そして建物はいかにも石造り、という顔でちょっと無骨だ。
多種多様洗練華美、という言葉がふさわしい王都の情景に慣れていると、いささか質素である。
しかし、同じ材質と色合いがぎゅっと固まっている町並みも、これはこれで美しく味がある。
領主一家は自然と一番高い場所に居を構えていた。
本邸もやはり石造り感の溢れる見た目だが、屋根の色が他の場所より濃い。
到着した次期公爵夫妻を、待っていた魔法伯一家が出迎える。
「ようこそ、次期公爵閣下。そして次期公爵夫人」
まずは当主が挨拶をする。定型的なやりとりを交わした後、続いて進み出てきたのは小柄な女性だ。
「改めてのご挨拶となりましたが、ジェルマーヌ次期公爵閣下、そしてエルフェミア=ファントマジット。我が領にようこそおいでくださいました」
彼女こそ、モーリーン=ファントマジット。エルマにとって義理の伯母であり、ファントマジット魔法伯家の中で今のところ最も関わりの薄い人物である。
というのもこの半年ほど、当主と息子達は予定通りエルマのいた王都にやってきたが、モーリーンは体調不良が重なってずっと領地に引きこもっていた。結婚式には駆けつけたが、本当に顔見せだけに一瞬現れた程度で、人となりを知るまでは至らなかった。
ファントマジットの男達は地味に結構な長身揃いなので、伯母と話そうとすると一瞬視線が迷う。客人達がその一瞬迷って言葉を返すまでの間に、こそこそと他のファントマジット一家から声が上がった。
「モーリーン。閣下はようこそだけど、エルフェミアはお帰りなさい、だよ。故郷に戻ってきたのだから」
「……これは失敬。語弊がありました。初めまして、エルフェミア=ファントマジット。よくぞお戻りに――」
「ジェ、ジェルマーヌ……レレ、レディ・ジェルマーヌだよ、か、母さん。結婚したんだから……」
最初は夫が、次は息子が、こそこそと夫人に耳打ちする。しかし悲しいかな、距離が近いのでこそこそしても大体客人にも内容は聞こえる。
ここに至る道中でユーグリークに少し話した通り、薫衣草の風景などは昔を思い出すが、魔法伯家自体は、実家というよりよその家の感覚が強い。
その上、エルマは今のところ、エルフェミア=ファントマジットとして過ごしてきた時期の方が長い。
だから言われた本人は特に違和感も覚えずのほほんとしていたのだが、挨拶で名前を間違えるのはよろしくない。しかも公爵家は魔法伯家より家格的に上なのである。
が、やらかしの当人であるモーリーンは一瞬フリーズした後、再びキリッとエルマを見上げた。
「ああ、そうでした。初めまして、エルフェミア=ジェルマーヌ――」
「何回同じ言葉を繰り返すつもりだ!?」
そして三度目の初めましてが出た所で、ついにベレルバーン=ファントマジットの我慢に限界が来た。エルマなぞはびくっとしてしまうベレルバーンの声を荒げる癖に、けれど全く動じる様子のないモーリーンである。
「だってこのまま何事もなかったようにする方が無礼でしょう。なのでやり直しを」
「そもそも間違えないように、あれほど事前の練習をしたのに……」
「予行練習はしました。しかしその内容が間違っており、逆に練習したせいで応用できなかったのです。お許しくださいませ、閣下、そしてレディ・ジェルマーヌ」
「か、母さん……ごごごごめん。で、でも、そろそろ黙って。母さん……!」
堂々と胸を張る小さな夫人と、その周りで穴があったら入りたいという風情の男達。
これはなかなかレアな光景だ。更にここまで圧倒的に夫人のペースで、エルマ達は口を挟む隙がない。
――と、ふふっと笑い声が零れた。顔を隠す布の下で、ユーグリークが思わず破顔したらしい。
「……なかなか賑やかな御仁だな、ファントマジット魔法伯夫人は」
「そ、そうですね……!」
客人が不快に感じていない、むしろ楽しんでいることが伝わると、緊張して冷えていた空気がふわりと解ける。
少し離れた場所では、先代魔法伯夫人が苦笑しており、そしてネリサリア=ヒーシュリンが必死に笑いを堪えている顔をしていた。
友人の様子を見て、エルマもまたほっと息を吐く。少なくとも気苦労しているという様子ではなさそうだった。
「――トーラスはあの通り無難な男だけど、夫のオーグは頑固者だったから。モーリーンみたいな女性がお嫁に来てくれて、本当に良かったと思っているのよ」