番外編 にゃんにゃんエルマ(婚約者時代) 前編
これはユーグリーク=ジェルマーヌとエルフェミア=ファントマジットが、まだ結婚前――婚約者だった時の出来事である。
正式な夫婦となる前の二人は、その日の晩も保護者の目を忍んでささやかな逢瀬を重ねていた。
その晩は一際冷えたこともあり、エルマは温かいお茶を用意して彼に振る舞おうとする。すると「気が合うな」と笑い、ユーグリークが何か持ってきていたらしい荷物を取り出した。包みを解いて箱を開けてみれば、上品な姿のお菓子達が並んでいる。
「わあ……!」
「ジョルジーとニーサが、人気店で買ってきたんだそうだ。エルマにもお裾分けだ」
「ありがとうございます」
執事と侍女の笑顔を思い浮かべ、エルマははにかむように微笑した。
公爵邸で坊ちゃまの世話をしている二人は、どうやらひっそりお付き合いしている仲である。
二人とも少々年を重ねているのと、使用人の管理者であると自負しているためか、あまり表沙汰にはしていない。それでも仕事上の付き合いだけではない親密さは折に触れて感じられたし、たまに予定を合わせてお出かけに行くのが公爵邸滞在中にも見かけられた。
仲良く身を寄せ合って街を歩いたのだろう姿が目に浮かぶと、それだけでこちらも心が温かくなる。その上わざわざ自分たちにもお土産を買ってきてくれたとは。早速、お茶と一緒にいただくため、二人で一つずつ手に取る。
「ちなみに酒が入っているらしい。この寒い時期、体を温めるのにはちょうどいいかもしれないが……」
「食べ過ぎ注意、でしょうか?」
「そうかもな」
華やかな酒宴は、貴族に欠かせないものの一つだ。
タルコーザ家で働いていた頃は飲酒と無縁だったエルマだが、ファントマジット邸で公爵夫人となる準備をしている最中、当然自らの酒耐性チェックも行っている。
エルマは正直、お酒に強いとは言えない体質らしい。初心者向けな度数の酒でも、三杯目ぐらいで顔が赤くなる。もう少し飲むと上機嫌になり……それから眠気に見舞われる。
すぐに症状が現れるので、自然と飲み過ぎ防止にはなる。そのおかげか、今のところは二日酔いも未経験だ。しかし、見知らぬ人との会食時、無防備になってしまうのは良くないからと、祖母からは重ねて社交時の注意事項を懇々と説かれた。
(とりあえず……顔が赤くなり始めたら、それ以上は飲まなければいいのよね)
なお、ユーグリークはエルマより酒に強いらしい。魔性の特性上、彼が他人といる時に酔っ払いでもしたら洒落にならないから、あまり外で酒をたしなむ機会はない。が、仮に悪意を持った人間に少々盛られても、顔色も態度も変わらない――その程度の強さはある、等と本人は話していた。ちなみに魔性の男も二日酔い経験はないらしい。
そんな二人の飲酒事情はさておき、今いる場所はファントマジット邸、最悪気分が悪くなれば部屋に戻って水を飲めばいい。一緒にいるのはユーグリークだから、異変があればすぐに気がついて助けてくれるだろう。どちらかといえば、この後フォルトラに乗って帰らねばならないユーグリークの方が、飲み過ぎ、もとい食べ過ぎに注意する必要がありそうだ。
「……んっ! んんっ!?」
一口サイズを思い切って頬張れば、ふわっと舌の上に香りが広がった。美味でありつつ未知の感覚に、エルマは思わず歓声を上げる。
少し苦みを感じるコーティングの下には、たっぷりとお酒漬けの干し葡萄が詰められている。ただ甘いだけではない、大人のお菓子の味だ。
頬を押さえて目を丸くしていると、ユーグリークが首を傾げている。
「……なるほど、こういうのか。そういえばあの二人、地味に酒飲みだったような――」
「おいしいです! なんでしょう、体もぽかぽかしてきます……!」
初めてのお菓子を、エルマは大層気に入ったようだ。早速二つ目に手を伸ばしている様子に、ユーグリークは目を見張る。
とはいえ、彼女のために持ってきたお菓子なのだから、お気に召したのであれば願ったり叶ったりだ。プディングが好きという情報から、普段は甘いお菓子ばかりもってきがちだったが、こういった味も案外好みである、とユーグリークは一つまた婚約者に対する理解を深める。
「…………」
しばらくは愛情深い目で喜ぶ婚約者を見守っていたユーグリークだが、エルマがぱぱっと三つ目、四つ目まで平らげたのを見て、おや、と首を捻る。好物なのだとしても、なんだか消費ペースが随分早いような……。
「エルマ? そんなにおいしかったのか?」
「…………」
黙々と食べている。そう、確かに彼女は最初に公爵邸に来た日も、おいしい料理の数々に感動の余り言葉を失って食事に没頭していた。だから今回も同じような状況かと思っていたが、なんだか違和感があった。
一体何が……と訝しんで顔を近づけたユーグリークは、唐突にエルマがこちらを向いたのでびくっと肩を跳ねさせる。が、直後すぐ「しまった」と心に浮かんだ。
何しろエルフェミア=ファントマジットは、内緒の逢瀬の暗がりでもわかるほどに赤くなっていたのである。どう見てもただおいしい食べ物に興奮しているからだけではない。
「……にゃん」
「……にゃん?」
「にゃんー!」
そしてエルマは婚約者に目を合わせたまま、それはもう上機嫌に鳴いた。思わずおうむ返しをしたユーグリークに、更に追撃を重ねる。
ユーグリーク=ジェルマーヌは思考も動きも完全に停止する。彼は宇宙をのぞいたような顔のまま固まっていた。