閑話 望まれた未来へ
聖堂での式には大勢の関係者が参列した。
その様子を窓の一つから、一羽のカラスが見下ろしている。カラスが見る光景は少し離れた場所――聖堂の控え室の一室の水晶に写り込んでいた。
「うむ。実に良い式になったの」
「結婚式、いいもの」
国一番の魔法使いと名高い老人が満足そうに頷くと、隣で褐色肌の少年が同意する。幸せそうな新郎新婦の様子に、けれどもう一人の同行者だけはなんだか微妙な空気を漂わせていた。
「なんじゃ。不満そうな顔をしくさってからに。今日はめでたい日なのじゃぞ、祝わんかい」
「死に損なった上にこの光景を見せられているです。どんな顔をすればいいかわからぬです」
「笑えばいいんじゃ」
「笑わぬ」
「なんじゃと」
がうがうと不平不満を述べているのは、銀色の狼だ。よく見ればその体は氷でできており、魔法によって動いているとわかる。
「にばんが残ってくれた、さんばんは嬉しい」
「お前はいつも単純です。単純過ぎるです」
褐色肌の少年が人懐こく抱きつけば、氷の狼は更に苦虫をかみつぶしたような顔になる。その様子を見て、老人は愉悦の笑みを浮かべた。
「やーいやーい、いつも思い通りになると思ったら大間違いなのじゃ!」
「消えかけのヨルンの鱗の精神だけ移植する思いついたのは魔性のつがい、その器を用意したのは魔性。ジジイは何もしてないね。調子乗りすぎです」
「なんじゃとクソ竜。儂だって精神の固着の補助、したもん! 未だパワーダウンしとるくせに、随分と強気ではないか」
「わたし一番魔法上手。クソじじいをぶちのめすぐらいなら、この体でもできるです――わふっ!?」
「喧嘩、良くないよ。結婚式、特別、大事。尊重するべき」
老人と狼の間に火花が散り合うが、少年が狼を抱えてやめさせる。少年は姿が変わったとはいえ同族の先輩とまだ一緒にいられることが嬉しいのか、吠えられても乏しい表情の中に隠しきれない喜色を浮かべていた。狼も反抗するのが馬鹿らしくなったのか、ため息を吐き出した。
「……仕方なし。覚えのいい弟子に免じて、騒ぎは起こさないです。しかしこの身が教えたのは基礎部分。しかも結構圧縮詰め込みです。すぐにものにして応用するとは、あの弟子ヨルンの計測以上に優秀です。魔性のつがいなだけあるね」
「手弱女の顔をした剛の者なのじゃよなあ」
「いいこと。魔性の関係者、弱いとすぐ死ぬです」
三者三様にしんみりと花嫁の評価を述べる。水晶玉の中では、花嫁と花婿が手を取り合って歩いていた。皆に祝福される二人を見つめながら、老人はまたも呟く。
「のう、二番目や。確かに最初にエルフェミア嬢に接触したのは三番目じゃが、この式を挙げさせたのはやはりお前じゃ。お前に訓練された彼女だから、一瞬とはいえ衆目の前に魔性の男の顔を晒すことに成功した。この先更に魔力制御を磨き、解放時間を伸ばしていくことじゃろう」
「…………」
「じゃが、同時に彼女は、本来なかった業を背負わされた。無論、本人も覚悟の上ではあるはずじゃな。とはいえ、制限のない魔力操作が可能な、この世で唯一、竜の因子を受け継ぐ人間――しかも魔性の最愛と来た。どうじゃ? これほど魅力的な人間が他におるか?」
「むー……」
「お前さん、一匹狼――いや竜か。だから知らんかったのじゃろ。世話を焼くということはの、責任を負うことでもあるのじゃ。自分の用事は済んだから一抜け、では済まぬのじゃよ。お前さんには、エルフェミア嬢にこの道を進ませた責任がある」
一番目はユーグリークに討たれることを望み、二番目は半ば心中する形での退場を望んだ。その際に本人は人間への借りを返しきったつもりだったが、そうではない、と老人は説く。
「……そうですね。借りは返すべき。さんばんに任せるつもりでしたが……こやつは力不足、仕方なしです」
「さんばん、支援、惜しまない。でもにばんほど魔法上手じゃない。仕方なし」
「早くレベルアップするです。魔性のつがいがあれだけできるです、お前は本来それ以上になんとかなるはずです。なんでじじいより魔法下手ですか」
狼は頼りないもう一体の分身を小突いたが、少年は全く危機感なくのほほんとしている。
そんな彼らを見て、老人がひょひょ、と余裕のある笑いを上げた。
「そうじゃそうじゃ! というわけで、当面は儂の魔法研究に全面協力するのじゃぞ。三番目の竜にはある程度自由行動を許すが、二番はまだ拘束権が有効なのじゃ」
「クソじじいめ……そのうち反逆してやるです」
「やめんか、儂ァ老人なのじゃぞ! 労らんか!」
「では手加減して、頭に花を咲かせる程度で済ませてやるです」
「何ィ!? ……くうっ、もう咲いておるわ! 反逆が早すぎるのじゃ!」
老魔法使いが慌てて帽子を取ると、禿げた頭にみょんと元気な花が一輪宿っていた。老人が頭を振るとゆらゆら揺れる。
突如咲いた花と格闘している賢者は放置して、二番目の分身体は今一度水晶の中を見つめる。
花嫁と花婿は馬車に乗り込むところだ。確かこれから披露宴だかなんとか会だかでまた関係者達にもみくちゃにされ、夜になったらようやく夫婦の場へ移動する……確かそんな流れだったと聞かされたはず。
「ヨルンはずっと、魔女と死にたかった――そう思ってたです。少なくともいちばんはそう考えた。果たされなかった約束を、完遂せねばならぬ、と」
相方に語っているのか、あるいは独白か。
「にばんは違う見解?」
「――そう。満たされないは知っていたです。ただしこの身は、殺し合いで解決しない問題、感じたです」
竜は、その分霊たる分身体達は遠い過去につかの間想いをはせる。花畑で冠を編んでいた女は――ああそうだ。彼女の綺麗な顔には、ほんのわずかな微笑が浮かんでいた。それが何よりも嬉しくて、どうしようもなく悲しかったのだ。
「ヨルンは本当は、魔女と一緒に生きたかった。あのひとに、生きてほしかったです」
――お前を殺すものを殺せ。お前を殺す相手と巡り会え。
魂に刻まれた使命。けれど生きたいと感じた。それ以上に、生きさせたいと願った。
でもどうしようもなかった。出会った時には、魔女は既に生きる希望を失っていた。彼女は結局、最期まで人間による救いを求めていた。人ではないヨルンにはけして埋められぬ欠落だった。
若者達の姿を見送る。魔女になったかもしれない魔性。魔性に選ばれた最愛。
二人の歩む未来は、いつかきっとヨルンが見たいと願ったもの。
「……死に損なったが、おかげで当分、死にたくない理由も見つけてしまったね」
人でないものはようやく満足げに笑う。
遠吠えは一陣の風となり――花嫁のヴェールをすくって祝った。